巻頭言
本多 弘之 「「本願を宗とする」ということ」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告
講師 本多 弘之 「空しく過ぎるひとなし」
報告 越部 良一
■ 第63回現代と親鸞の研究会報告
講師 橋本 健二 「現代日本の階級社会とアンダークラス」
報告 大谷 一郎
■ 研究員と学ぶ公開講座2019報告
藤村 潔 「大乗の「信」を起こす— 『大乗起信論』を読む —」
東 真行 「「収容所の親鸞」という問い — ソ連領被抑留者の信仰を読む —」
戸次 顕彰 「般若波羅蜜の信と行— 『大智度論』を読む —」
■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻
菊池 弘宣 「「源空聖人の真影の銘文(隆寛による銘文) 」後半
■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」
東 真行 「岡本精一(1924〜1993)」
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■ 巻頭言
戸次 顕彰 「三宝としてのサンガ考」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
講師 本多 弘之 「本当の依り処」
報告 越部 良一
■ 第62回現代と親鸞の研究会報告
講師 佐藤 卓己 「「ポスト真実」時代の輿論主義と世論主義」
報告 田村 晃徳
■ 「三宝としてのサンガ論」研究会報告
講師 細川 涼一 「西大寺叡尊と非人―叡尊の自伝『感身学正記』を中心に―」
報告 戸次 顕彰
■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト
青柳 英司 「第2期への展望」
■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻
菊池 弘宣 「源信和尚の銘文」
■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」
速水 馨 「近角常観(1870〜1941)」
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今との出会い第200回「そもそも王舎城で―マガダ国王・頻婆娑羅(ビンビサーラ)考―」

親鸞仏教センター研究員
戸次 顕彰
(TOTSUGU Kensho)
その時に王舎大城に一(ひとり)の太子あり、阿闍世と名づけき。調達(デーヴァダッタ・提婆達多)悪友の教に随順して、父の王頻婆娑羅(びんばしゃら・ビンビサーラ)を収執し、幽閉して七重の室に置く。……
(『観無量寿経』『真宗聖典』89頁)
浄土三部経の一つ『観無量寿経』の序分は、世に「王舎城の悲劇」と呼ばれる出来事に直面した韋提希夫人を中心にして、浄土の教えが開示される因縁を説いている。ところで、この物語の登場人物である母・韋提希や、首謀者である阿闍世王・提婆達多は、多く注目される一方で、マガダ国王頻婆娑羅(以下、ビンビサーラ)には、一見影の薄いような印象がある。そこで限られた紙幅ではあるが、少々記しておきたい。
釈尊の教えや生涯の事績は、インドの部派によって伝承された聖典である経と律の中に記録されている。そして、これらの源流をたどれば、釈尊入滅直後にマガダ国の王舎城で開催された第一結集(『親鸞仏教センター通信』第68号「教えの伝承―第一結集について思うこと―」参照)に由来している(少なくともそのように伝承されている)。
特に、三蔵の中の「律蔵」には、釈尊成道後の仏弟子たちの「出家」「受戒」の経緯を詳細に記録する章があり、中でも漢訳『四分律』(受戒犍度)・『五分律』(受戒法)は、釈尊の成道以前の記録を残している点で注目される。その中の釈尊の「誕生」「出家」記事で必ず言及されているのが、「相師の予言」である。すなわち、三十二相を具えて誕生した太子(釈尊)を見た占い師(相師婆羅門)たちが、「この子が在家にとどまれば転輪聖王になり、出家すれば仏陀になる」と予言したという話である。
出家を決意した釈尊は、まず最初にマガダ国の王舎城を訪れたと記録される。このとき国王ビンビサーラは、宮殿を出てわざわざ釈尊のもとへ行って謁見し、「ぜひこの国にとどまり、私に代わって王になってほしい」と伝える。しかし、王の再三の慰留にも関わらず、釈尊は世俗の王として君臨することを拒否して、出家学道するという固い意志を表明した。(王は「相師の予言」を臣下からすでに聞いて知っていたということになっている。このエピソードの背景に、転輪聖王になるとの予言が大きく影響していることは言うまでもない。)
その際、釈尊は、王の要請を丁重に断りつつも、その代わりに「もし無上覚を成就したならば、あなた(ビンビサーラ王)に必ず会いに来る」と約束して王舎城を去ったのであった。
こうして釈尊は、六年の苦行ののち成道し、初転法輪などを経て、やがて三迦葉とその門弟たちを帰依させ、千人規模の大集団を形成した(このときの経緯については「「大比丘衆千二百五十人」考」『アンジャリ』第35号参照)。そしてこの後、かつての王との約束を思い出し、再び王舎城へ向かった。このとき王は八万四千の国民とともに釈尊を出迎え、王は竹林精舎を釈尊に寄進したと記録されている。ここで釈尊は、大国マガダにおいて宗教活動の拠点を得たのであった。
こうした文脈から明らかなことであるが、「相師の予言」は、単純に釈尊の偉大性を誇示するために語られ伝承されたものではない。この占いが流布してビンビサーラ王の耳に入ることがなければ、後に時代を動かす釈尊とビンビサーラ王との出会いは実現しなかったのである。
