『現代と親鸞』第52号
■ 研究論文
大胡 高輝
『教行信証』における『十住毘婆沙論』引文の位置(上)
――入初地品引文の焦点をめぐって――
■ 「宗教と教育」研究会
岡野 八代
ケアの倫理からみた人間観
■ 親鸞と中世被差別民に関する研究会
髙橋 昌明
戦後日本中世史学における(被差別)身分研究の流れ
■ 連続講座「親鸞思想の解明」
本多 弘之
本願回向の行信 ――『一念多念文意』を読み解く―― (3)
大胡 高輝
『教行信証』における『十住毘婆沙論』引文の位置(上)
――入初地品引文の焦点をめぐって――
岡野 八代
ケアの倫理からみた人間観
髙橋 昌明
戦後日本中世史学における(被差別)身分研究の流れ
本多 弘之
本願回向の行信 ――『一念多念文意』を読み解く―― (3)
繁田真爾 SHIGETA SHINJI
1907年といえば、年初に日露戦争後の恐慌が始まり、自然主義文学の傑作として名高い田山花袋『蒲団』が発表された年である。それ以来、実に118年ぶりのことだという。
このたび6月1日に施行された、新しい「刑法」のことである。1907年に現行の刑法が制定されて以来、初めて刑罰の種類が変わり、「拘禁刑」と呼ばれる刑罰が新設された。これまで、刑事施設への拘束をともなう刑罰のほとんどは、労働(刑務作業)を義務とする「懲役刑」であった。この懲役刑と、(ほとんど形骸化していた)禁固刑を一本化して、新しく「拘禁刑」が創設されたのである。
この小文を書いているのは、5月下旬。改正を間近に控えて、世論もそれなりに賑やかになるかと思っていたが、そのような声はあまり聞こえてこない。118年ぶりに私たちの刑罰が変わるという、まさに歴史的な節目にもかかわらず、である。
刑法・刑罰・懲役・拘禁などというと、どれもお堅い制度の用語として、私たちにはどこか縁遠いものに感じられるのかもしれない(そもそも刑法が「表記の平易化」をめざして口語体・ひらがな表記になったのも、ようやく1995年のことだから、それも無理はない)。
しかし、今回の刑法改正の眼目は、実は「懲らしめ」から「立ち直り」へと、刑罰の目的を明確化することにある。たとえば刑事施設では、懲役を義務としないことで、薬物や性犯罪等の矯正プログラム、あるいは医学的な治療などを受けられる機会を大幅に増やすことも可能になる。これまでの懲役が、まさに文字どおり「懲らしめ」のための労働を科していたのに対して、これは大きな変化だろう。
もちろん「懲らしめ」から「立ち直り」へと、刑罰の目的がねらいどおりに転換するかどうか分からない。古くは“勧善懲悪”、21世紀に入っては“自己責任”と、犯した過ちに対する責任を問い、応分の処罰を求めてきた私たちの社会が、「懲らしめ」からどれだけ離れられるのか、今のところ未知数だろう。
また「懲らしめ」と「立ち直り」は、法や刑罰の世界に限られるものではない。家庭や教育、あるいは職場をはじめとする社会組織など、人と人とが寄り集まり、何かしらの規範やルールが成立する集団では、さまざまな「懲らしめ」と「立ち直り」、そして両者の間での揺らぎや葛藤が存在するだろう。子どもの成長を長い目で見守る親でありたいと願いつつ、家庭のルールを破った我が子に対して、つい声を荒げたり、ペナルティを科したりするのも、私たちの日常にありふれた光景であろう。
去る5月17日、東京都内のとある場所で、モンゴルの元大統領・エルベグドルジ氏の講演を聴く機会があった。モンゴルで、2017年に死刑制度の廃止を実現したことで知られる人物である。当時モンゴルでは国民の8割以上が死刑制度を支持していたが、それを政治判断で廃止した経緯などが語られ、興味深く聴いた。
氏は、どうして日本では今でも死刑が存続しているのか、その理由を聴衆の私たちにききたがっていた。「懲らしめ」から「立ち直り」へと、刑罰の理念を変えていこうとしている日本の現在。「懲らしめ」の最たるものであり、「立ち直り」を一切認めない死刑制度について、私たちはこれからどのようにその必要性を説明することになるのだろうか。「立ち直り」を支え、それが可能な社会を本気で目指そうとしているのか、私たちの覚悟が問われているのだと思う。

