近現代『教行信証』
研究検証プロジェクト
研究紀要
― 第8号 ―
◆ 特別企画報告
プロジェクトメンバー座談会
近現代『教行信証』研究の「これまで」と「これから」
― 序・創造的解釈・親鸞像 ―
本多弘之・加来雄之・大胡高輝・青柳英司
名和達宣・藤原 智
◆ 研究論文
『教行信証』の慶長本と源覚本について
― 坂東本との近似性に関する一考察 ―
青柳英司
◆ 研究レポート
三浦叩石筆録『安田理深師述 信巻別序考一』
(解題・翻刻・解説)
加来雄之
「顕浄土真実信文類三」(信巻)標挙
青柳英司
一覧に戻る
1冊1,000円(送料無料)でご購入いただけます。バックナンバーも取り揃えておりますので、下記バナーからお申し込みください。


近現代『教行信証』
研究検証プロジェクト
研究紀要
― 第7号 ―

◆ 研究会報告
近世真宗教学の課題 ― 特に成立期を中心として ―
三浦真証
◆ 研究論文
🔗『教行信証』解釈の〈方法〉をめぐって(下) ─「創造的解釈」の可能性は如何─
名和達宣
◆ 研究レポート
顕浄土真実信文類序(別序)
青柳英司
『教行信証』における「後序」の位置付けについて ─ 呼称の変遷と史実性をめぐる議論 ─
藤原 智
安田理深筆録 曽我量深「『教行信証』「後序」講義」 二篇(解題・翻刻・解説)
加来雄之
一覧に戻る
1冊1,200円(送料無料)でご購入いただけます。バックナンバーも取り揃えておりますので、下記バナーからお申し込みください。
仏教と現代文化
―新しい仏像からマンガやゲーム、
ネット空間の最新表現まで―

特集趣旨
現代の多くの日本人にとって、仏教は縁遠いものに感じられるかもしれません。ですが、博物館で開催される仏像の展覧会はとても人気が高く、マンガやゲーム、音楽やYouTubeといったものの中に、仏教的な要素が見られることも決して珍しいことではありません。現代の日本人が、仏教的な「何か」に魅かれることがあるのは確かなようです。また、様々な現代文化のコンテンツを通して、仏教を少しでも身近に感じてもらおうとする実践も、積極的に行われています。
そこで今回の特集では、現代の文化的事象の中に見られる仏教的な要素と、現代文化を通した仏教の発信について、様々な立場の方々からご論考・エッセイをお寄せいただきました。
長い歴史と伝統があり、ともすると古いものと思われがちな仏教と、最先端の現代文化との接点について、改めて考えてみたいと思います。
2024年3月1日

青柳 英司 AOYAGI Eishi
親鸞仏教センター嘱託研究員
>>>Next マンガと仏教
目次にもどる「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」
青柳 英司 AOYAGI Eishi
- 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
- (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる)
(「正信偈」『聖典』206頁)
「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。
その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。
では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。
梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。
そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。
これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。
さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。
すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。
彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。
その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。
しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。
侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。
ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。
また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。
この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。
では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。
梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。
武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。
ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。
その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。
悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。

青柳 英司 AOYAGI Eishi
親鸞仏教センター嘱託研究員
>>>「今との出会い」一覧
>>> TOPページへもどる
近現代『教行信証』
研究検証プロジェクト
研究紀要
― 第6号 ―

◆ 研究会報告
🔗「近現代『教行信証』研究検証プロジェクト 第三期に向けて」
加来雄之
「真宗教学史における慶秀の位置と教学理解」
伊藤顕慈
◆ 研究論文
🔗「『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』の2つの序の結びに置かれた「標語」」
加来雄之
◆ 研究レポート
🔗「顕浄土真実教文類一」(教巻)承前
青柳英司
一覧に戻る
1冊1,200円(送料無料)でご購入いただけます。バックナンバーも取り揃えておりますので、下記バナーからお申し込みください。
■ 巻頭言
本多 弘之 「時間的な存在から超時間の課題へ」
■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告
講師 本多 弘之 「「難中の難」ということ」
報告 越部 良一
■ 研究員と学ぶ公開講座2022開催報告
報告 加来 雄之
報告 中村 玲太
報告 青柳 英司
報告 谷釜 智洋
報告 宮部 峻
■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻
菊池 弘宣 「聖覚和尚の銘文」②
>>>Back
ボードゲーム『即身仏になろう!』に寄せて