サンガは一人の宗教家の理念・理想だけでは動かない。後代に存続していかない。千人、千二百五十人という仏弟子がいて、さらにサンガを取り巻く国や民衆といった社会状況を背景に運営されている。実際、律に説かれる生活規則は、釈尊在世中においても、状況に応じて、随時追加・修正されている。釈尊の出発点において、王舎城の国王と民衆の帰依は、重大な意味をもっていただろう。未来へ仏法が伝承されていく起点となった第一結集がなぜ王舎城で開催されたのかという問題と併せて考えていかなければならないと思う。(この点についての問題提起は「再び王舎城へ―阿難最後の願いと第一結集の開催―」親鸞仏教センターホームページ「今との出会い」Vol.190参照)
釈尊晩年に起こった王舎城での事件は、提婆達多の阿闍世に対するそそのかしに端を発したことは周知の事実である。このとき、提婆達多は「汝、父を殺すべし、我、当に仏を殺さん。摩竭(マガダ)国界に於いて、新王新仏有らん」(『四分律』巻四、十三僧残法・三)という言葉で阿闍世に近づいていることに注意を要する。提婆達多が言う「新王新仏」とは、明らかにかつての王と仏を念頭に置いている。その王とは、阿闍世の父・ビンビサーラであり、仏とは釈尊である。提婆達多は、釈尊とビンビサーラ王との関係がうらやましかったのではないか。
(2020年1月1日)
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今との出会い第200回「そもそも王舎城で―マガダ国王・頻婆娑羅(ビンビサーラ)考―」
2022年9月29日
今との出会い第200回「そもそも王舎城で―マガダ国王・頻婆娑羅(ビンビサーラ)考―」 親鸞仏教センター研究員 戸次 顕彰 (TOTSUGU Kensho) その時に王舎大城に一(ひとり)の太子あり、阿闍世と名づけき。調達(デーヴァダッタ・提婆達多)悪友の教に随順して、父の王頻婆娑羅(びんばしゃら・ビンビサーラ)を収執し、幽閉して七重の室に置く。………
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今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」
2022年9月09日
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。 この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。…
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今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
2022年8月01日
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)…
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今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
2022年6月01日
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177…
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著者別アーカイブ
■ 巻頭言
藤村 潔 「祖父が生きていた「足跡」 」
■ 第16回親鸞仏教センターのつどい
講師 竹村 牧男 「往生のそのさきについて」
講師 本多 弘之 「願生心と菩薩道」
報告 大谷 一郎
■ 第5回清沢満之研究交流会報告
全体テーマ:「井上円了と清沢満之」
長谷川琢哉 「井上円了と清沢満之——仏教の近代化と「哲学」——」
星野 靖二 「井上円了と清沢満之——宗教と信の問題を焦点として——」
佐藤 厚 「井上円了と清沢満之——絶対・相対の関係と『大乗起信論』——」
岡田 正彦 (コメンテーター) 名和 達宣 (司会)
■ 第61回現代と親鸞の研究会報告
講師 山本 芳久 「トマス・アクィナスにおける「恩寵」と「自由意志」」
報告 青柳 英司
■ 「三宝としてのサンガ論」研究会報告
戸次 顕彰 「律蔵から読み解くサンガの特色―『四分律』受戒犍度を中心として―」
■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」
東 真行 「岩瀬 暁燈(1916〜1999)」
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■ 巻頭言
本多 弘之 「欲望と願生 」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
講師 本多 弘之 「願生、即ち得生」
報告 越部 良一
■ 『教行信証』と善導研究会・『尊号真像銘文』研究会報告
講師 金子 彰 「鎌倉仏家の注釈活動—親鸞遺文を通して—
報告 青柳 英司 「生きた宗教としての大乗仏教」
■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト
講師 杉岡 孝紀 「真宗学の〈解釈と方法〉をめぐる課題」
報告 名和 達宣
■ 「三宝としてのサンガ論」研究会報告
講師 河﨑 豊 「ジャイナ教の信仰と生活」
報告 戸次 顕彰
■ 研究員と学ぶ公開講座2018報告
テーマ:「語る/語られる仏者—伝承から読み解く仏教思想—」
戸次 顕彰 「仏法が伝承される歴史空間― 第一結集と『大智度論』―」
長谷川琢哉 「教育者としての井上円了・清沢満之」
青柳 英司 「親鸞が語る曇鸞 ― 『高僧和讃』を中心にして ―」
■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」
飯島 孝良 「小笠原秀實(1885〜1958)」