親鸞仏教センター嘱託研究員、東北大学大学院国際文化研究科, GSICSフェロー。
明治学院大学、中央大学、日本大学、東京医療保健大学、各非常勤講師。
早稲田大学台湾研究所招聘研究員。
加来 雄之
安田理深『興法』論文群における「実践」と「寂滅(本来性)」
――安田理深による「衆生」の「基礎づけ」(二)――
全体テーマ 宗教と家族――教えの継承と多様性
【提題Ⅰ】宗教二世と家族
菊池 真理子
【提題Ⅱ】性の多様性と日本仏教の現在地
若佐 顗臣
【提題Ⅲ】日本仏教と家族
大谷 由香
総合討議
コメンテーター 武内 今日子・加来雄之
全体テーマ
戦後歴史学と宗教研究――教科書からこぼれおちたものを「民衆」・「宗教」からみる――
【提題Ⅰ】芳賀幸四郎からみる戦中戦後の仏教史(禅文化史)を手がかりに
飯島 孝良
【提題Ⅱ】服部之總の親鸞・蓮如論が問いかけるもの――戦後日本宗教史研究の一断面――
近藤 俊太郎
【提題Ⅲ】安丸良夫の民衆史研究が問いかけるもの――歴史研究と宗教史研究の対話のために――
繁田 真爾
総合討議
コメンテーター 加藤 陽子
本多 弘之
本願回向の行信 ――『一念多念文意』を読み解く―― (2)
宮部 峻(J-Stageで公開)
親鸞から日蓮へ?
── 社会学史における浄土真宗理解についてのノート──
「ケアの倫理」から考える宗教教育の可能性
──真宗大谷派学校連合会の刊行物に注目して──
磯野 真穂
「わかりやすい救済」に抗うために
──リスク管理社会の人間観──
全体テーマ
世紀転換期の宗教思想運動Ⅱ
──近角常観・日蓮主義・哲学館──
【問題提起Ⅰ】
碧海寿広
近代仏教における「人格」の問題
──近角常観の修養批判──
【問題提起Ⅱ】
ブレニナ・ユリア
青年求道者と日蓮(主義)
── 雑誌『妙宗』における信仰告白の分析から──
【問題提起Ⅲ】
長谷川琢哉
「 宗教思想運動」としての哲学館
── 井上円了の仏教改良と哲学館出身者たち──
全体討議 コメンテーター 赤江 達也
コーディネーター 繁田 真爾
本多 弘之
本願回向の行信 ──『一念多念文意』を読み解く ── (1)
繁田 真爾 SHIGETA Shinji
2023年10月、秋も深まってきたある日。岩手県の盛岡市に出かけた。目当ては、もりおか歴史文化館で開催された企画展「罪と罰:犯罪記録に見る江戸時代の盛岡」。同館前の広場では、赤や黄の丸々としたリンゴが積まれ、物産展でにぎわっていた。マスコミでも紹介され話題を呼んだ企画展に、会期ぎりぎりで何とか滑り込んだ。
実はこれまで、同館では盛岡藩の「罪と罰」をテーマとした展示会が三度ほど開催されてきた。小さな展示室での企画だったが、監獄の歴史を研究している関心から、私も足を運んできた。いずれの回も好評だったようで、今回は「テーマ展」から「企画展」へ格上げ(?)したらしい。今回は瀟洒な図録も販売されたが、会期末を待たずに完売。若い来訪者も多く、「罪と罰」に対する人びとの関心の高さに驚かされた。
展示をじっくり観覧して、とくに印象的だったのは、現在の刑罰観との違いだ。火刑や磔や斬首など、江戸時代には苛酷な身体刑が存在したことはよく知られている。だがその他にも、(被害者やその親族、寺院などからの)「助命嘆願」が、現在よりもはるかに大きく判決を左右したこと。「酒狂」(酩酊状態)による犯罪は、そうでない場合の同じ犯罪よりも減刑される規定があったこと。などなど、今日の刑罰との違いはかなり大きい。
現在の刑罰観との違いということでは、もちろん近世の盛岡藩に限らない。たとえば中世日本の一部村落や神社のなかには、夜間に農作業や稲刈りをしてはならないという法令があった。「昼」にはない「夜の法」なるものが存在したのだ(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』)。そして現代でもケニアのある農村では、共同体や人間関係のトラブルの解決に、即断・即決を求めない。とにかく「待つ」ことで、自己―他者関係の変化を期待するのだという。この慣習は、人が人を裁くことに由来するさまざまな困難を乗り越える一つの英知として、注目されている(石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義:東アフリカ農村からの法人類学』)。
「罪と罰」をめぐる観念は、このように時代や場所によって大きな違いがみられる。まさに“所変われば品変わる”で、今ある刑罰観が、確固とした揺るぎない真理に基づいているわけではないのだ。
だとすれば私たちは、いったい人間の所行の何を「罪」とし、それを何のために、どのように「罰する」のだろうか。そして罰を与えることで、私たちはその人に何を求めるのだろうか(報復?それとも改善?)。そのことがあらためて問われるに違いない。そして「罪と罰」は、おそらく刑罰に限らず、社会規範・教育・団体規則・子育てなど、私たちの社会や日常生活のさまざまな場面にわたる問題でもあるだろう。
それにしても江戸時代の盛岡では、なぜ酒狂の悪事に対して現代よりも寛容だったのだろうか。帰宅後に土産の地酒を舐めながら、そんなことに思いをはせた。
(2024年3月1日)

