親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 法蔵願心が、まずは「自力」の意欲(第十九願)から出発することを選ぶのは、衆生の曠劫(こうごう)以来の流転の歴史に応じているからだ、と述べた。この願の成就文を、親鸞は『大無量寿経』下巻の三輩段であるとしている。三輩は『観無量寿経』では九品(くほん)に分けられている。三輩と九品とは、同じく人間の差異に応じる文であると、源空も見ている。これは、衆生に与えられた因縁の違いが、仏法の機として区別されるということである。そもそも十方衆生と呼びかける法蔵願心からするなら、あらゆる機類に平等に呼びかけたいと発願したのではなかったか。それが因縁の相違で分かれてくるのはなぜか。それは衆生の流転の歴史を映して、それぞれの機類の事情をまずは受け入れるということなのではなかろうか。

 『観無量寿経』に取り上げられる家庭悲劇を起こした阿闍世(あじゃせ)について、善導はその出生の背景を語っている。それは悲劇の因縁が、『涅槃経』にも説かれていて、そこに阿闍世の宿業が語られている。そこから説き起こした善導は、父母の子どもがほしいという欲の結果、阿闍世が生まれたと言うのだが、しかし、阿闍世は彼自身の「業識(ごっしき)」を因として生まれたのであって、父母はどこまでも外縁(げえん)であるとしているのである。

 人がそれぞれの業識という因から生まれてくるということは、それぞれの存在の背景が皆、別業であって、それに感ずるところに、別業所感の個体が誕生するのだ、ということである。それによるなら、個体に呼びかける如来の願心が、類に随っておのおの感じられる別行を教えるし、それを聞こうとする衆生のほうも、自分の因縁に相応する行を選び取ることになろう。法蔵願心もそれを承知していて、まずは諸行から説きだすのであると思う。

 しかし、衆生の真実の救済は、各発(かくほつ)の菩提心や別業の所感のところにあるのではない。一切の衆生の存在の平等性を開示するために、法蔵願心はその悲願に応えるための方法を「五劫思惟」したのではなかったか。そして、そのために一切衆生の大地たるべき国土を建立すると誓ったのであろう。如来の「欲生心」は、衆生に「我が国に生まれんと欲え」と呼びかけるのだが、その如来の願心(親鸞はこれを勅命と言う)に動かされながらも、自力の執心しか湧かない衆生は、諸行を自力の努力で行じて、如来の国土に生まれていこうと欲いたつのである。

 この大悲の如来の願いと衆生の意欲とのすれ違いを、善導は『観無量寿経』の教説に存する義の違い(隠顕という)で示しているのである。

(2017年4月1日)

最近の投稿を読む

FvrHcwzaMAIvoM-
第257回「存在の故郷」⑫
第257回「存在の故郷」⑫  人間は合理的な生活を追求してきたのであるが、現代のいわゆる先進国の人びとは、はたして生きることに満足が与えられているのであろうか。忙しく情報に振り回されているのが実態なのではないか。そして孤独と憂愁にとりつかれ、不安の生活に沈んでいくことが多いのではないか。  現代社会はこの方向に進展し、資本主義社会において功利性を追い求め、合理性を追求する結果、人間の本来性から遠ざかっていくように思われてならない。その合理性の追求は、真理の基準を人間の理性に置いているのだが、その方向が遂にAIをも生み出し、人間自身の存在の意味すら危ういものとされてきているのである。...
FvrHcwzaMAIvoM-
第256回「存在の故郷」⑪
第256回「存在の故郷」⑪  曇鸞が気づいたことは、第十一願のみではなかった。第十八願の成就を意味づけるために、第二十二願をも加えているのである。第十八願に第十一願・第二十二願を加えることによって、浄土への往生を得た衆生に大乗菩薩道の完成たる仏の位を与え、人間存在の完全満足たる大乗仏教の大涅槃(阿耨多羅三藐三菩提)の成就を与えるのだと、明らかにされたのであった。...
FvrHcwzaMAIvoM-
第255回「存在の故郷」⑩
第255回「存在の故郷」⑩  阿弥陀の本願の中に、「必至滅度の願」(『教行信証』「証巻」、『真宗聖典』〔以下『聖典』〕初版280頁、第二版319頁。親鸞は『無量寿経』の異訳『無量寿如来会』により「証大涅槃の願」〔同前〕とも呼んでいる)が語られている。曇鸞はこの願が、浄土の利益を表す願であると気づいた。それは、曇鸞が仏道の究極目的を見定めながら、自身の挫折体験を通して無量寿経の本願を見直したとき、当然出会うべき事柄であったと言えよう。実は曇鸞がこのことを表現したのは、天親菩薩の『浄土論』解義分の結びにある「速やかに阿耨多羅三藐三菩提(無上菩提)を成就することを得る」(『大正新修大蔵経』第36巻、233頁a。原漢文)という言葉を解釈するためであった。...

テーマ別アーカイブ