
Interview 第18回 森岡清美氏「軍師・井上豊忠——白川党の研究をめぐって——」後編

東京教育大学名誉教授・社会学者
森岡 清美
(MORIOKA Kiyomi)
Introduction
宗教と家族との関わりから社会学の新しい地平を切り開いた森岡清美氏。これまで日本の家族社会学の土台をいくつも築いてきた森岡氏の研究は、真宗教団を「家」としてとらえたことから出発している。
その後、キリスト教や新宗教など、さまざまな宗教集団を研究してきた森岡氏は、いま再び真宗を対象に据え、2016年9月、吉川弘文館より『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー』を刊行された。本インタビューでは、森岡氏が井上豊忠研究に至った経緯と成果、及び人間と社会をめぐる森岡氏の研究史とさらなる展望を語ってもらった。
(大澤 絢子)
【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】
森岡 昭和26年のはじめ、奥能登の真宗の寺の社会構造を調べました。そこに本坊と子寺という真宗の社会構造の原型のようなものが残存しているのです。
末寺は本寺に、政治的に従属していますが、経済的には独立しています。檀家をもっているため独立できる。経済的にはほぼ独立しているけれども政治的には本寺に従属というのが末寺なのです。ところが子寺というのは、経済的にも従属しています。檀家をもたず、本坊の境内のなかに住んでいるのです。本坊の境内のなかに住んでいるから寺中(じちゅう)、あるいは塔頭(たっちゅう)と言います。
本坊が親、子寺が子どもだと仮定すると真宗の構造がわかる気がしました。真宗教団は大きな寺の構造を、大きくしたものだからです。したがって、私の発想の元は同族研究です。しかし、同族研究は他宗だとやややりにくいのです。他の宗派では、子孫相続になる前から師匠と弟子の関係、これは親と養い子の関係です。これも家とみて良いのですが、同族団になぞらえて研究する場合、一番見やすいのは妻帯して子孫相続をしていく真宗のほうです。そのような視点から真宗教団の研究をしたのです。小さいころから真宗のお寺の雰囲気はよく知っていて、自分がなじんだ空気でしたから、親近感をもって、何の違和感ももたずにどこへでも出かけていったのです。
井上豊忠を研究するに至った経緯
森岡 そうした同族団の構造論で研究をやってきたのですが、個人の信仰に光が当たっていないという批判もありました。しかし、私は個人の信仰を明らかにしようとしたのではないから仕方がないことだと思っておりました。社会学だからそれでいいとは言えるけれども、やはり問題が残ります。
しかし、個人に光を当てるには、どのように資料を扱えば良いのかわかりませんでした。個人的資料というものには、昭和20年代中ごろから注目しておりましたが、それが真宗教団の研究にどのように使えるかについてはよくわかりませんでした。
井上遺文を入手してから、組織や構造よりは、「人間の関わり」を研究する「コンボイ」という概念に注目しました。それが橋渡しですね。コンボイとは、一緒に旅をする道連れであり、一緒に旅をする船団のようなものです。「集団」という場合には、とらえる時間が短いですが、それに対して「コンボイ」は長いのです。ライフコースの研究との関わりで「コンボイ」の概念に出会い、それを活用しました。
私はもう実地調査などは行けませんから、文献研究でやるしかないと思いました。、明治維新を作った松下村塾の仲間が「コンボイ」なのです。それで次に同志社を軌道に載せた熊本バンドを扱って、札幌バンドなどもみな文献で扱いました。
しかし、それをやっているうちにつまらなくなったのです。というのも、私のところには原資料がない。たくさんの文献を引用しても、どれが一番の典拠かわからず、原資料を見ていないということが致命的な欠陥となりました。原資料を見ますと、今までの人の理論を批判できます。見方が違えば、私ならこう読むということができるのですが、原資料がないままやってるのでは限界があります。
そこで、井上豊忠が住職を務めていたお寺に電話したのです。事情を話して、探してみましょうとおっしゃっていただきましたが、老体だから行けるようになったときに行きますと電話を切ったら、後日、大きな箱に日誌と関係文書、向こうが重要だと思ったものをたくさん送ってきてくれたのです。それで火がついて、40冊の日誌だけでも大変でしたが、日誌はあらかたコピーし、日誌に関連する文書もコピーしました。
重要なものだから早く返さなければと思い、一月の間、一週間に一回くらいコピーを5、600枚くらいづつ取りました。井上遺文は普通の紙ではなく、透き通るくらい薄い紙なので、間に紙を一枚一枚はさんでコピーをとりました。へたすると元の紙を切ってしまいそうになるので、切らないように注意して、コピーを全部で4~5000枚は取りました。
