親鸞仏教センター嘱託研究員
大谷 一郎
(OTANI Ichiro)
最近、「不良な子孫の出生を予防」などを目的に定められた旧優生保護法下で、遺伝性の疾患や精神障害、知的障害を理由に強制的に行われた不妊手術が1万6000件あったことが盛んに報道されている(日弁連によると全国で手術を受けた約8万4000人のうち、約1万6000人が同意なく強制的に不妊手術をされたという)。
この一連の動きは、今年の1月、宮城県の60代の女性が知的障害を理由に15歳の時に強制不妊手術を受けさせられたことに対し、国に補償と謝罪を求めて提訴したのがきっかけである。この方の場合は「遺伝性精神薄弱」が強制手術の理由だが、実際の障害は1歳のときに受けた口蓋裂手術の麻酔が原因であり、他に精神障害のある親族もいないということだ。いわば、根拠もないのに無理やり15歳の少女に不妊手術がおこなわれたのだ。
このニュースを目にして思い出したことがある。もう10年以上前になるが、真宗大谷派の僧侶の研修で、岡山にある「長島愛生園」というハンセン病療養所を訪れたのだ。国は1931年「癩予防法」の制定により、全国各地に療養所を作り、癩病患者を強制的に隔離させた。大谷派も法律の制定と同時に収容者の救護、慰安を目的にした「大谷派光明会」を設立し療養所の収容者に対して、「ここで静かに一生を終えることが国家のためになるのだ」という、いわゆる慰安布教をおこない、無批判に国の政策を徹底させることに加担してきたのだ(大谷派は1996年の「らい予防法」廃止にともない、謝罪声明を出している)。
この研修の趣旨は、療養所に1泊し、実際に収容者の方々のお話を伺い、大谷派がしてきたことを冷静に見つめ、ひとりの人間、僧侶として自らの思索を深めていくというものだったと思う。
そのときに収容者の方から、療養所内で結婚するときには、避妊手術するのが前提であり、もし妊娠した場合は強制的に堕胎させられたということを初めて伺った。資料だったと思うが、堕胎された胎児のホルマリン漬けの写真を見たときの衝撃は今でも忘れられない。
ハンセン病は感染力も弱く、1947年の段階でプロミンという特効薬により完治する病気であることがわかっていながら隔離政策や不妊手術は続けられていたのである。
これらの被害者は肉体的にも精神的にも二度と取り戻すことができない深い傷を負い、怒りと憤り、悲しみだけが残る。
なぜこのようなことが起こるのか。手術をした医師にしろ、慰安布教をした僧侶にしろ、本人たちは、社会の為に善いことをしているのだという意識がその行為を支えているのではないか。その行為は、本当にしても大丈夫なのか、もしおこなった場合、その人は今後どのような人生を送るのか、という自らに対する深い問いかけをせず、うわべだけの社会正義に基づく想像力を欠いた思考停止が、結果として人の人生を奪っていくのだ。これは今、私たち自身も自らに問いかけなければならないことだと思うのである。
(2018年7月1日)