親鸞仏教センター研究員
戸次 顕彰
(TOTSUGU Kensho)
「私は『法華』の経文を読んで、地涌の上首上行を以て提婆達多であると信ずる。私は地涌の菩薩とは『大無量寿経』の法蔵菩薩の大願海に印した「十方衆生」であると信ずる。すなはち寿量品の久遠の釈尊とは法蔵菩薩そのひとであると信ずる。」
曽我量深「地涌の人」(『曽我量深選集』第3巻)
『法華経』本門の冒頭に位置する「従地涌出品」は、本門の中核ともいうべき「如来寿量品」への接続を考えるうえで極めて重要な意味をもつ章である。本章は、他の仏国土の諸菩薩が、釈尊の滅後にこの娑婆世界で『法華経』を広めることを願い出るシーンから開始される。ところが釈尊はその菩薩たちの要請を却下する。そこで突如として出現するのが無数の地涌(じゆ)の菩薩である。地涌の菩薩は、この娑婆世界において釈尊自らが教化した菩薩であるとされる。この出現を目の当たりにした弥勒(みろく)菩薩は、成道(じょうどう)から四十余年しか経ていないわずかな時間で、なぜこのような数えきれない菩薩を教化できるのかと疑問を抱く。この弥勒の疑問に応答するかたちで久遠(くおん)のいのちをもつ仏陀の存在を説く「如来寿量品」が開かれるという流れである。
世間一般では、この地涌の菩薩について、身命をかえりみず一生懸命努力する人を形容する際に用いることもあるらしいが、冒頭の引用は、曽我量深の「地涌の人」という短い文章の中にあった一節である。曽我には他にも「日蓮論」(『曽我量深選集』第2巻所収)という大部の文章があり、親鸞と日蓮との対比を課題にしていた様子もうかがわれる。これは親鸞の立場から日蓮を批判した文章として見ることができるかもしれないが、実はそう単純に日蓮批判として受けとることができないところに曽我の論説の興味深い点がある。
ところで「地涌の人」という文章中で曽我は、多くの大乗経典に登場する文殊菩薩や観音菩薩などの広く知られた菩薩たちを「天・降の大士」と呼ぶ。それは地・より涌(わ)き出たあの菩薩たちと対照させるためである。いま我々が立っているこの大地にこそ、曽我の着眼があるのであろう。
「地涌の菩薩ばかりは八万四千の既成概念にあてはまらない」と述べる曽我の言葉は、書かれた文字だけを拠り所にし、文字の形を離れることができないような経典の読み方について再考を促している。だから地涌の菩薩の出現は「門余の大道」であるという。
いま文献研究が問われている。曽我の警鐘に耳を傾けつつも、仏道において仏典を読むという行為の意味を考えていかなければならない。それともう一つ、曽我はなぜそれほどに日蓮を意識したのであろうか。今後も継続して考えていきたい。
(2018年5月1日)