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― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

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Interview 第10回 納富信留氏「哲学は現代に何を語りえるのか ―「理想」が開く可能性―」後編

慶應義塾大学文学部教授

納富 信留

(NOTOMI Noburu)

Introduction

――2011年3月11日。 私たちが「平穏」「安定」と思い込んでいた日常が大きく揺らいだ。

 哲学者の納富信留氏は、著書『プラトン 理想国の現在』(慶應義塾大学出版会)において「積み上げてきた人間の生存と生活が理不尽にも破壊され、おそらく残りの人生では取り返せない状況に置かれた時」にこそ、「理想」という言葉が強い音を響かせ、私たちを現実に立ち向かわせると語る。

 多くの人々において、未来に見通しが立たず、暗雲のみが立ち込める今、哲学は一体何を語りえるのか。納富氏からお話をうかがった。

(名和 達宣)

 

【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

――「理想」とは決して「現実」を離れたものではないということですね。

 

納富  現在の日本では「理想主義」と言うと、空疎な理念としてタブー視される傾向があります。「それは理想論に過ぎない」とか「今は理想に浸っている場合じゃない」と、否定的に使われることがほとんどです。しかし、「理想」をすっかりあきらめ、現状に埋没して生きていくことが、人間の、「哲学者」としてのあり方にふさわしいとは思えません。

 一人ひとりが抱く「理想」は、具体的には異なります。しかし、相互間で「私の考える理想はこうだ」と言葉をつむいでいくことで、「私は私、あなたはあなた」には終わらずに、「本当に実現すべきものは何か」という「問い」が見いだされ、そこから「対話」が始まるのではないかと思います。一人ひとりが「イデア」という絶対的なものに向けて、現実の生活のなかで言葉をつむいでいくこと、それを「理想」と呼ぶべきではないでしょうか。

 

――浄土真宗では、しばしば「浄土とは理想として掲げてそこに向かっていくものではない」と言って、「理想」という言葉が切り捨てられることがあります。しかし、本来の意味から考えれば、むしろ浄土なる世界を積極的に確かめるための手がかりになりえるのではないかと感じます。一人ひとりの目指す世界は「仮」であるけれども、実はその奥底に「真」の浄土からの呼びかけ、悲願がはたらいているのだと。

 

納富  そこで言われる「仮」の世界というのは、一人ひとりが抱き、目指していく「理想国」になるのでしょうが、そこで終わってしまわずに、実は本当のものに支えられているという関係、その向こう側に本当の世界があるということが非常に大事なのではないでしょうか。私たちがいきなり「真」の実在を目指すのはとても困難ですので。

 「理想」というのは、自分の心に勝手に思い描いて、それで終わりというものではありません。もともと真の実在(イデア)としてあって、それが一人ひとりのなかで想起され、現れてくるものです。最初は「理想の家庭」や「理想の人生」といった誰でも考えるようなレベルのものから始まるのかもしれませんが、だんだんと段階を踏み、超えていきます。それは人間がどうにかしようと決めるものではなく、向こう側で最初から決まっているもの、実在としてあるからだと思います。私たちの生まれる前から「イデア」はあって、それを想い出していくのです。

 「理想」を抱き、「イデア」を目指すというのは、「この世界」から「あの世界」へと飛んでいくことや、何か新しい方向に向かっていくということではなく、実は本来の帰るべきところに帰っていくということです。魂が忘却した「イデア」を想起していくという哲学の歩みは「帰郷」というモチーフで語られます。日常の平穏な生活では、なかなかそのことを意識することはありません。しかし、実存が揺るがされるような出来事が起こった時、安心して立っていた大地が失われたとき、初めて「理想」という言葉が強い音を響かせてくるのだと思います。そのことが現代においては、2011年3月11日に始まる自然災害と原子力発電所事故を通して明らかになりました。人間はこうした状況を「理想」や「希望」を抱かずに生き抜くことはできません。そのとき「哲学」には、言葉を鍛え直しながら語っていく役割があるのだと思います。

 

――浄土も伝統的に「存在の故郷」という言葉で確かめられてきました。納富先生のお話をうかがい、この言葉も「安定して立っていた大地」が揺らいだとき、つまり現代という時代にこそ強い音を響かせてくるのだと感じました。ありがとうございました。

(文責:親鸞仏教センター)

 

前編へ続く

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