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今との出会い第190回「再び王舎城へ―阿難最後の願いと第一結集の開催―」

親鸞仏教センター研究員
戸次 顕彰
(TOTSUGU Kensho)
私事だが、仏教を研究するとき、律蔵などの戒律文献を読むことが比較的多い。これらには、高度な思想や哲学ではなく、現実の釈尊教団で起こった事件が多く記載されている。ここから、釈尊が目指していた理想のサンガや、仏教の方向性を読み取っていかなければいけないと思っている。とはいえ、私が研究対象としている文献の性格もあって、私の頭の中も何か思想的に難しいことを考えるというようなトレーニングを積むことができていないことは日々痛感することである。
そうであっても、物事を現実的に具体的に考えることによって、時には気づかされることもある。つい先日あらためて、釈尊最晩年の言葉と足跡が記録される『ブッダ最後の旅』(中村元訳、岩波文庫)を読む機会があった。もちろん学生のときに初めて読み、これまでも何度か目を通す機会はあった。この本の終盤、釈尊が間もなく臨終を迎えようとしている中で、釈尊が号泣する阿難(あなん/アーナンダ)に対して、およそ存在するものは必ず滅びるという道理を説いたあと、これまで侍者として支えてくれた阿難に対して次のように述べるシーンがある。
「アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来たれる人(=ゴータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」
(中村訳前掲書137頁)
「修行僧たちよ。過去の世に真人・正しくさとりを開いた人々がいた。それらの尊師たちにも侍り仕えることに専念している侍者たちがいて、譬えば、わたしにとってのアーナンダのごとくであった。修行僧らよ。また未来の世にも、真人・正しくさとりを開いた人々があらわれるであろう。それらの尊師たちにも最上の侍者たちがいて、譬えばわたしにとってのアーナンダのごとくであろう。」
(中村訳前掲書138頁)
これまで釈尊は阿難に対して、身近な存在だからこそ多少厳しいことも言ってきたことであろう。ここにある釈尊の言葉は、その阿難に対する最後のお礼だったのかもしれない。胸にジーンとくる感動的な場面である。
ところが、その釈尊に対する阿難の返答が一見奇妙なのである。
「尊い方よ。尊師は、この小さな町、竹藪の町、場末の町でお亡くなりになりますな。尊い方よ、ほかに大都市があります。例えば、チャンパ―、王舎城、サーヴァッティー、…(中略・引用者)…があります。こういうところで尊師はお亡くなりになってください。そこには富裕な王族たち、富裕なバラモンたち、富裕な資産者たちがいて、修行完成者(ブッダ)を信仰しています。かれらは修行完成者の遺骨の崇拝をするでしょう。」
(中村訳前掲書140頁)
もちろん釈尊は、この阿難の提案を退ける。そもそも80歳となって余命を自覚するほどの激痛をこらえる最中、大都市へ移動することなど困難だったはずだ。それなのに、なぜこの話の流れで、阿難はこんなことを言ったのだろうか。
この経典は、王舎城で「七不退法」を説いたあと、北上してクシナーラーで臨終するまでの釈尊の足跡が地理的な固有名詞とともに詳しく記載されている。クシナーラーの先には、釈尊の生まれ故郷があることから、そこを目指していたのではないかと推測される所以でもある。臨終後、摩訶迦葉(まかかしょう)も遅れて到着して、遺体は荼毘(だび)に付されるが、一行は再び王舎城へと戻り、そして第一結集の開催へと向かう。
なぜ、仏弟子たちはわざわざ王舎城に戻ったのか。摩訶迦葉も到着したのだから、その場で結集を開催できなかったのだろうか。あるいは、釈尊ゆかりの地がよいということなら、そのままカピラ城へ向かうことも選択肢としてあったのではないか。
しかし、一行は再び王舎城へと戻った。この不自然な動きについては、何日かかるかわからない500人規模の比丘たちの結集会議に、摩訶迦葉の要請で阿闍世(あじゃせ)王が食べ物を供給したという伝承が想起される(『大智度論』巻二)。たしかに衣食住を布施に頼る比丘たちの集いである。ここに生活上の問題があったことは、漢訳『四分律』の「唯だ王舍城には、房舍・飲食(おんじき)・臥具(がぐ)、衆多なり。我等(われら)、今、宜(よろ)しく共に往きて彼(かしこ)に集まり、法と毘尼(びに)とを論ずべし」(『四分律』巻五十四「集法毘尼五百人」)という諸比丘の提案からもうかがえる。
先ほどの阿難の発言は、侍者として釈尊入滅後のサンガの混乱をすでに予期していたと考えることはできないだろうか。このような小さな村でお葬式ができるのか、結集のような会議が行われるとして、多数の比丘が食べ物も得られない、宿泊もできない、このような場所で開催などできないという現実的な問題を心配していたのではないだろうか。阿難の言葉と、わざわざ王舎城に戻ったサンガの動きとが、重なってくるのである。
(2019年3月1日)
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今との出会い第190回「再び王舎城へ―阿難最後の願いと第一結集の開催―」
2022年9月29日
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今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」
2022年9月09日
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。 この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。…