青柳 英司 AOYAGI Eishi
親鸞仏教センター嘱託研究員
ある日、SNSで1つの投稿が目に留まった。
【本日発売】『即身仏になろう!』 新感覚即身仏体験ゲーム!
うほっ!? 思わず、変な声が出てしまった。
『即身仏になろう!』は、神戸を拠点にするクリエイター集団「グループSNE」が製作したボードゲームである。ゲームというと、「ゲーム機やスマートフォンを使ってするもの」というイメージが強いかもしれないが、駒やカードを使う非電子型のゲーム(これを本稿ではボードゲームと呼ぶ)の人気も根強い。たとえば、囲碁や将棋、トランプや花札、双六や麻雀などは、遊んだことのある人も多いだろう。
さらに近年、従来とはまったく違った新たなボードゲームが次々と世に出ており、その中には仏教を題材としたものもあるのである。その1つが、本稿で取り上げる『即身仏になろう!』だ。
では、そもそも即身仏とは何なのか? これは簡単に言えば、ミイラ化した僧侶のことである。即身仏を目指す者は、山に籠って身体を酷使すると共に、穀物の摂取を断つ。受戒した僧侶は、そもそも肉や魚を食べることができない。そのため、穀物を断つと口にできるのは、木の実や樹皮などに限られてしまう。また、臓器の腐敗を防ぐために、人体に有害である漆を飲むこともあったという。
こうして体中の脂肪を落とし、骨と皮だけになった後は、「土中入定」と呼ばれる段階へと進む。木棺に入ったまま、地下約3メートルの深さに造られた石室に降ろされ、弟子たちが入口を塞ぐのである。
真っ暗な土の中で、即身仏を目指す僧侶は水すら飲まずに、ひたすら読経を続ける。地上との繫がりは、換気用の竹筒1本だけである。その外で、弟子たちが決まった時刻に鐘を鳴らし、土中の僧侶も鳴らし返すことで生存確認を行う。音が返って来なくなると、それは修行の完成である。僧侶は即身仏と成り、永遠の禅定に入ったと見做される。
すると、弟子たちは竹筒を引き抜いて穴を完全に埋め、遺言で定められた日数が経った後に掘り起こす。そこで遺体が朽ちていなければ、法衣を着せられ、厨子の中に安置されることになる。
この即身仏の思想的淵源は、真言宗の開祖・空海(774-835)の即身成仏説にあるとされる。しかし、上述のような即身仏を目指す修行は、真言宗の中でも一般的なものではなく、基本的には近世の東北地方に見られる現象であった。その理由は様々に考察されているが、一説には、飢饉に苦しむ民衆の救済を願うものであったとされている。
さて、話をゲームの方に戻そう。
『即身仏になろう!』を初めて見た時、正直、「これは売れるのか?」と思った。
筆者は、通っていた小学校の図書室になぜか即身仏の漫画があり、なぜか筆者はそれを読んでいたので、即身仏の存在については幼いころから知っていた。しかし、一般の人は即身仏に関心など無いのではなかろうか。そう思ったのである。
だが、それは杞憂だったらしい。初版はすぐに完売したようで、現在はルールを少し修正した第二版が発売されている。そこでここでは、第二版の内容に沿いながら、『即身仏になろう!』の概要を紹介してみたい。
このゲームは、100枚ほどのカードを使って行うカードゲームであり、トランプのように2人から5人で遊ぶことができる。ゲームの流れとしては、以下の3つのフェイズを各自で進めていくことになる。
(1)五穀集めフェイズ:修行に入る前の、最後の食事をするフェイズ。五穀(米・粟・麦・大豆・黍)のカードを集めることを目指す。
(2)五穀断ちフェイズ:五穀に対する未練を断っていくフェイズ。手札の五穀カードを全て捨てることを目指す。このフェイズでのみ、「漆茶」を飲んで身体を浄めることができる。
(3)土中フェイズ:土中の石室に入る最後のフェイズ。全ての煩悩(手札)を捨てて、即身仏になることを目指す。このフェイズでのみ、「入定」を実践することができる。
この3つのフェイズを通して、プレイヤーは菩薩点(勝利点)を集めていく。菩薩点を獲得する方法は様々で、「最も早く次のフェイズに進む」「最も多くの漆茶を飲む」「最も多く入定する」などがある。最終的に、最も多くの菩薩点を獲得したプレイヤーが勝者だ。
このゲーム、各フェイズによって目的が変わるため、様々なジレンマを抱えることになる。「五穀集めフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードをまったく引かないこともあるし、「五穀断ちフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードばかりを引いて、断ちがたい食への執着を痛感させられることもある。また、「手札の上限枚数は7枚」というルールがあるため、序盤に「漆茶」や「入定」をたくさん引いてしまうと、五穀を揃えるために捨てざるを得ないという局面にも遭遇する。
さらに、他のプレイヤーに自分の手札を1枚押し付けることもできるため、もう少しで成仏というタイミングで、思わぬ妨害が入るということもある。ただ、この点は第二版になって、「「土中フェイズ」でのみ手札の同名のカードは同時に何枚でも捨てられる」、という仕様に変更となったため、初版の時の面倒臭さはかなり軽減された。
このように『即身仏になろう!』というゲームは、実際の即身仏修行の雰囲気を存分に残しつつ、競技としても十分に楽しめるものとなっている。
もちろん、仏教をゲームにしてしまうことに、抵抗を覚える方もいるだろう。しかし、仏教が一般の人々にとって、敷居の高いものになって久しいのも事実である。特にこのゲームは、我々は煩悩によって苦しむという事実を、ゲームシステムとして再現している。即身仏は、近世のムーブメントのようなものであるとも言えるし、現代において即身仏を目指すという人はいないだろう。けれど、現代の日本人にも、仏教的な「何か」に魅かれるところがあり、『即身仏になろう!』というゲームは、その端的な表象であると見ることもできるように思う。筆者は、その「何か」を丁寧に掘り起こしていきたい。そして、もっと変な声を出したい。このゲームから、そんなことを考えさせられた。
青柳 英司 AOYAGI Eishi
親鸞仏教センター嘱託研究員
>>>『añjali』TOPへもどる