親鸞仏教センター嘱託研究員、東北大学大学院国際文化研究科, GSICSフェロー。
明治学院大学、中央大学、日本大学、東京医療保健大学、各非常勤講師。
早稲田大学台湾研究所招聘研究員。

浄土に生まれるとは 本願を信ずるということ
講師 本多 弘之
「わかりやすい救済」に 抗うために
―リスク管理社会の人間観―
講師 磯野 真穂
世紀転換期の宗教思想運動Ⅱ
―近角常観・日蓮主義・哲学館―
報告 碧海 寿広
報告 ブレニナ・ユリア
報告 長谷川琢哉
菊池 弘宣 「聖覚和尚の銘文」③

SHIGETA Shinji
日本史・思想史・宗教教誨
1980年山口県光市生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
東北大学大学院国際文化研究科, GSICSフェロー(現職)。
明治学院大学、中央大学、日本大学、東京医療保健大学、各非常勤講師(現職)。
早稲田大学台湾研究所招聘研究員(現職)。
日本学術振興会 科学研究費助成事業 特別研究員奨励費 特別研究員奨励費「近代日本における「監獄教誨」成立史の研究―犯罪・刑罰・宗教―」(2019〜2022)
日本学術振興会 科学研究費助成事業 若手研究「「悪」の統治実践と人間観をめぐる近現代日本の思想史的研究―監獄教誨・死刑・宗教―」(2022〜2025)
第14回 日本思想史学会奨励賞 『「悪」と統治の日本近代:道徳・宗教・監獄教誨』(法藏館、2019年)
日本近代仏教史研究会、日本思想史学会、『宗教と社会』学会、日本宗教学会、
researchmapを参照。
吉本 隆明 「日本浄土系の思想と意味」
【インタビュー】
安丸 良夫 「親鸞思想の現代的意義――「人生史に即した回り道」を経由して――」
【解説】
繁田 真爾 「安丸良夫の民衆史研究と「親鸞」」
【追想】
名和 達宣 「インタビューを終えて――「最後の安丸良夫」と「親鸞問題」――」
本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(24)」
中村 玲太 「『西方指南抄』所収『法然聖人御説法事』から見る法然の思想遍歴」
井手 英策 「尊厳と思いやりが交響する財政―次の世代がその次の世代とつながるために―」
加来 雄之 「「対偽対仮」という営み――「顕浄土方便化身土文類」の課題――」
全体テーマ:「清沢満之から問われるもの――異領域間の「対話」は可能か?――」
【問題提起】
繁田 真爾 「方法としての〈清沢満之〉の可能性――「悪」と近代への問い」
名畑直日児 「清沢満之再誕――その歴史的意味」
杉本 耕一 「今村仁司の清沢満之論と「宗教哲学」の課題」
【全体討議】
岩田 文昭(コメンテーター)・名和 達宣(司会)
【追想】
岩田 文昭「杉本耕一君の逝去を受けて」
下田 正弘 「称名念仏と浄土―現代の思想的課題からの照射―」
本多 弘之 「深層意識の自覚化」
本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(21)」

講師 本多 弘之 「名が行となるということ」
報告 越部 良一
講師 内藤 正典 「イスラームとその世界―私たちが知っておくべきこと―」
報告 田村 晃徳
講師 加来 雄之 「「対偽対仮」という営み―「顕浄土方便化身土文類」の課題―」
報告 藤原 智
テーマ 「清沢満之から問われるもの―異領域間の「対話」は可能か?―」
繁田 真爾 「方法としての〈清沢満之〉の可能性―― 「悪」と近代への問い ――」
名畑直日児 「満之再誕―― その歴史的意味 ――」
杉本 耕一 「今村仁司の清沢満之論と「宗教哲学」の課題」
岩田 文昭(コメンテーター) 名和 達宣(司会・企画)
内記 洸 「善導大師の銘文」(2)
名和 達宣 「鎌倉市稲村ヶ崎・寸心荘」