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今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
2022年8月01日
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)…
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今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
2022年6月01日
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177…
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著者別アーカイブ
■ 巻頭言
戸次 顕彰 「教えの伝承 —第一結集について思うこと—」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
講師 本多 弘之 「別離久しく長し」
報告 越部 良一
■ 第60回現代と親鸞の研究会報告
講師 平川 克美 「21世紀の贈与論」
報告 大谷 一郎
■ 清沢満之研究会報告
講師 西本 祐攝 「「他力門哲学骸骨試稿」に学ぶ――研究の方向性――」
報告 長谷川琢哉
■ 英訳『教行信証』研究会報告
講師 ステファン・グレイス 「『教行信証』「証巻」における法身の「意志」問題―鈴木大拙の解釈を中心に―」
報告 田村 晃徳
■ 『尊号真像銘文』研究会報告
菊池 弘宣 「「『聖典』の試訳」『尊号真像銘文』研究会を再開するにあたって」
■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」
中村 玲太 「上杉慧岳(1892〜1972)」
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『現代と親鸞』第39号
■ 研究論文
戸次 顕彰 「四分律学の形成と義浄の批判―『四分律行事鈔』における律蔵引用の方針をめぐって―」
越部 良一 「穢土の往生(5)」
中村 玲太 「「一向他力」の主張とその波紋――證空・良遍とその系譜に着目して」
■ 『西方指南抄』研究会
末木 文美士 「菩薩の倫理とその根拠」
■ 第56回現代と親鸞の研究会
岸見 一郎 「よく生きるということ」
■ 第17回親鸞仏教センター研究交流サロン
【問題提起】
中野目 徹 「近代日本のナショナリズムを考える――「明治の青年」を事例にして――」
【全体討議】
中川 未来(コメンテーター)
■ 第14回親鸞仏教センターのつどい
水島 朝穂 「憲法の「古稀」について考える」
本多 弘之 「本願の国土」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
本多 弘之 「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(25)」
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■ 巻頭言
長谷川琢哉 「迷信と安心 」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
講師 本多 弘之 「一念の事実」
報告 越部 良一
■ 第59回現代と親鸞の研究会報告
講師 平川 宗信 「親鸞思想に立脚した憲法的刑法学を求めて―本願法学への歩みと現在―」
報告 菊池 弘宣
■ 第19回親鸞仏教センター研究交流サロン報告
提題 オリオン・クラウタウ 「「宗教」概念を考える―近代日本における「宗教」としての仏教の生成―」
討議 大平 浩史(コメンテーター)
報告 戸次 顕彰
■ 『教行信証』と善導研究会報告
青柳 英司 「『念仏鏡』について」
■ BOOK OF THE YEAR 2018
●『日本的ナルシシズムの罪』(堀有伸著)
紹介者 本多 弘之
●『青白く輝く月を見たか?Did the Moon Shed a Pale Light?』(森博嗣著)
紹介者 中村 玲太
●『オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家』(鈴木薫著)
紹介者 青柳 英司
●『「利己」と他者のはざまで―近代日本における社会進化思想』(松本三之介著)
紹介者 長谷川琢哉
●『『こころころころ はがきで送る禅のこころ』(横田南嶺著)
紹介者 飯島 孝良
●『陰謀の日本中世史』(呉座勇一著)
紹介者 佐々木 啓
●『『にせものほんもの』(野間清六著)
紹介者 浅平 宗
■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」
戸次 顕彰 「赤沼智善(1884〜1937)」
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『アンジャリ』第35号
(2018年6月)
■ Contents
志 人 「我、未だ「蘖」につき
林 佳世子 「イスタンブル・聖ソフィアでの祈り」
彌永 信美 「「東洋学」の発展的解体に向けて―「自分史」から回顧しつつ」
石井 公成 「「厩戸王」騒動が示すもの」
水野 和夫 「資本主義の終焉とこれからの社会」
杉山登志郎 「児童精神科の外来から見えるもの」
岡 檀 「生き心地の良さとは何か―日本で“最も”自殺の少ない町の調査から」
三上 修 「仏と神と鳥類多様性」
坂口 幸弘 「亡き人の生きた証の伝承」
■ 連載
本多 弘之 「宗教と根本言」(Ⅲ)
■ 巻末コラム
戸次 顕彰 「「大比丘衆千二百五十人」考」
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