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濁浪清風
「願に生きる」ということ(12)
   善導が「十四行偈」(『観無量寿経疏』)において表そうとした「横超断四流」の意味を、「信巻」において論ずる親鸞の意図は、どういうところにあるのであろうか。横超が「願成就」の「真宗」を表すものだというのは了解可能であるが、「断」の一字に「「断」と言うは、往相の一心を発起するがゆえに、生として当に受くべき生なし。趣としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果滅す。かるがゆえにすなわち頓に三有の生死を断絶す。かるがゆえに「断」と曰うなり」(『教行信証』信巻、東本願寺出版『真宗聖典』〔以下、聖典〕、244頁)と注釈をされている。「すでに」とあるのだから、信心を獲るときに、生死の迷いを超えることを表現している。

  これはどう見ても信心の内実を、直接、現在的に表わそうと意図したものであるに相違ない。この親鸞の意図を、言うところの「竪」の意識の内面に起こる「証」と見ることは、いかにも無理がある。凡夫とは、煩悩と共に生きる存在であって、六趣四生の因果や欲界・色界・無色界という三有の生死を超えることはできないのであり、そもそも「信巻」での問題解明なのであるから。それなのにここでは、「一心を発起」するなら「生死を断絶」すると言い切っている。

  これは「横超」というときの「横」が、一般の時間軸を「竪」とするなら、その軸を「横」に切断する「時」が、「横」軸のごとく存在すると見ているのではないか。竪軸が時間なら横軸は空間を表現するものだと言えば、我らには理解可能となるだろう。この横軸を「横」の時間として、本願力が凡夫に開こうとする宗教的救済の時を示している、と見られたのではないか。先回に表現したように、『無量寿経』が「横截五悪趣 悪趣自然閉」と語るところを、この善導の「横超断四流」に対照していることから、これが浄土の利益でありながら、それを衆生の「信心」の利益として示すために、竪に対する「横」なる「菩提心」を用いると共に、その成就の「時間」をも「横」で表そうとされたのではないか。

   「横」で表される時間とは、竪で考えれば、今生どころか、弥勒菩薩でさえ五十六億七千万年かかるとされる時間が、一挙に「今現在」に、本願力に出遇う即時に成就するのだとされる。「願生彼国 即得往生」とある願成就の文を、本願力に遇うならば、即時に不退転を獲得すると解する意図もこれで読めてくる。「本願力にあいぬれば 空しくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」(「天親讃」、聖典、490頁)と言われるのも、願力と「あいぬる」ことが、現在完了の形で「煩悩の濁水」を隔てないというのである。これが、横超の時間として「今現在」に成り立つ願力との値遇ということなのである。(了) (2021年6月)

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