コピーした後に井上さんのお寺にお邪魔したのです。そうすると、清沢から来た手紙も残っていて、それを『清沢満之全集』と照らし合わせました。『全集』を編んだ人は非常によく原文を読める人ですが、読めずに残してあるところが読めたり、読み誤りもはっきりしたりしました。また、非常に重要なところで文章が抜けていたりしましたので、引用する際、全部直しました。『全集』として残す以上はもう一度確認して誤りはなくしたほうがいいでしょうね。
私も昭和20年代には、そういう資料を目の前に置かれても分析方法がわかりません。しかし今は、日記をどうやって分析すれば良いかは学んできていますから気をつけて読むことができました。また、日記には忘れて書かなかったことや、あるいは思いつかなかったことなどはあります。他の資料とつきあわせて十分注意して読まなくてはなりません。
井上の個人の思考と真宗の教えとの関連性
森岡 井上は清沢から随分と薫陶を受けております。白川党の連中は、教義が問題ではなく、宗門の寺務所のやり方がおかしいからそれをやめろと言っていたのです。宗門政治を良きものに変えたいのだと。真宗本来の教えからの逸脱はまったくないと思います。
ただ、井上は普通のお坊さんとは非常に異なっています。普通のお坊さんは自分の寺を守れば終わりです。しかし、彼は地域の活動をたくさんするのです。そして、よく勉強する人です。朝早く起きて、また寺に帰ってからも勉強するのです。新しい書物を取り寄せて、よく読んでいます。この人は自分の寺の住職には納まらないで、近所のお坊さんに声をかけて、他の宗派の僧と仏教会を作って講話会、研究会というか勉強会のようなことをしています。彼は真宗だけではなく、他の宗もたくさん勉強しているから他の宗のお坊さんとも話ができたのです。普通の真宗のお坊さんだったら、自分の寺で住職として、法事と寺役をすればいいのですが、彼の場合はいろいろな人と話をする素養がありました。本当にいろいろな本を読む、白川党が解散した後も清沢が良いといった本を買って読む人でした。
他に研究したいこと
私はいろいろな誘いがあってキリスト教や地域の神社、新宗教などの研究もやりましたけれど、今考えてみれば、そのようなことをやらないで真宗一本でやれば良かったかもしれぬと思います。
例えば、北海道開教の問題、いろいろな人が集まってきてできた真宗寺院の問題。北陸や山陰地方の寺は、移民について北海道へ行ったのです。真宗の地盤から出て行ったのです。どういう寺が出て行ったかというと、子寺です。子寺は独立できない。独立しようと思ったら、本坊の許可を取らないといけません。これが大問題です。それで移民について北海道へ行きました。北陸や山陰地方の子寺が北海道へ行って独立の寺になったのです。本坊と同じくらいの寺格になり、時に本坊を超えます。北陸の辺りから寺が随分と北海道に出て行った、そうしたことについてはもっと研究したかったと思っています。
(文責:親鸞仏教センター)
(前編はコチラ)
森岡 清美(もりおか きよみ)
1923年三重県生まれ。社会学者。1948年東京文理大学哲学科卒業。東京文理大学助手、専任講師、東京教育大学文学部助教授、教授を経て成城大学文芸学部教授、東京教育大学名誉教授、文学博士。
主な著書に、『真宗教団と家制度』(創文社)、『家族周期論』(培風館)、『真宗教団における家の構造』(お茶の水書房)、『近代の集落神社と国家統制』(吉川弘文館)、『新宗教運動の展開過程』(創文社)、『決死の世代と遺書』(新地書房)、『現代家族変動論』(ミネルヴァ書房)、『若き特攻隊員と太平洋戦争―その手記と群像』(吉川弘文館)、『華族社会の「家」戦略』(吉川弘文館)、『明治キリスト教会形成の社会史』(東京大学出版会)、『ある社会学者の自己形成―幾たびか嵐を越えて』(ミネルヴァ書房)、『無縁社会に高齢期を生きる』(佼成出版社)『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー―』(吉川弘文館)等。
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
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Interview 第17回 森岡清美氏「軍師・井上豊忠——白川党の研究をめぐって——」前編

東京教育大学名誉教授・社会学者
森岡 清美
(MORIOKA Kiyomi)
Introduction
宗教と家族との関わりから社会学の新しい地平を切り開いた森岡清美氏。これまで日本の家族社会学の土台をいくつも築いてきた森岡氏の研究は、真宗教団を「家」としてとらえたことから出発している。
その後、キリスト教や新宗教など、さまざまな宗教集団を研究してきた森岡氏は、いま再び真宗を対象に据え、2016年9月、吉川弘文館より『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー』を刊行された。本インタビューでは、森岡氏が井上豊忠研究に至った経緯と成果、及び人間と社会をめぐる森岡氏の研究史とさらなる展望を語ってもらった。
(大澤 絢子)
【今回はインタビューの前編を掲載、後編はコチラから】
―井上豊忠とはどんな人物でしょうか?
