いのちの境界線で

飛  浩隆 TOBI Hirotaka

SF作家

■特集を捉える[総説]

  「死にたいなんて言うなよ」

  「諦めないで生きろよ」

  そんな歌が正しいなんて

  馬鹿げてるよな

2021年の「紅白歌合戦」で流れた「命に嫌われている。」(作詞・作曲カンザキイオリ)は、この特集の冒頭の設問を繰り返すかのように、「命という言葉」と「僕らの生」とのへだたりを歌う。

この歌は、もとはボーカロイド——命なき歌い手のために書かれた。

私SF小説を書く者としてここへお招きいただいたわけだが、池澤春菜氏の論考にあるとおり、SFはとっぴな題材や設定、自然科学の冷徹さを用いて、くりかえし「命」の既成概念にゆさぶりを掛けてきた。

SFの中で人類が滅亡したのは一度や二度ではない。サイボーグ化や遺伝子操作で知力体力を増強し「人類でないもの」に変化することもたびたびある。「人間によく似ているが人間ではないもの」(たとえば鉄腕アトムや、映画「ブレードランナー」に登場するレプリカント)も枚挙にいとまがない。スタニスワフ・レムの『ソラリス』は生命の概念そのものを大きく拡大し深い衝撃をもたらした。

SFはそうやって、ふだんは見えない「いのちの素顔」を見ようとしているのだ。

しかしいま、われわれはSF作品の外で、そんな「揺さぶり」を見ているように思える。

2020年と2021年は、気候変動がもたらす数々の災害と新型コロナウイルス感染症が、我々の脳裡に「滅亡」の二文字をちらつかせた。SNSとフェイクは人々の認知を振り回し、傷心と分断を広げて已まない。ロボット工学は軍事転用され、無辜の死者を大量に生むだろう。受精卵のゲノム編集はもう可能だ。生命は情報的に編集可能となり、まもなく非生命との境界があいまいになるだろう。いま「いのちの素顔」は水面の波紋のように危うくゆらめいている。

いのちは祝福だと思いたいけれど、それはやはりフィクションだから、貧困と孤立が深まり反出生主義がつぶやかれる時代では、たやすく剝がれ落ちる。カンザキイオリはそれを「嫌われている」と表現し、しかし歌の最後で「嫌われながらも生きる」可能性を見出した。

その望みを私たちに歌いかけてくれるのはボーカロイド——命なき歌い手だ。

たぶんこの先しばらく、人間は、そのような「命なき者」の力を借りながら、世界との関係修復を試み試み生き延びていくだろう。たとえば——

未知の感染症を鎮圧する。気象の未来を予測し、経済活動と折り合いをつける道をさがす。経済の果実を分配し、かつて友人だった敵と停戦する。もしかしたら和解する。

そのうち、人類は自分たち以外の生命を宇宙のどこかに見出すかもしれない。

そんな瞬間を書き留めた、チャーミングな短編小説をご紹介したい。

柞刈湯葉(いすかりゆば)の「人間たちの話」だ(同題の短編集がハヤカワ文庫から刊行されている)。

火星のとある岩石の隙間で生じている化学反応と、それを観測し分析する科学者の群像、そのひとりの私生活を描くこの作品のタイトルが、なぜ「人間たちの話」なのか、読みすすめることで、少しずつ少しずつ、しみとおるように理解されていく。

いのちが祝福だというのはフィクションだが、じぶんや他人を祝福するためには、やはり生きていなければならない。この年末、本作を読み返してそんな当たり前のことを思った。池澤春菜さんが紹介した名作といっしょに、この作品の名も記憶してくださるとうれしい。


飛  浩隆 TOBI Hirotaka

近著に『SFにさよならをいう方法』(河出書房新社)等。

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『アンジャリ』第37号

(2019年6月)

■ Contents

阿刀田 高 「小説〈CHUJOH〉という酒場」

飛  浩隆 「若い友人への手紙」

加藤 秀一 「亡き人を〈悼む〉こと、「死者」を忘れること」

本間 美穂 「当事者の声の聞かれ方」

宝生 和英 「強かな中世――真の文化の多様性に向けて――」

栗原裕一郎 「緊縮は人心のデフレ、お金は愛」

山野 浩一 「「吉本隆明」という名の安心感」

佐藤  研 「キリスト教徒の禅」

早坂  類 「的となるべきゆふぐれの水」

■ 連載

本多 弘之 「宗教と根本言」(Ⅴ)

■ 巻末コラム

中村 玲太 「無辺の大地を想え」

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