親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

Interview 第7回 大山典宏氏 前編

埼玉県職員・社会福祉士

大山 典宏

(OYAMA Norihiro)

Introduction

 2013年1月に厚生労働省・社会保障審議会での生活保護基準部会が開催されて以来、「生活保護」の具体的な支給金額の水準見直しの動きが活性化している。実際、8月からは一部減額が実施される運びとなった。

 ただ、この生活保護の問題に対して、私たちは一般に“無関心”である。確かにこの問題は、保護費を受給できず餓死してしまった方の事例や、その反対の「不正受給」の事例としてメディアをにぎわせてきた。しかし、それにもかかわらず、受給しているわけではない私たちの多くにとって、この制度が「生きるか死ぬか」のぎりぎりのところにある問題である、という認識は薄い。

 生活保護の問題とは何か。現場のケースワーカーなどを経験されてきた大山典宏氏に、生活保護をめぐる「現在」について伺った。

(内記 洸)

 

【今回はインタビューの後編を掲載、後編はコチラから】

――生きていくための最低限の保障、という性格をもつ「生活保護制度」については、報道でもさまざまに取り上げられています。私たちはこの問題を、どのように考えていったらよいのでしょうか。

 

大山  生活保護制度とは、社会福祉制度のなかでもかなり歴史の古い制度で、もう60年以上大きな改訂がなされていません。戦後にこの生活保護制度が制定され、それに続いて児童、母子、高齢者などに関する福祉制度がそれぞれ制定され、発展してきたのです。この制度をめぐっては、それが人々の生活を救うものとなっているかどうか、という点をめぐっていつも議論になってきました。例えば、非常に象徴的な事例としては、最近、兵庫県小野市で生活保護受給者に対する「監視」条例が制定されました(注1)。「密告奨励条例」とか「パチンコ禁止条例」といったあだ名がつけられましたが、これは生活保護や母子家庭における児童扶養手当などを利用する人たちのなかで、もしパチンコなどで浪費しているのを見つけたら、市役所に通報してください、それは市民の義務なのです、と謳(うた)ったものです。

 この条例に対しては賛否両論があります。賛成意見は、みんなの税金で支えられる立場の人が無駄使いをするということは許されないというものです。許されない事柄については、行政だけでなくサービスを受ける市民の側にも責任があると考えるのです。これを私は「適正化モデル」と呼んでいます。それとは反対に、監視社会につながるとか、何にお金を使うかということは受給者に任されているはずだという意見、あるいは、こうした条例を作ることによって受給者がレッテルを張られ偏見にさらされ、結果として本当に困っている人が保護を受けにくくなるという意見もあります。これは権利であって国にはそれを保証する義務があるという、弁護士会や支援団体を中心に見られる立場です。これを「人権モデル」と呼びます。この二つのモデルが常にせめぎ合いをしながら、そのつど強い力をもっているほうにぶれていくというのが、生活保護制度の歴史です。

 2008年の「年越し派遣村(注2)」では、厚生労働省の前でホームレス支援の民間団体や労働組合が派遣切りを訴えたのですが、その映像がお茶の間に流れて、大きな社会問題になりました。それから、大体2010年ごろにかけては人権モデルが力をもっていたのです。「国民の生活を守る」ということで、民主党に政権交代したのもこの時期です。市役所では窓口できちんと対応することが義務づけられ、生活保護受給に関する間口が非常に広がってきました。ところが東日本大震災が転機となって、貧困どころではなくなり、それまでの議論はかき消されてしまいます。昨年になると、数千万円の年収のある芸能人の親が生活保護を受けているということから、いわゆる生活保護バッシングが起こりました。「本来必要のない人が貰っている」というわけです。これがここ数年の大きな流れで、小野市の例も基本的にはこの流れのなかにあります。

 

――こうした状況のもとでは、繊細な人は受給できず、受給できるのはそうした社会の眼を割り切れる人、ということになるように思われます。社会からの厳しい眼差しのもとで、かえって不正受給ばかりが増加したりはしないのでしょうか。

 

大山  それが適正化モデルの弱点なのです。制度をどんどん厳しくしていっても、ズルをしようとする人は常にその裏を行く。普通に生活保護を受けている人の生活が厳しくなるのに、ズルをしている人は変わりません。先ほどの小野市条例にしても、通報したところで生活保護を廃止したりはなかなかできないのです。受給を取り止めたところで、結果としてそういう人がどう変わるわけでもなく、かえって追い詰められてしまう。むしろ、本来想定していない負の影響のほうが大きいと言わざるをえません。