森岡 清沢満之という方は、いろいろな人が注目して、非常に優れた評伝も出ていて、宗教的に、信仰的にもすごいなと参考にさせていただいております。しかし、清沢だけに焦点があたっていて、資料がないため他の人にはあたっていません。私は、清沢にも関心はありますが、その一党と言いますか、6人衆に関心があるのです。
彼らのうち、一番年配は今川覚神ですが、みな同じ世代です。今川、稲葉昌丸、清沢、月見覚了、清川円誠は、同じ帝国大学出身ですが、井上はエリートコースの帝国大学ではなかった。しかし、井上豊忠と清沢は衝撃的な出会いをしました。一日で、刎頚(ふんけい)の友というか、そのような出会いがあったのです。
清沢にも事務的才能はあったようですが、宗門革新運動にはそれだけではだめで、軍師が必要だったのです。井上は軍師なのです。しかも、小さいところでいろいろと策をめぐらす策士的な面が彼にはあります。ある意図をもって人を使うというか、人を操るというか、そういうところがありました。ですから、清沢を考えるうえでも井上を脇において考えたほうが良いのではないかと思うのです。
井上のメモには、自分たちの強みと弱み、先方(寺務所)の強みと弱み、それを見比べて、「どうすれば勝てるか」、「このままでは勝てる見込みがない」ということが記してあります。井上は、そうした広い視野で見る人です。ですから軍師的で、相手のプラス面とマイナス面の両面を総合的に考え、自分たちの状況を見て結論を出すという、他の人にはできないことをしていたのです。
―井上豊忠の日記の特徴を教えてください
森岡 井上豊忠の日記は、とても細かく書いてあります。例えば、今朝清沢が来たけれど私がいなかったので私のほうから行ったとか、何を話したかなどがきちんと書いてあり、頻繁に交流があったことがわかります。日誌とは別にノートもあり、メモ魔ともいえる人であったようです。
また、『精神界』の原稿も保存されています。原稿と照らし合わせると、刊行された『精神界』の文章にはだいぶ変わっているところのあることがわかりました。原稿では、随分あからさまに書いているところも、やはり人に読ませるのでこれはよしたほうがいいと思い、カットしたりしていて、状況描写も相当違います。部分によっては、原稿にあって『精神界』にはないものもあるのです。
男の友情物語
森岡 本当に、この6人衆はおもしろいです。友達仲間がどう奮闘したか、結局男の友情物語なのです。女性は、全然出てきません。学校は共学ではありませんから、はじめのところでは、男だけが集まります。奥さんなどの話は、あまり出てこないのです。病気や家の話にあわせて出てきますが、もっと感情的なものは出てきません。奥さんを無視しているような感じです。同士がいれば良いんだと、これは、明治期の宗門改革で姿を見せた男の友情物語なのです。明治維新もそうで、明治維新の志士も男同士の友情に結ばれていました。それがどこかで女性を含んでいくのです。
―先生が真宗教団を研究対象としたのはどのような背景からでしょうか。
森岡 私は真宗の門徒の家に生まれました。三重県出身で、手次寺で父がいろいろと役をやっていたりしていたので、小さいときから手次寺の境内や本堂で遊んでいました。ですから、馴れ親しんだ空間を泳いでいるような感じで研究し始めたのです。
もう一つは、大学を出たのが昭和23年で、そのころ、進駐軍、特にCIE(民間情報教育局)の関係で、アメリカの社会学者よりは日本研究が専門の人類学者がいろいろな研究をしていて、日本を研究する社会学のなかでも実証研究が主流だったのです。当時、同族団の研究が日本社会を理解するのに重要だということで、同族研究の花が咲きました。そこで、私もやはり同族研究をしなければならなかった。ところが、関東の北部から東北は本家分家の同族で村の構成が理解できるけれど、私は関西ですから、私のほうはそのようなものはないのです。多少はでこぼこした関係がありますけれど、フラットな関係です。本家はありますが、それほど力をもっていません。ですから、同族団の研究では村を理解できないのです。そこで、私が卒業論文で書いたのが、「なぜ私の村には同族団がないか」というものでした(この研究は、「同族結合に関する一試考」[『社会学研究』2号1948年]として発表)。
