親鸞仏教センター嘱託研究員
中村 玲太
(NAKAMURA Ryota)
私は孤独の椅子を探して、都会の街街(まちまち)を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。(萩原朔太郎「虚無の歌」、『四季』1936年5月号)
なんだか北区は暑く感じる。言いがかりなのは承知である。必要に迫られてであるが、引っ越してからというものよく歩くようになった。余計に暑さを感じるのは仕方ない。特に歩くのは田端周辺であるが、この一帯は戦前には多くの芸術家、文士が集まった地であり田端文士村と呼称されている。この田端に居を構えたこともあるのが詩人・萩原朔太郎(1886~1942)である。以前、この朔太郎の作品群をキャラクター化した朔を主人公にした漫画、清家雪子『月に吠えらんねえ』(アフタヌーンKC)についてこんなブックレビューを書いたことがある(※『月に吠えらんねえ』巻三についてである)。
次々と戦争を讃える詩人たちに、熱狂にうずもれていく人々。みんな愉快に「同じ顔」して踊り続けていける。悲惨な現実なんていらない、詩人に求められているのは「夢」であり、生んでほしいのは「ひとりの夢より/みんなの夢を」――鋭く現況を問いながらも、この熱狂にうずもれていく朔は、犀に次のような言葉を投げかける。
言葉は
現実を覆すことはできないけど
同じ夢はみせられるよ
振り返るとこのときに意識した問題は、「言葉」が見せる夢についてでありそれ以上のものはなかった。しかし「ひとりの夢より/みんなの夢を」、今はこの一節がどうしても頭から離れない。「みんなの夢」を生むことの問題。ちなみにこの一節は、『月に吠えらんねえ』を特集した『現代詩手帖』2018年6月号でも複数の人が取り上げている(特に川口晴美「これから『月に吠えらんねえ』を読むシ人たちへ」は必読である)。
確かに我々凡夫は煩悩具足の身であり、「ひとりの夢」にも際限はないのかもしれない。しかし、勿論個人差はあるが現実的には、ひとりで叶(かな)えられる夢には限度がある。心から夢見る範囲にもある程度の限度があることは身に染みているのではないだろうか。だが、ひとりでは思いもよらない夢も「みんな」であれば思い描くことができるかもしれない。家族、友人、クラス、学校、会社や教団、そして国。個人では到底実現できないスケールの願望を「みんな」であれば夢見れる。それを一概に悪だとは言えないであろうし、そうした大きな主体がなさねばならないことは確かにある。しかし、その熱狂させる「みんなの夢」はもはや〈個〉ではどうすることもできず、〈個〉を飲み込みながら暴走し得るのも歴史が教えるところであろう。
松尾匡はこう論ずる。
私利私欲を求めることこそ諸悪の根源と考えて、みんなが利己心を抑えて社会のためにつくす世の中を目指した人も多かったのです。こうなると往々にして、人間が利益を求めることを価値の低いことのように見下してしまいます。利益を超越した理念を追うことこそ価値の高いことだと。/こんな態度がいきつくと、現実の人間を理念の手段として踏みにじってしまいますので注意しなければなりません。はなはだしくは、たくさんの人命を平気で犠牲にするようになってしまいます。
(『新しい左翼入門――相克の運動史は超えられるか』講談社現代新書、2012)
これは理念を掲げる者だけの問題ではなく、「みんなの夢」に共鳴して自己の利益を容易(たやす)く放棄するだけの魅力を感ずる凡夫の問題でもある。「みんなの夢」が見せる熱狂に人命を、己を超えるような誘因があると言ってもよいであろう。
その熱を問う、〈個〉の視点はどこまでも忘れずにいたい。
(2018年9月1日)