今という『時』との出会い
菊池 弘宣 KIKUCHI Hironobu
- 「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは」
(今咲いている桜が、明日も咲いているはずだと思う心があだとなります。桜は散って見られなくなるかもしれません。夜中に嵐が吹かないとは言い切れないでしょう)
それは、親鸞が9歳の頃、発心し、出家・得度(僧に成ること)を決意したその夕暮れ時、天台座主の慈円僧正から「今日は時間も遅いから、得度式は明日の朝にしよう」と告げられた折、その返答として、親鸞が詠んだと伝えられている和歌である。すなわち、「大事なことは、先送りにしてはいけない。今、ここぞという時にすべきである」という意であろう。実際、親鸞がこの和歌を作成して詠んだかどうかは定かではない。ただそこには、親鸞が向き合った課題と通じているものがあるように思われるのである。
ある日の「スポーツニッポン」(新聞紙)の裏一面、2023WBC日本代表監督で、大谷翔平選手の二刀流の生みの親とも言われる栗山英樹氏が、「自然からのたより」という自身の連載コラムに、この親鸞が詠んだとされる和歌を取り上げておられるのを見て、いささか驚いた。栗山氏は、「自然が教えてくれる「時」」として、主にグラウンドの芝刈りをするタイミングの問題と関連して、この親鸞の和歌の言葉を思い出すのだという。芝が整わないと、野球そのものに影響を与えてしまうことになる、と。詳しいことは割愛するが、要は、自然の摂理とタイミング、チャンスの問題にちなんで、栗山氏は、自身の野球人生に根づいたユニークな視点で、親鸞の名に託された和歌の言葉を、教えとして受け取っておられるのだと感じた。
2024年は、その、MLBドジャースの大谷翔平選手の活躍に沸いた年だったと言えるだろう。投手と打者の二刀流ではなく、打者専念だったが、シーズンを通して素晴らしい活躍をしてくださって、とてもうれしかった。左肩の負傷は心配だが、最後まで勇姿を見せてくださって、深い感銘を受けた。その存在が、私自身の今を生きる励み・モチベーションにもなっていると言える。しかし一方で、いわゆる祭りの後の寂しさのような一抹の喪失感を感じると共に、私自身、自己中心的な興味関心の虜となって、本来の自己が失われているように感じるという、周りが見えなくなっているという、また、そういった在り方をこれから先も繰り返していかざるを得ないことを予感するという、そして、そのことによって、今、本当に向き合わなければならない大事なことを見失ってしまうのではないかという、そのような苦痛も同時に、味わわせられているのである。この問題をどう受けとめるべきなのだろうか。
親鸞が言う「本願力回向の信心」とは、『大無量寿経』第十八願成就文に基づくものであるが、その「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念」の「一念」について、親鸞は、自身の著作である『一念多念文意』で、
- 「一念」というは、信心をうるときのきわまりをあらわすことばなり。
(東本願寺出版『真宗聖典』〔以下、『聖典』〕、初版535頁、第二版654頁)
と解釈している。その「信心をうるときのきわまり」という表現について、「信心を獲得する時、その中の究極を表す言葉である」と読めるし、また、「信心を獲得するということ、すなわち時の究極を表す言葉である」とも読めるように思われる。いずれにせよ、時に関わる自己・主体という問題・課題をあらわしていると言えるのではないか。そして親鸞は、その「とき」の本質を、ことさら「臨終」の時に先送りする必要はないとし、「尋常の時節」・日常の「今」に見定め、「信心」を獲得するということによって、「今」という時は満ち極まるのだと、了解したのではないだろうか。
さらに、その内実を拝察すれば、いわゆる「機法二種深信」、すなわち「摂取不捨」という教えの言葉に照らされて、先に述べてきたような「迷いの自分自身の在り方」を失わない、そういう自分自身のすがたを明らかに知る。その上で、本来の一如・「一つである」という道理を憶念して、それを自身の直面する生活の現場で実現させることを課題にして生きる。と、私自身、そのように受けとめた。
要するに、「今、ここの自己自身による決定」という問題に集約されてくる。そういうわけで、冒頭の親鸞の出家・得度に関するエピソードの趣意は、親鸞の向き合った「信心」における課題に通底し、結実すると言えるのではないだろうか。
合わせて、このたび、オーストリアのユダヤ人精神科医・心理学者で、ナチスの強制収容所からの生還者であるヴィクトール・フランクルの以下の言葉が目に留まった。
- 生きるとは、問われていること、答えること
──自分自身の人生に責任をもつことである。 - ですから、生はいまや、与えられたものではなく、
課せられたものであるように思われます。
生きることはいつでも課せられた仕事なのです。
(V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』
〔春秋社、1993年〕所収「生きる意味と価値」57頁)
関連して、かつて大谷専修学院という場で、「問う者から問われる者へ」、「問われる者に成りなさい」というメッセージをいただいたことが、今、改めて憶い起こされてきている。
取り巻く状況が激しく変化し、物事がドンドン加速し、思考が先鋭化していき、関係性がいたるところで行き詰まりを迎えつつあると感じる、そういう只中にあって、時が極まるような今との出会いを切に願っている。
(2024年12月1日)

菊池 弘宣 KIKUCHI Hironobu
親鸞仏教センター嘱託研究員
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菊池 弘宣 KIKUCHI Hironobu
- 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」
- (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)
- それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。
(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)
大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。
- この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。
(同前、26頁~27頁)
「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。
その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。
さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。
一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。
- 一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。
- 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。
(中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)
私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。
たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。
いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。
仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。
一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。
尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。
(2023年3月1日)

菊池 弘宣 KIKUCHI Hironobu
親鸞仏教センター嘱託研究員
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