そのなかで、浄土真宗の本末関係、仏教教団の本末関係を、本家分家の発想で研究しました。特に真宗の場合は子孫相続ですから、本寺を本家、末寺は分家と見なすことができる面があります。まず私は、中世本願寺の一家衆を研究して「血の道」という概念を文献から取り出しました。しかし、そういう歴史的な研究は真宗史、仏教史、日本史の人には到底及びません。真宗史専門の笠原一男さんが真宗史研究会というものを組織したときに私を仲間に入れてくださって、一緒に調査へ行きました。訪問先で寺に史料を出してもらって、史料の読み方を覚えました。生の史料を目の前にして特訓を受け、勉強したのです。[この研究は、「中世末期本願寺教団における一家衆(上・下)」(『社会学評論』1952,1953年)として発表]
(文責:親鸞仏教センター)
(後編へ続く)
(注)「白川党」
1896年、清沢満之を中心に宗門改革運動が展開される。清沢の他、今川覚神、稲葉昌丸、井上豊忠、月見覚了、清川円誠が結盟して、教界時言社を設立し、京都の白川村に本拠を置いたことから、白川党と呼ばれるようになった。
森岡 清美(もりおか きよみ)
1923年三重県生まれ。社会学者。1948年東京文理大学哲学科卒業。東京文理大学助手、専任講師、東京教育大学文学部助教授、教授を経て成城大学文芸学部教授、東京教育大学名誉教授、文学博士。
主な著書に、『真宗教団と家制度』(創文社)、『家族周期論』(培風館)、『真宗教団における家の構造』(お茶の水書房)、『近代の集落神社と国家統制』(吉川弘文館)、『新宗教運動の展開過程』(創文社)、『決死の世代と遺書』(新地書房)、『現代家族変動論』(ミネルヴァ書房)、『若き特攻隊員と太平洋戦争―その手記と群像』(吉川弘文館)、『華族社会の「家」戦略』(吉川弘文館)、『明治キリスト教会形成の社会史』(東京大学出版会)、『ある社会学者の自己形成―幾たびか嵐を越えて』(ミネルヴァ書房)、『無縁社会に高齢期を生きる』(佼成出版社)『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー―』(吉川弘文館)等。
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2022年8月08日
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Interview 第14回 山本聡美氏「死を想い、今を生きる——九相図による生死の往還——」後編

共立女子大学文芸学部教授
山本 聡美
(YAMAMOTO Satomi)
Introduction
死体が腐乱して、白骨になって朽ち果てていくまでの九段階を細部までを克明に描写した「九相図(くそうず)」。死体を九段階に分けて観想することを特に九相観と呼ぶが、この際イメージの助けとして用いられた図像が九相図である。九相観とは、現実の死体を繰り返し凝視し、現在ある肉体が不浄であることへの理解を深め、己の淫欲を滅するための修行であり、九相図はその手引きとなる。
今回は、六道絵や九相図など、人間の死生観にかかわる絵画を研究されてきた山本聡美氏に、九相図に込められたものをうかがい、その魅力に迫った。
(大澤 絢子)
【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】
――男性が九相図を通して発心や煩悩滅却を想うのに対し、女性はそこに自己を見いだすと先生は述べられていますが、はたして女性は九相図に積極的な意味を見いだすことはできるのでしょうか。
山本 九相図が、女性にとって自己投影であったという私見を支える傍証を一つあげます。後白河上皇の第六皇女であった宣陽門院(1182〜1252)が発願した醍醐寺の焔魔(えんま)堂の外壁に、九相図が描かれていたという記録があります。女院が発願した仏堂の壁画になぜ九相図が描かれたのか、ということを考えたときに、その九相図が彼女自身の信仰の表明という役割も果たしていた可能性が浮かび上がってくるのです。
ここには、自身のあさましい姿を、仏堂の外壁という衆人の目にさらされる場所に描くことで、自分自身の穢れや罪深さを自覚し、さらに他者に知らしめることで万人を導く、という意味合いがあったのではないか。中世において、九相図のそうした理解は一般的でなかったかもしれませんが、宣陽門院などの、何人かのとても豊かな教養を備えた女性たちの周りには、九相図を女人教化の意味で解説する僧侶たちがいたのではないかと思います。
また、13世紀初頭に成立した『閑居友』という説話集には、ある女性が、自分に懸想(けそう)をした僧侶に対して、あえて化粧も身づくろいもしない姿をさらすことによって、僧侶を諭し、以後その僧侶は修行に励んだという話が採録されています。この物語は、最後に「まことに尊くおはしけるこころざしなりけり」、つまり「なんと尊い女性の心もちだろう」と結ばれています。