今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」

親鸞仏教センター嘱託研究員
青柳 英司
(AOYAGI Eishi)
日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。
この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。
では、現代の日本において、南無阿弥陀仏はどのような場面で使われ、どのように理解されているのだろうか。ここでは、日本のポップ・カルチャーの代表である「漫画」を取り上げ、一般的な日本人にとって、南無阿弥陀仏とは何であるのかを考えてみたい(ただし、仏教的なものが直接のテーマとなっている漫画は、すでに論じているものがあるため、ここでは敢えて取り上げなかった)。
筆者の管見に入った南無阿弥陀仏の用例は、以下の6種に大別される。 なお、漫画は煩を避けるために、関連するものを1つずつ挙げるに留めた。
A、キャラ付け
金城宗幸/ノ村優介『ブルーロック』(講談社)
主人公のチームメイト・五十嵐栗夢(いがらし ぐりむ)は、寺の息子という設定。このように、登場人物の特徴を際立たせるために、(何の脈絡もなく)南無阿弥陀仏が使われることがある。
B、弔いの言葉として
鳥山明『ドラゴンボール』(集英社)
敵のロボットの首を吹き飛ばしてしまい、手を合わせる主人公の孫悟空(そん ごくう)。
C、呪文として
うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』(集英社)
クリスマスの夜に現れた幽霊に対して、「ナムアミダブツ」を連呼するピヨ彦。それによって、幽霊が消滅しかけている。このようなシーンにおける南無阿弥陀仏は、何の効果も発揮しないことが多い。そのため、この描写は、極めて例外的なものであると言える。
D、危機的な状況における祈りの言葉として
アジチカ/梅村真也/フクイタクミ『終末のワルキューレ』(コアミックス)
神々と人類との最終闘争(ラグナロク)が始まるシーンで、必死に念仏を唱える僧侶。
このようなシーンの念仏は、何の効果も発揮しない「虚しい祈り」である場合が多い。
E、他者を攻撃する(殺す)際の言葉として
手塚治虫『シュマリ』(小学館)
登場人物の1人である十兵衛(じゅうべえ)は、敵の腕を切り落とす際に「ナムアミダブツ」と呟く。
このような念仏には、相手への弔い、または贖罪の意味が籠められていると思われる。
F、その他
オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』(小学館)
主人公の弟・古見笑介が、米粒に南無阿弥陀仏を書き入れるシーン。なぜ、南無阿弥陀仏なのかは、よくわからない。
以上のように、南無阿弥陀仏は様々な文脈の中に登場する。
ただ、法然や親鸞の思想に沿った用例は皆無であり、それどころか、往生や成仏を願うという例も、ほぼ見られない。むしろ、現代日本において南無阿弥陀仏という言葉には、特定の宗派性を越えた仏教的(宗教的)表象という役割が、与えられているように思われる。
一方、近年の漫画ほど、南無阿弥陀仏を漢字で表記する傾向が強いように感じられる。最早、仮名の表記では、南無阿弥陀仏は宗教的表現として十分に機能しないと、見られるようになっているのかもしれない。現代の日本において南無阿弥陀仏は、仏教性や宗教性を表わすフレーズとして、確固たる地位を占めているように見えるが、それが今後も続くという保証は、どこにも無いのである。そのことを我々は、確かめておくべきであろう。
最後になったが、南無阿弥陀仏が出てくる漫画は、明治大学の学生諸君から教えてもらったものが多い。この場を借りて御礼申し上げる。
(2022年9月9日)
最近の投稿を読む

