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― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

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今との出会い 第228回「喪失の「永遠のあとまわし」―『トロピカル〜ジュ!プリキュア』論―」

親鸞仏教センター嘱託研究員

長谷川 琢哉

(HASEGAWA Takuya)

 娘が4歳になって幼稚園に通うようになると、プリキュアを見るようになった。それまでは恐竜や妖怪の人形でおままごとをしていた娘が幼稚園の友達の影響でプリキュアを見るようなったことに対しては、感慨とともに若干の寂しさを覚えたが、私が日曜朝の『トロピカル~ジュ!プリキュア』(以下、『トロプリ』。ABCテレビ・テレビ朝日系列にて放送)を娘と一緒に楽しみにするようになるまでほとんど時間はかからなかった。

 2004年から放送が始まったプリキュアシリーズは、少女が「伝説の戦士プリキュア」に変身して戦うことを軸としたテレビアニメである。『トロプリ』の敵は「あとまわしの魔女」。それに対する主人公の夏海まなつ=キュアサマーがモットーとするのは、「いま一番大事なことをやる」である。

 プリキュアをほぼはじめて見る私は、「あとまわしの魔女」がラスボスであることを知り、なるほど現代において「敵」として設定されるのは「あとまわし」といったもので、プリキュアは子供に教訓的なメッセージ(「何事もあとまわしにしてはいけません」といったもの)を与えるアニメなんだな、と迂闊にも考えていた。

 しかしその予測は完全に裏切られた。物語が進むにつれて「あとまわしの魔女」は何かを抱えているらしきことが暗示され、最終回付近になってその秘密が明らかになる。

 「あとまわしの魔女」は、もともと世界を破壊することを使命として生まれた「破壊の魔女」であった。かつて人間に危害を加えていた破壊の魔女は、人間からの抵抗を受けて痛手を負い、洞窟に身を隠した。そこで一人の少女アウネーテに出会う。アウネーテは魔女に治療をほどこし、食事を与えた。魔女は少しずつ心を開き、二人の間に友情が育まれていく。しかし傷が癒えると、魔女は再び破壊へと向かった。それがもって生まれた魔女の使命だからである。破壊の魔女が再び人間の世界へ侵攻を始めると、そこに行く手を阻む「伝説の戦士・キュアオアシス」が現れ、魔女と戦うことになる。そしてこのキュアオアシスこそが、アウネーテであったのだ。魔女は自分を助け、心を通わせた相手と激しい戦いを繰り広げるが、決着がつかなくなる。そこで魔女は「決着は明日にしよう」とオアシスに告げ、その場を立ち去ってしまう。翌日、部下からオアシスとの決着を促された魔女は、「明日にしよう」と戦いを先延ばしにする。そしてその翌日も、そのまた翌日も「明日にしよう」、「明日にしよう」とあとまわしをひたすら続けていく……。やがて人間であるアウネーテ=オアシスは寿命を迎え、対峙すべき相手そのものがこの世からいなくなってしまう。魔女と人間では寿命の長さがどうしようもなく違うのである。そして魔女はその後も「あとまわし」を続け、ついには自分自身が何をあとまわしにしているのかすら忘却するのである。あとまわしの魔女は以後も(ほとんど惰性的に)破壊活動を続けるが、実際のところ彼女が本当に成就しようとしていたのは、「永遠のあとまわし」だったのだ。

 あとまわしの魔女の物語は「大切なものの喪失」が主題となっているとみることができる。「永遠のあとまわし」とは、この世で唯一心を通わせた友人を失った魔女が、その喪失に直面することを(永遠に)避けるために生み出した心の働きであった。しかし抑圧された心的外傷は、言うまでもなく魔女を蝕むことになるだろう。彼女は絶えず気怠そうで、何か大切なものを忘却しているという感覚に苦しんでいた。魔女にはフロイトの言う「喪の作業(Trauerarbeit)」が必要だったのだ。愛情を向けるべき対象は「もはやいなくなってしまった」という事実、認めることが困難なこの事実を苦しみながら認めることが。

 作中では、夏海まなつ=キュアサマーらとの最後の戦いを通して魔女はアウネーテとの記憶を再び思い出し、それによって彼女の魂も浄化され肉体も消滅する。いわばそうしたかたちで魔女は「喪の作業」を行うのである。

 日曜日の朝、「永遠のあとまわし」というインパクト抜群の言葉と共に、『トロプリ』は私の心に強い衝撃を与えた。そして『トロプリ』終了後は見事に「トロプリロス」になってしまった。

 ところで、私の娘にとって『トロプリ』は毎週楽しみにするはじめてのテレビアニメとなったが、『トロプリ』の放送が終わることを当初なかなか受け入れることができなかった。次回作『デリシャスパーティ プリキュア』(以下、『デパプリ』)の予告が始まると、「なんで終わるの?私は次のプリキュアなんて絶対に見ない!」と何度も繰り返した。『トロプリ』喪失の悲しみが、『デパプリ』への否認となって現れたのである!この否認は彼女にとっての「喪の作業」の一貫であったのだろう。幸いにも、今では娘は毎週楽しみに『デパプリ』を見るようになった。が、私は未だに『トロプリ』への愛着を断ち切ることができず、最終回の録画をしっかり見ることを「あとまわし」にしている。

(2022年4月1日)

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