 ただ一番の問題は、どちらのモデルにしても批判はいつも現場に向かうということです。現場で働くケースワーカーは、いつも二つのモデルの板挟みのなかで仕事をしており、そのことで非常に辛(つら)い思いをしなければなりません。人権モデルのほうは、困ったときにちゃんと支える制度であってほしいと言い、適正化モデルのほうは、制度の信頼をもたせるために制度を支えている納税者の理解が必要だと言います。それぞれの理解はもっともなのですが、お互い自分のディベートに終始しているだけで、みんなでこれからどうしていったらよいかを考えるという視点が欠けているのです。人権モデルにしても適正化モデルにしても、当事者として本来それぞれが負わなければならない責任を負っていません。自分の都合の悪いところを見ていないのです。

 

――その意味では、結局は他人事ということになるのでしょうか。生活保護をめぐる私たちの関心は、常に自分から遠ざかるほうへと進んでいるように思われるのですが。

 

大山  社会全体が不安定になっていく過程においては、社会のなかで自分とは異なるものを排除していく圧力が強まっていきます。これを「社会的排除」と言います(注3)。ナチスの、ユダヤ人排除の論理もそうです。生活保護とはその意味で社会の縮図であり、社会におけるいろいろなしわ寄せ、矛盾が端的に表れるところと言えるかもしれません。

 そうしたなかで一番見落とされているのは子どもの貧困の問題、子どもの権利の問題です。福祉関係では、親との関係、あるいは親に伴う周りの行政機関との関係の調整としてしか、基本的に子どもとはかかわりません。生活困窮者の子どもについては、なかなか意識することがないのです。しかし少し考えてみれば、そうした子どもたちがどのような人生を歩まなくてはならないかということについては、ある程度想像がつくでしょう。元をたどるとその子の親も子ども時代に同じような経歴をたどっていることがよくあります。親から子へ、子から孫へのこの連鎖を「貧困の連鎖」と言いますが、こうした構造が誰にとっても不利なものであるという合意は、現段階としては取れているはずです。そうした人を社会が排除すればするほど、排除される側も非常に防御的になり、自暴自棄になり、かえって問題行動が起こってきます。排除した側にとっても、結局何にもなりません。このように子どもに視点を当てることで、いろいろなことが見えてきます。相手の立場に身を置いて、当事者としてこの問題にかかわっていかなければなりません。

 

――大山先生のおっしゃる「当事者」とは、そういった生活保護の現場に関わる人のことですか。

 

大山  そうではありません。当事者とは国民全体であると私は思っています。税金を納めていない人はいないわけですから、外国人も含めて、この日本という国に住む人の誰もが当事者です。私は当事者ではないというかたちで議論する人が多いことに、私は非常に憤りを感じます。仮想敵を見つけてそれを叩くという方向で議論していては社会は悪くなる一方です。

 当事者としてかかわるということは難しいです。しかし、この難しいということを考えてもらうことが大切だと思います。取材に来てくれる新聞記者にも、あなたはどういう立場でどう考えているのか、ということを聞くのですが、大体返ってくるのは「私は中立です」という答えです。しかし、話をうかがっているとわかってくるのですが、新聞社によってかなり立場ははっきりしていますし、それについて個人として考えておられる方々も、なかにはたくさんいらっしゃいます。記者にしろ宗教者にしろ、それぞれが当事者としてかかわっているなかで、やるべきことは違います。自分には何ができるのかと、そのつど考えることが大切であって、それは相手を批判するだけでは済まない問題です。

(文責:親鸞仏教センター)


後編へ続く

(注1) 兵庫県小野市で2013年3月27日成立した「市福祉給付制度適正化条例」のこと。生活保護費や児童扶養手当をパチンコなどのギャンブルで浪費することを禁止し、市民に情報提供を求めることを目的とする。この条例に対しては賛否両論があったが、最終的には一人の共産党議員を除いて全員賛成で条例がとおり、施行された。

(注2) 複数のNPOや労働組合によって組織された実行委員会が、2008年12月31日から翌年1月5日まで、東京都千代田区の日比谷公園に避難所を開設したもの。この問題を通して、貧困の問題が一気に全国に広まった。

(注3) social exclusion ヨーロッパの貧困問題に関する分析から生れた言葉。「社会的包摂」social inclusionの対語。注5(後編注)参照。

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Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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