この説話が、例えば、僧侶は女性の本質を見抜いて修行に励みました、で終わってしまうと、女性のほうは放っておかれたままになってしまう。中世の仏教では、女性を罪障の身として放っておくのではなく、女性の信仰をどう位置づけるかということが重要視されています。そこでこの説話では、最後の最後で、このような行いはきわめて尊いのであると価値づけることによって、女性には、自らを罪障の身としてとらえながらも、だからこそ他者を信仰へ導いていく存在であるという積極的な生の可能性が開かれていきます。
それが中世後半になると、仏教の保護に尽力した光明皇后(701〜760)(注2) や、自らの死骸を晒(さら)したとされる檀林皇后ら、実際に存在した女性をの名をあげて、各時代の最高に高貴な女性の振る舞いをお手本とするような伝説に結びついていくのです。
――九相図は絵の世界だけでは完結せず、そこには女性教化という側面があるという点はとても衝撃的です。
山本 日本の女性たちにとっての九相図とは、他者の発心を促す究極行いとしての自己犠牲、我執の放棄、そういうことを死体という強烈なイメージを使って理解させるものであったと私は考えています。
――九相図というのは長い間描かれ続けてきたものなのでしょうか。
山本 現存作例の数という意味での九相図のボリュームゾーンは、実は江戸時代です。この時期には、絵巻や掛け軸形式の作例、また版本が大量に制作されています。歴史の流れをたどると、九相図は、ブームになる時期と忘れられる時期とが交互に現れるのですが、完全になくなってはしまわずに、連綿と描き続けられてきました。近世には、版本になることによって、上層階級だけではなく鑑賞者のすそ野が広がり、またさまざまな形式が登場し、九相図のパロディのようなものも描かれています。
幕末生まれの明治の画家たちの多くも、九相図を描いているのですが、明治も半ばを過ぎると、死体を描く九相図は日本画の主題として相応しくないものとして描かれないようになっていきました。そうしたなかで、1977年に出版された『日本絵巻大成(7)』(中央公論社)のなかで、「九相図巻」がカラーで初めて掲載されたことは画期的です。これを機に美術史の世界でも研究が進展しました。
こうして通観すると、九相図は、なくなっても、なくなっても、復活してくるモチーフであるようです。西洋における「メメント・モリ(死を想え)」に共通する図像である一方で、説話的要素がふんだんに付加されて発展したのが日本の九相図の特徴です。気持ち悪い、汚いという忌避感を超越して、興味本位や下品に陥らない、ギリギリのところで豊饒な物語を生み出す原動力であり続けました。死体という人間の生命の終着点から出発する思想、死を起点として何か創造できる、ものを考えることができる、それが九相図なのです。
また、数多く描き継がれながらも、九相図の作例に同じ物は一つもなく、写され、反復されながら、微妙に意味が変化していきます。単なるコピーが再生産されていくのではなく、一つの型から少しズレたかたちで別の作品が作られていき、次の連鎖が生まれます。中世初頭に成立した「九相図巻」はとても完成度の高い作品ですが、その伝統は現代までつながっていて、宗教性と、世俗性、その両方にまたがって多様な意味を発信しつづけているように思います。
――現代の私たちが九相図を見ることに、どういう意義があると思われますか。
山本 生命に対する過剰な執着というものが、現代社会の大きなストレスになっている部分もあると思います。九相図は、人間の果てしない欲望について再考するきっかけを与えてくれます。
宗教の枠組みが希薄となった現代では、生と死というとても切実でやっかいな問題に、個々人が向き合わざるを得ない。九相図は、我々が迷い込んでいる思考の迷宮を照らす、一条の光だと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
(前編はコチラ)
(注2) 仏教へ篤(あつ)く帰依し、悲田院などを設置したとされる。
山本 聡美(やまもと さとみ)
共立女子大学文芸学部准教授。1970年、宮崎県生まれ。専門は美術史(日本中世美術史)、特に六道絵や九相図など死生観にかかわる絵画を研究。共著編に『九相図資料集成—死体の美術と文学』(岩田書院)、『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)。
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
2022年8月17日
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
