太った白人の家族――ネブワース2022旅行記 宮部 峻 MIYABE Takashi
今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。
原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。
メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。
さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat White Familyが出演していた。セールス的にいえば、それほど売れているバンドではないが、ダニー・ボイルが監督を務めた『T2 トレインスポッティング』にも曲が使用されるなど、注目を集めているバンドである。実は2019年3月に初来日公演が行われる予定で、私もコロナ前にチケットを取っていたものの、残念ながらパンデミックで中止になっていたのである。そんなこともあり、ネブワースで彼らのパフォーマンスが観られることを楽しみにしていた。
いざ登場すると、音源で聴いていた以上にシュールである。上半身裸で肌色のパンツを履いて、客席に飛び込むボーカルのパフォーマンスは、江頭2:50を想い起こさせる。マイクの前に仁王立ちするリアム・ギャラガーとは対極の存在かもしれない。
渡英前、てっきり私はFat White Familyは、イギリスでは人気なんだろうと思っていた。しかし、どうも大いなる誤解であったらしい。客席に飛び込んだ途端、ボーカルにはビールやら靴やら何やらいろんなものが投げつけられていた。最初は、「さすがフーリガンの国だ。歓迎の仕方が違うなあ」などと呑気に感心していたのだが、周りの反応をみると何やら苛立っている様子であった。私の前にいた高校生らしき集団は、耳を塞いで、「うるせえ」と言っていた。演奏が終わると、客の中には中指を突き立てる人もおり、私の後ろからは「Get Off!!(失せろ)」との声が聞こえた。後日、ネットで調べてみると、「最低のパフォーマンスだった」と書かれていた。舞台袖で嬉しそうに眺めていたリアムの息子、ジーンとレノンの反応とは対照的である。何が起きているんだ。
どうやらイギリス社会の根深い問題を現しているようである。Fat White Familyのメンバーには、移民の流れがあるらしい。対して、リアムのライブを観に来るファンの多くは、白人労働者階級である。第67回「現代と親鸞の研究会」で江原由美子先生がオーウェン・ジョーンズの『チャヴ』 を紹介しながらおっしゃっていたように、一部の白人労働者階級は、移民に対する怒りを抱いている。なるほど、こういうことかと身をもってわかった。よく考えてみれば、バンド名からして「太った白人の家族」である。挑発的だ。ロックンロールは人々の怒りを表現することがしばしばあるが、現代イギリスにおける歪み、そこから生まれる苛立ちがバンドと観客のパフォーマンスとして表現されていたわけである。
ちょうどそのときは、ジュビリーであった。かつてテムズ川で女王陛下に対して「ノー・フューチャー」とからかいを見せたセックス・ピストルズを支持したロックンロールのファンは、今、ジュビリーの只中で、移民のバンドに対して中指を突き立てる。このことは何を意味するのだろうか。そんなことをネブワースの芝生に寝転びながら考え、リアムの登場を待ったのであった。
(2023年1月1日)
宮部 峻 MIYABE Takashi
親鸞仏教センター嘱託研究員
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今との出会い 第213回「クソどうでもいい時代に対抗するために」 親鸞仏教センター嘱託研究員
宮部 峻
(MIYABE Takashi)
去年の8月に、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、岩波書店)という本が翻訳・出版された。世界的にも著名な学者が現代の労働環境を真面目に分析した本のタイトルに「クソどうでもいい」という言葉が入るのだから、世も末だな、と笑いながらも、この本の分析には、自分の周辺の状況と照らしてみても「なるほど」と納得させられるものがあった。
テクノロジーの進展とともに、人が生産に携わる労力は大幅に減少した。その代わり、コンサルタントやマーケティング、金融サービス、人材管理、広報といったサービス業が増大し、膨大な書類・手続き業務の割合も増加した。これらの仕事は直接には生産に携わっていないから、何のために仕事をしているのかと多くの人が苦悶する。にもかかわらず、いやだからこそ、書類作成や会議・ミーティングに熱心になり、自己啓発のためにセミナーにも出席する。しかし、これらの仕事がやはり世の中にとって本当に必要な仕事なのかはよくわからない。おかしな状況である。これまであまり問題化されてこなかったが、多くの人が無意味に感じてきた仕事を「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」とグレーバーは名付けている。ウィットに富んだ書き振りでありながらも、グレーバーが明らかにした現実は、あまりにも過酷なものである。
なるほど、膨大な書類仕事のように、人の役に立っているのかもわからない仕事に対して「ブルシット(クソどうでもいい、騙されている)」とついつい言ってしまいたくなる気持ちもわかる。というより、何を隠そう、私の口癖に近いものが少なからずある。私自身は、書類仕事が比較的少ない環境にいるはずだが、それでも関わらざるを得ない局面が少なからずある。
常日頃、私の言葉の汚さは「育ちの悪さによるのだろう」と思っており、周りにもそのように説明することが多い(だからと言って私の言葉に不快な思いをした人にとって許されるべきことではないのだが)。だが、この本によれば、どうもそうではないらしい。いわく、資本主義が生み出した現代社会の病理によるものだそうだ。私は育ちによるものとは限らないらしいと安心(?)するとともに、だとすると、これは根深い問題だと思った。個人の品性の問題ではなく、資本主義社会が原因で、不可避的に「クソどうでもいい」という言葉を発したくなる、あるいは発せずとも心理的にフラストレーションを抱えてしまう状況が作り出されているからだ。
仕事での怒りに似た感情や気持ちを沈めるのに、アンガー・マネージメントやマインドフルネスと言った手法も注目されている。しかし、「クソどうでもいい」という怒りにも似た感情を押し殺すだけであるなら、社会的な問題を個人の問題にすり替えたに過ぎない。なら、素直に「クソどうでもいい」と言うべきか。それとも、何か代わりの言葉を与えてやるべきなのだろうか。
言えそうなのは、怒りを宥めるのでもなければ、怒りを一人で抱え込むこともさせずに、その感情を自己へ、他者へ、社会へと表現する言葉を与えてやることが必要だということだ。それが今のところ「クソどうでもいい」という言葉なのかもしれない。ただ、代わりの言葉が見つかったとき、社会は良い方向へと向かっていくのではないか。こうした可能性に賭けてみたく思う。
(2021年1月1日)
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