北海道大学大学院
公共政策学連携研究部 准教授
中島 岳志
(NAKAJIMA Takeshi)
震災の混乱もまだ冷めやらぬ2011年3月24日、東京地裁において加藤智大(ともひろ)に死刑判決が下された。事件から3年が経ってのことである。
17名もの死傷者を出した秋葉原連続通り魔事件は、いま世間にどう映っているだろう。
事件以後中止となっていた歩行者天国は今年から試験的に再開され、事件現場となった交差点には、枯れた花束が淋しげに置かれている。事件は確実に忘れ去られつつある。
しかし、秋葉原事件はこのまま単に忌まわしい出来事として、記憶の底に葬られてしまってよいのだろうか。私たちはこの問題にどのように関わっていくべきなのだろうか。北海道大学准教授の中島岳志(たけし)氏のお話を手がかりに何が問題なのか考えてみたい。
(花園 一実)
同事件について2011年8月1日中島氏にお話を伺った。中島氏は『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版 2011)を著し、同書で加藤という人間そのものに焦点を当て、その生い立ちから犯行に至るまでの軌跡を詳細に記している。
中島 現代はツイッター型の瞬発力社会。メディアは事件を次から次へとネタ的に消費していきますが、実際のところ問題はむしろ構造化していくばかり。加藤が抱えていた問題は、この三年間で解決したどころか、むしろ深まっていっているとしか思えません。
――事件後、ネット上では加藤の行動に共感を示す声が相次ぎ、加藤に影響を受けたと公言する模倣犯までが生み出された。加藤の抱えていた鬱屈(うっくつ)は、現代社会の表面化されない深層部分において、ある種の共通性をもっていた。だからこそ、この事件は単に加藤のパーソナリティの問題だけに還元されるべきではない。
中島 本を書くにあたって、内在的批評ということが大切だと思いました。加藤自身がどのように歩み、どのように思ったのか、そしてそれが自分とどこで繋(つな)がっているのか。単純に言えば、僕の中にも加藤がいるだろうと思ったのです。
――当時、世間ではさまざまな論客によって事件の分析がなされていた。「派遣切りにあった若者による社会への復讐」「母親の偏重教育による結果」「コミュニケーション能力の欠如による世間からの孤立」、加藤の環境や性格をめぐってさまざまなストーリーが作られた。それらの「わかりやすい」ストーリーを聞いたとき、私たちは「ああ、そういうことだったのか」と納得することがあるかもしれない。しかしその瞬間、事件は自己と切り離された問題として、加藤は環境が作り出したモンスターとして、処理され完結してしまう。
中島 〈わかりやすさ〉というのはAかBかという二分法に押し込めて単純化することではありません。まず人間というのは、それ自体が非合理的で割り切れない〈わかりづらい存在〉だと思うのです。僕にとっての〈わかりやすさ〉というのは、その〈わかりづらい〉ことを、仏教で言えば、世界が不可思議でどうにも捉(とら)えきれないものだということを、丁寧に説明していくことでした。そのためには何よりもまずディテールが重要だと思ったのです。大切なのは、きれいな結論を出して見取り図を作ることよりも、ディテールを追って、それが自分の中にもあるということを見いだしていくプロセス。だから加藤の細部を知りたいと思ったのです。
――加藤の人生を丁寧に辿(たど)っていくと、彼が決して世間でイメージされているような、「友達がいない」「コミュニケーションができない」といった性格の持ち主ではないことがよくわかる。彼には学生時代からの友人が何人もおり、彼自身、職場を転々としていく中でも、その先々で友達を見つけうまくやっていける能力をもっていた。
中島 だから重要なのは〈なのに孤独だった〉ということなのです。なぜ友達がいたのに彼は孤独だったのか。そこに、ただ友達がいればいいのか、という質的な問いが生まれます。社会には上司と部下のようなタテの関係、同僚や友人間のようなヨコの関係があって、それらはどちらも色々な利害関係が複雑に絡まっている。その中で利害関係の絡まない、本音で語ることのできる、タテ・ヨコどちらでもないナナメの関係というものが、実は私たちにとってはとても重要なんです。加藤は現実世界にそのナナメ関係を見つけることができなかったのだと思います。
――加藤にとって建前のない純粋透明なナナメの関係は、インターネットの世界に求められた。彼は「2ちゃんねる」のような不特定多数による巨大掲示板ではなく、ハンドルネームを使った特定少数による小さな掲示板を居場所とした。そこで現実世界のような煩(わずら)わしい利害関係を伴わない、純粋に自己を承認してくれる透明な人間関係を求めたのである。取り替えのきく派遣社員としての、代替可能で部品のような現実世界の自分より、ありのままの自分を認めてくれるネットの世界のほうが、彼にとっては「リアル」だった。