2022年8月08日
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Interview 第13回 山本聡美氏「死を想い、今を生きる——九相図による生死の往還——」前編

共立女子大学文芸学部教授
山本 聡美
(YAMAMOTO Satomi)
Introduction
死体が腐乱して、白骨になって朽ち果てていくまでの九段階を細部までを克明に描写した「九相図(くそうず)」。死体を九段階に分けて観想することを特に九相観と呼ぶが、この際イメージの助けとして用いられた図像が九相図である。九相観とは、現実の死体を繰り返し凝視し、現在ある肉体が不浄であることへの理解を深め、己の淫欲を滅するための修行であり、九相図はその手引きとなる。
今回は、六道絵や九相図など、人間の死生観にかかわる絵画を研究されてきた山本聡美氏に、九相図に込められたものをうかがい、その魅力に迫った。
(大澤 絢子)
【今回はインタビューの前編を掲載、後編はコチラから】
――中世日本の九相図には、掛幅形式のものと、絵巻形式のものとがあるとのことですが、両者の違いが意味しているものはあるのでしょうか。
山本 九相図を、修行の道具として考えたときにとても大きいと考えています。そもそも、本尊画や掛幅縁起など、掛幅形式の仏教絵画には、儀礼空間や修業、あるいは絵解き説法など、仏事との深いつながりがあります。一方で、絵巻は「源氏物語絵巻」に代表されるように、物語性を伴ったメディアとして、世俗的な要請に応えながら発展しました。日本の九相図は、掛幅と絵巻と半々ぐらいの現存作例があることは重要で、聖俗を架橋する役割を担う絵画であったことが浮かび上がってきます。中でも、九州国立博物館に所蔵されている鎌倉時代の作品(「九相図巻」32.0×495.1cm)は、絵巻形式でありながら背景が描かれておらず、物語性や文学的要素が希薄です。私は、この絵巻を、修行のための図像として制作されたものだろうと考えていますが、絵巻形式というのは仏教的な修行の道具としてはそぐわないのではないか、という意見も根強くあります。つまりこの「九相図巻」は、聖俗の両面からの両義的な解釈が成り立つ、とても不思議な存在なのです。
一方で、室町時代以降に制作される、絵巻形式の九相図には、和歌や漢詩、説話文学の要素を大きく取り込んだ、豊穣(ほうじょう)なイメージが描き込まれています。したがって、中世後半から近世にかけて制作された、数多くの九相図は、ダイレクトに修行に使用されるというよりは、九相図という文化をベースにした無常観や不浄観、あるいは小野小町(825~900)や檀林皇后(786〜850)(注1) などの物語を伝えるメディアとして展開していったのではないかと思っています。
――九相図は、僧侶が修行するためのものだけではなく、貴族の文芸活動とも深く関わるのでしょうか。
山本 中世においては、宗教と文学とは、現代ほど分断されていなかったと考えられます。九相図を所有し、鑑賞できたのは、出自の高い僧侶であったとも考えられるし、在家の貴族であったとも考えられます。
描かれる内容を理解するためには、経典や仏教の理解が必要になるわけで、僧侶とのかかわりは欠かせません。いっぽうで、僧侶の活動を経済面で支える貴族、イメージを具現化する絵師の協働があってはじめて、九相図の制作が可能となります。
宗教的な営みが世俗の権力と渾然(こんぜん)一体となって存在している。そうした状況から生み落とされたのが中世の九相図なのです。単なる写経であれば、僧侶の世界で完結してしまうかもしれませんが、それに装飾をつけるとか、絵を描き入れるということには世俗の人々がかかわってきますし、聖と俗とのかかわり合いのなかで九相図は描かれました。
――九相図は、経典を根拠にして絵画化しているとのことですが、経典には、九相図に描かれる死体が女性でなければならないとは書かれていないようですね。
山本 そうなのです。それなのになぜ、描かれる死体が女性のイメージで固定していくのかということを考えていくと、そこで初めて文学的な要素が入ってくるのではないかと思います。
単純に考えると、男性出家者である僧侶、それをバックアップする男性貴族、あるいは武家などの男性権力者、彼らが現世における煩悩を滅却するために女性の死体でなくてはならなかったという理由が考えられます。ただし、中世の仏教説話を読んでいくと、必ずしも女性の死体のイメージというものが、男性に対してだけメッセージを発信しているわけではないことがわかります。説話のなかでは、女性に対しても、罪障の身である自分自身の存在の危うさを自覚し、その上で発心することで、他者をも導くこともできるという女性教化の側面が語られています。