今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
2022年8月01日
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)…
続きを読む

今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
2022年6月01日
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177…
続きを読む

今との出会い 第229回「哲学者とは何者か」
2022年5月01日
今との出会い 第229回「哲学者とは何者か」 親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一 (KOSHIBE Ryoichi) 今、ヤスパースの『理性と実存』を訳しているので、なぜ自分がこうしたことをしているのかを書いて見よう。…
続きを読む

今との出会い 第228回「喪失の「永遠のあとまわし」―『トロピカル〜ジュ!プリキュア』論―」
2022年4月01日
今との出会い 第228回「喪失の「永遠のあとまわし」―『トロピカル〜ジュ!プリキュア』論―」 親鸞仏教センター嘱託研究員 長谷川 琢哉 (HASEGAWA Takuya) 娘が4歳になって幼稚園に通うようになると、プリキュアを見るようになった。それまでは恐竜や妖怪の人形でおままごとをしていた娘が幼稚園の友達の影響でプリキュアを見るようなったことに対しては、感慨とともに若干の寂しさを覚えたが、私が日曜朝の『トロピカル~ジュ!プリキュア』(以下、『トロプリ』。ABCテレビ・テレビ朝日系列にて放送)を娘と一緒に楽しみにするようになるまでほとんど時間はかからなかった。…
続きを読む
No posts found

著者別アーカイブ
『añjali』WEB版スピンオフ企画
有識者へのインタビュー
Interview 第27回 池田行信氏(後編)

浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職
池田 行信
(IKEDA Gyoshin)
Introduction
2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。
(東 真行・青柳 英司)
【今回はインタビュー後編を掲載、前編・中編はコチラから】
──今回のご著書では、注釈のみならず、「補遺」欄にとても重要な事柄が多く書かれていると感じました。たとえば、多田鼎の龍樹理解について近代における言説の伝播を探られ、あるいは、コロナウイルス感染拡大の状況下における生老病死の受けとめについても言及があります。また、私が特に重要と感じたのは村上速水の見解を取り上げて、「文献解釈の落とし穴」について書かれている点です。そこでは親鸞の思索過程を重んじることなく、整備された教義理解を他の者に強制するという問題が指摘されています。これは親鸞自身の問題というよりも、親鸞が明らかにした教法を大事に思う、あらゆる人々にとっての重要課題であると考えます。私たちはこの問題をいかに捉え、乗り越えていけるとお考えでしょうか。
■親鸞の「プロセス」を課題とする
池田 村上速水先生は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であると述べています(『註解』459頁)。その「結論」を解釈しようとすれば、「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味では、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されるのではないでしょうか。
信楽峻麿先生は「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉えると共に、村上先生のいう「プロセス」「厳しい道程」を自己の課題として、主体的に問題にして「主客一元論」に立った信心理解を提起しています。(慈願寺blog「真宗余聞(6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)」 を参照のこと)
また、小林一茶は『おらが春』において、さらに木越康先生は『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』において、「他力」を解釈する難しさについて言及していますが、これらのテーマは、今日「慈悲」をどう理解するかという課題に通じているように思います。(前掲blog「補遺(213)文献解釈の落とし穴――ボランティアは自力?」を参照のこと)
『歎異抄』第4条の「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」の理解について、田中教照先生はその著『現代文「歎異抄」に学ぶ親鸞の教え』(235頁)にて、「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」は、「区別」して、どちらを取るかという問題ではなく、「聖道の慈悲」から「浄土の慈悲」への「転換」の必要性を述べているのだと指摘しています。一茶が『おらが春』に記した「他力縄に縛られる」(『註解』214頁)という話や、ボランティアは「聖道の慈悲」だというような見解は、「区別」のレベル、言い換えれば、「解釈」のレベルで、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」(『註釈版』834頁、『聖典』628頁)ことを「自力」と否定してしまうあり方ではないでしょうか。
そうではなく、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題として、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」ことが難しいと知ったならば、「浄土の慈悲」「大慈大悲心」が要請されて来るのではないでしょうか。はじめから「浄土の慈悲」という「結論」、言い換えれば「浄土の慈悲」のみが正しいという「区別」、建前に依拠して解釈するから、人間の自然な感情でもある「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」、道徳的な感情としても否定しきれない感情を、「自力作善」として否定してしまうことになりやすいのではないでしょうか。村上先生はこの「結論」、建前からの議論の陥穽を指摘しているように思います。
このように、いわば後世の宗学の型にはめた、「結論」の押しつけに縛られているありようを、一茶は「他力縄に縛られる」と語ったと理解することもできるのではないでしょうか。
■私的な祈り
池田 この点に関連して、ひとつの例をご紹介します。たとえば、新型コロナウイルス対策として、各種の行事が中止や延期を余儀なくされています。そして、それは必要なことと思います。
では新型コロナウイルスの終息を「祈る」ことはどうでしょう。日本の仏教教団は、「戦勝祈願」した戦時下の動向を戦後に深く反省し、そのことを表明してきました。このことについては、たとえ、それが当時の善意にもとづく「祈り」であったとしても、公的責任が問われるべきです。では、私的な「祈り」は、どうでしょう。もちろん公的責任が問われることはないと思います。しかし、もし教団が私的な「祈り」を抑圧するとしたら、どうでしょう。
ある坊守様から聞いたのですが、その方が学生時代にある先生からお聞きしたお話だそうです。その先生が学校に通学される時、お母様がお寺の山門の下で、「大難を小難に、小難を無難に」ととなえて、毎日見送ってくださったというのです。息子に災難が起こることは避けようがないけれども、それを少しでも小さなものに、というのが、そのお母様の心だったということです。
