親鸞仏教センター研究員
谷釜 智洋
(TANIGAMA Chihiro)
東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。
5lack(スラック)というラッパーには、ことさら影響を受けた。かれの名のりである “Slack” という語句には「たるんだ、ゆるい」等の意味があり、うたいまわしや紡ぐ言葉にさえも緩さが溢れている。実際にかれのうたには、しばしば緩さをあらわす「適当」という言葉があらわれる。本来は「ある状態・目的・要求などにうまくあうこと。ほどよくあてはまること。ふさわしいこと」(『日本国語大辞典』第二版)を指す言葉だが、おおよそ、いい加減とかザツといった印象をまとってしまっている。不誠実、なげやりといった感さえある言葉だ。しかし 5lack はこの言葉をもちいながら、本来の通俗的な意味だけではなく、新たな意味をも開示しようとしているかのように私は思える。
自身の能力のなさに嘆き立ち止まってしまった時、かれの「適当」というフレーズは、張り詰める生活とは真逆の、緩やかな温かみを感じさせる。かれはうたう。
あいつがまたいいこと教えてくれれば
今日は救われたって言えるかな
あんな日もあるさまぁしょうがないけど
もうたくさんだなんてさ思うかな
適当にいけよ適当にいけよ
適当にいけよ適当にいけよ
考え込むな考え込むな
考え込むな考え込むな〔……〕
想像で落ちるな適当にいけよ
i’m serious serious. 過ぎでも
考え込むな考え込むな
そんな日もあるさっていえば光が隙間からこぼれた
(「NEXT」『WHALABOUT』、2009)
「適当」と言い放ちながらも、かれが誠実な人間であるのが伝わってくる。張り詰める生活のなかでしばしば自分の立ち位置が分からなくなることがあるし、まだ起こっていない先(未来)のことに惑わされ振り回されたりもする。誠実であろうとすればするほど息が詰まる。
それ故に、かれの紡ぐフレーズの一つひとつが、セカセカとした日常を思い悩みながら生活する今の私には響いてくるのかもしれない。
そもそもアーティスト、つまり表現者は、華やかで好きなことだけやっているようにみられがちだ。しかし、かれらは想像もつかないような努力や身を削りながら制作している。少なくとも5lackに関していえば、精力的に制作に取り組み、多くの作品をリリースしている。だからこそ、かれが発する「適当」という言葉には、それぞれの場所で奮闘している者にとって、寄り添う言葉となって働き、支持されているのではないだろうか。
かれのいう「適当」には、「自律」といった新たな意味をも開示しているように私には思える。「自律」には「自分で自分の行いを規制すること。外部からの力にしばられないで、自分の立てた規範に従って行動すること」(『日本国語大辞典』第二版)等の意味がある。
この世界に押しつぶされるな。おれたちの「適当」を決めるのは、おれたちだろ?そんで、「適当」に生きなよ――かれのうたから、そんなメッセージをも感じる。自分の「適当」を決めるのは、自分自身のはずだ。かれのうたに励まされる日々はまだまだ続きそうだ。
(2022年12月1日)