また、より現実的な問題として、日本中世仏教において、女性の信仰を集めること、あるいは高位の女性からの経済的支援を獲得していくというのは、教団や寺院にとって不可欠な戦略でありました。女性たちに訴えかけるダイナミックなイメージとして、九相図が用いられたと考えることができます。
(文責:親鸞仏教センター)
(後編へ続く)
(注1) 美貌の持ち主で、恋慕する人々が後を絶たなかったとされる。皇后は、この世は無常であるということを自らの身をもって示そうと、自分の亡骸(なきがら)は埋葬せず、辻に打ち棄てよと遺言したとの伝承が残る。
山本 聡美(やまもと さとみ)
共立女子大学文芸学部准教授。1970年、宮崎県生まれ。専門は美術史(日本中世美術史)、特に六道絵や九相図など死生観にかかわる絵画を研究。共著編に『九相図資料集成—死体の美術と文学』(岩田書院)、『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)。
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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
2022年8月08日
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アーカイブ
『現代と親鸞』第33号(清沢満之研究の軌跡と展望)
■ 刊行にあたって
■ 巻頭論文
本多 弘之 「躍動する教学──現代に向かって清沢満之が投げかけた課題──」
青柳 英司 「 如来回向思想の背景について」
■ 第一部 清沢満之研究会の軌跡
田村 晃徳 「満之の骨格──『宗教哲学骸骨』を中心に──」
伊東 恵深 「他力門仏教に帰す──「他力門哲学骸骨試稿」の実存的意義──」
名和 達宣 「『臘扇記』を読む──清沢満之における転換期──」
山本 伸裕 「『有限無限録』を読む──「公」とは、「国家」とは──」
春近 敬 「「『精神界』論文」にみる清沢満之の応答性」
■ 第二部 寄稿論文
杉本 耕一 「西田幾多郎の「宗教哲学」と清沢満之の「宗教哲学」」
三浦 節夫 「井上円了と清沢満之──日本近代の仏教者──」
子安 宣邦 「「天」と「公」と──清沢満之における「儒家的なもの」──」
■ 第三部 第1回「清沢満之研究交流会」報告
全体テーマ:「清沢満之研究の〈可能性〉──没後百周年から見えたもの」
【問題提起】
山本 伸裕 「清沢満之「復権」の試み」
近藤俊太郎 「天皇制国家と「精神主義」──清沢満之を中心に──」
名和 達宣 「「精神主義」運動の波紋――曽我量深を中心に」
西本 祐攝 「大谷大学編『清沢満之全集』編纂の背景と課題」
【全体討議】
杉本 耕一(コメンテーター)・田村 晃徳(司会)
第四部 コラム集 清沢満之という多面体(プリズム)
越部 良一 「激切なる実学──近代日本最高の哲学者・清沢満之──」
藤原 智 「感電と摩擦──清沢満之と曽我量深──」
大澤 絢子 「清沢満之を描いた画家──中村不折とその時代──」
中村 玲太 「悟後修行の風光──清沢満之と證空──」
ステファン・グレイス 「大きな「自分」としての存在──鈴木大拙にとっての清沢満之──」
長谷川琢哉 「理性の限界と「不可知的実在」──清沢満之とスペンサー──」
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「親鸞仏教センター通信」第56号 掲載Contents
PDFで全紙面を開く
巻頭言
中村 玲太 「われに帰る」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
講師 本多 弘之 「苦悩の場所で光に遇う」
報告 越部 良一
■ BOOK OF THE YEAR 2016
●『原爆供養塔――忘れられた遺骨の70年』(堀川惠子著)
紹介者 藤原 智
●『親鸞と学的精神』(今村仁司著)
紹介者 名和 達宣
●『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命――』(入不二基義著)
紹介者 中村 玲太
●『知性の構造』(西部邁著)
紹介者 越部 良一
●『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(小澤征爾、村上春樹著 )
紹介者 田村 晃徳