しかし、そのような加藤の自己は崩れていくこととなる。彼の居場所である掲示板に、彼のハンドルネームを使い、彼になりすます者が現れだしたのだ。この「なりすまし」によって彼の実存は激しく揺さぶられることとなる。身体性を消すことによって得ることができたネットでの透明な関係性は、身体をもたないからこそ驚くほど簡単に崩れてしまう。加藤は裁判で、犯行の動機をこの「なりすまし」による掲示板の荒らしであったと証言している。
中島 裁判に出てきたとき、多くの人にとっては〈なんでそんなことが殺人の理由になるんだ〉と言われていたのですが、僕にとっては〈リアルだな〉と思えたんですね。自分が自分でいられると思った場所が他者から乗っ取られてしまう。それどころか、むしろ彼自身がニセモノだと疑われてしまう。その時に、彼は誰が自分で、誰が自分ではないのかが、もう区別がつかなくなってしまったのだと思います。そういう空間がネット上では簡単にあらわれてしまう。彼の実存はその時本当に崩壊したのだと思います。
――法廷での加藤は終始無表情であったという。被害者遺族からは、「お前が自殺すればよかった」などと悲痛な言葉が投げかけられた場面もあった。しかし、彼は顔色一つ変えることがなかった。ネット上でこれまで「死ね」などの言葉を浴びせられ続けてきた加藤にとって、それらの言葉はまったく心に響いてこなかった。
その加藤が法廷中、二回だけ表情を崩したことがあったという。一回目は、被害者の妻である女性から「亡くなった人のために、どうか一つでもいいことをしてもらいたい」という言葉を受けた時であった。その時、加藤は顔を紅潮させ、目を潤ませた。もう一つは、加藤に刺されて重症を負った被害者男性の言葉。男性は事件の後、加藤と手紙のやり取りをしていた。手紙は「なぜこんなことをしてしまったのか。あなたの本当の気持ちを理解したい」という内容だった。その男性が証言台に立ったとき、それまで決して証言台に目を向けることがなかった加藤が、眼を背けずに男性の言葉をじっと聞いていた。そして、男性が「どうか真実を語って欲しい」と言った時、加藤は「うん」と小さく頷いたという。
中島 加藤は本音じゃなくて、本気で向き合ってくれる人というものをどこかで探していた。その言葉に力があって、本当だと思えた瞬間、彼は確かに反応するんです。
―思えば加藤に響いていた言葉は他にもあった。
仙台の運送会社に勤務していた頃、加藤は上司の男性に軽口をたたき、説教をされたことがあった。その時、その男性は自分のこれまでの人生について包み隠さずに語り、加藤の人生について本気で向き合い言葉を交わした。加藤は自分の軽率さを反省し、号泣した。
また、上野の駐車場で自殺を考えていた時、加藤はある警察官に職務質問を受けた。自殺を考えていると言う加藤に対し、警察官は親身に相談にのり「生きていれば辛(つら)いこともあるが楽しいこともある。君は頑張りすぎだから力を抜いた方がいい」とアドバイスをした。加藤はやはり涙を流し、その時に借りた駐車料金を返すために、再び職に就いている。
加藤に届いていた言葉は確かにあった。
中島 本当の実存に届く言葉とは何なのか。彼の根源や世界を揺るがせるような熱量をもった言葉。そういう言葉を私たちは見つめる作業をしなければいけないと思います。私たちは加藤のような人間に出会ったとき、反射的に逃げてしまっているのではないでしょうか。現代ではちょっと危ない奴を見かけたら通報しようという風潮が強いですが、そこから一歩踏み込んで、そういう人たちを承認しながら、そこで自分たちは何を言うことができるのか、どういう言葉をもつことができるのか、このことを考えることが大事だと思います。
――おそらく、かつて多くそういう言葉をもっていたのは宗教家であった。お寺は地域コミュニティの中心として、人々がナナメの関係を構築するための大きな役割を担っていたのだろう。現在では、精神に不安があれば精神科の病院に行こうか、などと考えるのが一般的で、「お寺に行ってみよう」と思う人がどれだけいるだろうか。中島氏は、秋葉原事件は「自己への問い」として受け止められねばならないと語った。加藤は私たちの中にも存在する。私たちはそのことを認めることから始めなければならない。本当の言葉とは、きっとそのような態度からしか生まれてこないものなのだ。
秋葉原事件は今も私たちに問いかけている。
(文責:親鸞仏教センター)