このお話を聞いて、その坊守様は自分も子どもを授かることがあったら実行しようと思ったそうです。その後、結婚をし、子どもが生まれ、その子が山門から見えなくなるまで、合掌してその言葉を繰り返しているそうです。そのことを、また別の坊守さんにお話しした時、「真宗でそんなことをするのはおかしい」と、あっさりと言われたそうです。そう言われても、今も子どもを見送る時に、相変わらず続けているとのことでした。
本願寺派では三業惑乱以降、「祈り」を非常に警戒し、「心経験」つまり、心での経験、意識作用までを「意業」とし、「他力信心」は「非意業」というのが教学上の建前になっているようです。真宗者の日常生活の現場にあっては、「『祈ります』とは言いません、『念じます』と言います」ということになり、「祈る」が否定され、代わりに「念じる」が使用されているようです。多くの僧侶や門信徒のあいだでは、浄土真宗の教えにおいては「念じる」は認められても、「祈り」は否定されていると理解されているのが現状ではないでしょうか。
しかし、参考までに述べますと、恵信尼様は「後世をいのらせたまひける」(『註釈版』811頁、『聖典』616頁)と、「祈り」という言葉を使われています。親鸞聖人と恵信尼様の、夫婦の会話の中での言葉です。親鸞聖人が実際に「祈り」という言葉を使ったかどうかは判然としませんが、恵信尼様が「祈り」という言葉で教えの一端を理解していたことは間違いないでしょう。夫婦の会話の中では「祈り」と理解されていたのだと思います。
この「祈り」という言葉については、誤解を生じる恐れがあるから用いることのないように、という暗黙の了解が教団内にはあるのだと説明されることもあります。しかし、教団の中でのこういった暗黙の了解が、多くの僧侶や門信徒に共有されてきたとも思えません。結果として、「真宗でそんなことをするのはおかしい」という一言であっさり片づけられ、「大難を小難に、小難を無難に」という、ひとりの人間の心にさえ寄り添うこともできないのではないでしょうか。そもそも、そのような暗黙の前提をもつ教学理解は、教団内の多くの僧侶や門信徒はもとより、教団外の不特定多数の人々にも開かれたものとは言えないでしょう。
先に「逆縁」ということを申しましたが、「逆縁」は新たな創造的解釈が生まれてくる契機ともなり得るものです。あるいは、これまで「寄り添う」とも申してきましたが、私が寄り添うのみではなく、そもそも私たち自身も苦悩の中にいるのです。親鸞聖人であっても、流罪の苦悩を経られたわけです。宗祖がなぜ『教行信証』といった大部の著作を書かれたのか。あるいは宗祖なき後になぜ『歎異抄』が書かれなければならなかったのか。そこから、これまで言葉にならなかった教学が生まれてきたのです。そこには痛みや悔しさがあったのではないかとも思います。「ありがたい・もったいない・おはずかしい」と言って済ませられない苦悩を経て、言葉が紡がれてきたのです。そのような言葉を生み出してきた教団であればこそ、信頼に値すると私は思います。
もちろん「大難を小難に、小難を無難に」という言葉は、仏教の信仰そのものに関わる表現ではないのかもしれません。しかし、この場合でいえば少なくともそう願い祈る、ひとりの人間の心に寄り添うことができるような視点からの、「祈り」の考察が必要ではないでしょうか。教団内の暗黙の了解が理解できる者にしか通用しない教学では、高尚なる宗学の奥義ではあり得ても、次世代に対する責任を担う教学とはならないように思います。
かつて安田理深先生の講義をお聞きしていた時に、あるご年配の女性の方が聞きに来られていました。その方が休憩時間に「すみません。先生が「しゅうじ」(「種子」)と仰っているのですけれど、あれは何ですか。お習字のことですか」って、私に聞いたのです。安田先生は本当にすごい先生だと、その時に思いました。そういうおばあちゃんたちにも懇々と仏教としての浄土真宗を説いて、そういった方々の生活のレベルにまで何かが響いているわけです。
宗教は最終的には「面々の御はからひ」(『註釈版』833頁、『聖典』627頁)であると思います。しかし、「結論」に至る「プロセス」で、今悩んでいる人間がいるならば、建前からの議論、建前からの説教ではなく、今悩んでいる人間の、「結論」に至る「プロセス」に寄り添うことのできる、そういう教学的営為が要請されているのではないでしょうか。
親鸞聖人が「結論」に至る「プロセス」に寄り添うことを、自己の課題とした教学的営為は、たとえば『教行信証』の「三願転入」を読み解くことで理解できるかも知れません。または、道綽禅師や善導大師による「本願取意の文」や「本願加減の文」として知られる、第十八願文の書き換え(『註解』394頁)や、親鸞聖人における、教行証の三法組織から教行信証の四法組織への展開は、まさにこの「結論」に至る「プロセス」に寄り添うがゆえの教学的営為であったようにも思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
(前編はコチラ)
池田 行信(いけだ ぎょうしん)
1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。
著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。
最近の投稿を読む

Interview 第27回 池田行信氏(後編)

Interview 第26回 池田行信氏(中編)

Interview 第25回 池田行信氏(前編)

Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④

Interview 第23回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」③
No posts found
アーカイブ
メニュー