●『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』(小熊英二著)
紹介者 法隆 誠幸
●『経済の時代の終焉』(井手英策著)
紹介者 大谷 一郎
●『沙門空海』(渡辺照宏・宮坂宥勝著)
紹介者 大澤 絢子
●『曽我量深先生の言葉』(津曲淳三編)
紹介者 中津 功
●『昭和史のかたち』(保阪正康著)
紹介者 金石 励成
●『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介著)
紹介者 松扉 達
●『ちいさなちいさな王様』(アクセル ハッケ著)
紹介者 大谷 綾
●『希望のつくりかた』(玄田有史著)
紹介者 田鶴浦 裕
■ 清沢満之研究会報告
名和 達宣 「清沢満之における「儒家的なもの」―『臘扇記』を読む Vol. 3 ―」
■ 『西方指南抄』研究会報告
講師 花野 充道 「天台本覚思想と親鸞」
報告 中村 玲太
■ 『尊号真像銘文』試訳
内記 洸 「善導大師の銘文(1)」
■ 第14回親鸞仏教センター研究交流サロン報告
提題 納富 信留 「「対話」とは何か――哲学から現代社会への問いかけ――」
討議 暉峻 淑子(コメンテーター)
■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」
藤原 智 「山王台」

「親鸞仏教センター通信」第54号 掲載Contents
PDFで全紙面を開く
巻頭言
本多 弘之 「新天地へ……願に生きよ、と。」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
講師 本多 弘之 「闇と明るみがいったいとなる」
報告 越部 良一
■ 第49回現代と親鸞の研究会報告
講師 上野千鶴子 「終末期ケアにおける宗教の役割―死にゆく人はさびしいか―」
報告 大澤 絢子
■ 第50回現代と親鸞の研究会報告
講師 平良 修 「沖縄を知る、日本を知る」
報告 大谷 一郎
■ 第13回親鸞仏教センター研究交流サロン
提題 西田 公昭 「カルト問題を再考する―宗教の〈魅力〉と人間の危うさ―」
討議 藤田 庄市(コメンテーター)
■ 『尊号真像銘文』試訳
内記 洸 「天親菩薩の銘文」(3)・(4)・(5)
■ 第12回親鸞仏教センターのつどい
講師 清水 博 「自己組織する地球の〈いのち〉―人間の死生観を超えて―」
講師 本多 弘之 「共に大悲の「場」を生きる」
■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」
藤原 智 「巣鴨監獄」
『アンジャリ』第29号
(2015年6月)
■ Contents
吉村 萬壱 「肺気腫と『ボラード病』」
白井 聡 「回帰する占領期」
野矢 茂樹 「こんな時代だからこそ、「哲学的な考え方」が求められている」
赤坂 憲雄 「いのちの思想を紡ぎなおすために」
福島 和人 「「個からの解放」としての「自利利他」の道」
堀川 惠子 「教誨師から教わった「生」の重み」
大田 堯 「かすかな光を求めて」
橘 ジュン 「10代20代の女の子たちが、等身大の自分のまま相談に来れる場所」
関川 夏央 「『舞姫』は明治人鷗外の「始末書」」
■ 連載
本多 弘之 「欲生心の象徴的自覚」(Ⅶ)
■ 巻末コラム
大澤 絢子 「見るということ」
>>>『añjali』一覧にもどる
『現代と親鸞』第29号
■ 研究論文
藤原 智 「『教行信証』「化身土巻」末における経典引用について――一貫する問題意識としての邪見――」
大澤 絢子 「大正期親鸞文学における「人間親鸞」像の変容――倉田百三から石丸梧平へ――」
■ 第45回現代と親鸞の研究会
長谷川 宏 「西洋の近代と日本の近代」
■ 『教行信証』「化身土巻・末巻研究会」
平 雅行 「顕密体制と専修念仏」
■ 第10回親鸞仏教センター研究交流サロン
【問題提起】
青木 省三 「生きづらさを考える――精神科外来から見えること――」
【全体討議】
冨岡 量秀(コメンテーター)
■ 第10回親鸞仏教センターのつどい
亀山 郁夫 「『カラマーゾフの兄弟』 と二十一世紀現代」
本多 弘之 「現代に向かっての親鸞教の課題」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(16)」
■ 研究ノート
名和 達宣 「西田幾多郎晩年の思索と『教行信証』――学習院西田幾多郎博士記念館(寸心荘)蔵書調査報告――」
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