共立女子大学文芸学部教授
山本 聡美
(YAMAMOTO Satomi)
死体が腐乱して、白骨になって朽ち果てていくまでの九段階を細部までを克明に描写した「九相図(くそうず)」。死体を九段階に分けて観想することを特に九相観と呼ぶが、この際イメージの助けとして用いられた図像が九相図である。九相観とは、現実の死体を繰り返し凝視し、現在ある肉体が不浄であることへの理解を深め、己の淫欲を滅するための修行であり、九相図はその手引きとなる。
今回は、六道絵や九相図など、人間の死生観にかかわる絵画を研究されてきた山本聡美氏に、九相図に込められたものをうかがい、その魅力に迫った。
(大澤 絢子)
【今回はインタビューの前編を掲載、後編はコチラから】
――中世日本の九相図には、掛幅形式のものと、絵巻形式のものとがあるとのことですが、両者の違いが意味しているものはあるのでしょうか。
山本 九相図を、修行の道具として考えたときにとても大きいと考えています。そもそも、本尊画や掛幅縁起など、掛幅形式の仏教絵画には、儀礼空間や修業、あるいは絵解き説法など、仏事との深いつながりがあります。一方で、絵巻は「源氏物語絵巻」に代表されるように、物語性を伴ったメディアとして、世俗的な要請に応えながら発展しました。日本の九相図は、掛幅と絵巻と半々ぐらいの現存作例があることは重要で、聖俗を架橋する役割を担う絵画であったことが浮かび上がってきます。中でも、九州国立博物館に所蔵されている鎌倉時代の作品(「九相図巻」32.0×495.1cm)は、絵巻形式でありながら背景が描かれておらず、物語性や文学的要素が希薄です。私は、この絵巻を、修行のための図像として制作されたものだろうと考えていますが、絵巻形式というのは仏教的な修行の道具としてはそぐわないのではないか、という意見も根強くあります。つまりこの「九相図巻」は、聖俗の両面からの両義的な解釈が成り立つ、とても不思議な存在なのです。
一方で、室町時代以降に制作される、絵巻形式の九相図には、和歌や漢詩、説話文学の要素を大きく取り込んだ、豊穣(ほうじょう)なイメージが描き込まれています。したがって、中世後半から近世にかけて制作された、数多くの九相図は、ダイレクトに修行に使用されるというよりは、九相図という文化をベースにした無常観や不浄観、あるいは小野小町(825~900)や檀林皇后(786〜850)(注1) などの物語を伝えるメディアとして展開していったのではないかと思っています。
――九相図は、僧侶が修行するためのものだけではなく、貴族の文芸活動とも深く関わるのでしょうか。
山本 中世においては、宗教と文学とは、現代ほど分断されていなかったと考えられます。九相図を所有し、鑑賞できたのは、出自の高い僧侶であったとも考えられるし、在家の貴族であったとも考えられます。
描かれる内容を理解するためには、経典や仏教の理解が必要になるわけで、僧侶とのかかわりは欠かせません。いっぽうで、僧侶の活動を経済面で支える貴族、イメージを具現化する絵師の協働があってはじめて、九相図の制作が可能となります。
宗教的な営みが世俗の権力と渾然(こんぜん)一体となって存在している。そうした状況から生み落とされたのが中世の九相図なのです。単なる写経であれば、僧侶の世界で完結してしまうかもしれませんが、それに装飾をつけるとか、絵を描き入れるということには世俗の人々がかかわってきますし、聖と俗とのかかわり合いのなかで九相図は描かれました。
――九相図は、経典を根拠にして絵画化しているとのことですが、経典には、九相図に描かれる死体が女性でなければならないとは書かれていないようですね。
山本 そうなのです。それなのになぜ、描かれる死体が女性のイメージで固定していくのかということを考えていくと、そこで初めて文学的な要素が入ってくるのではないかと思います。
単純に考えると、男性出家者である僧侶、それをバックアップする男性貴族、あるいは武家などの男性権力者、彼らが現世における煩悩を滅却するために女性の死体でなくてはならなかったという理由が考えられます。ただし、中世の仏教説話を読んでいくと、必ずしも女性の死体のイメージというものが、男性に対してだけメッセージを発信しているわけではないことがわかります。説話のなかでは、女性に対しても、罪障の身である自分自身の存在の危うさを自覚し、その上で発心することで、他者をも導くこともできるという女性教化の側面が語られています。
また、より現実的な問題として、日本中世仏教において、女性の信仰を集めること、あるいは高位の女性からの経済的支援を獲得していくというのは、教団や寺院にとって不可欠な戦略でありました。女性たちに訴えかけるダイナミックなイメージとして、九相図が用いられたと考えることができます。
(文責:親鸞仏教センター)
(後編へ続く)
(注1) 美貌の持ち主で、恋慕する人々が後を絶たなかったとされる。皇后は、この世は無常であるということを自らの身をもって示そうと、自分の亡骸(なきがら)は埋葬せず、辻に打ち棄てよと遺言したとの伝承が残る。
山本 聡美(やまもと さとみ)
共立女子大学文芸学部准教授。1970年、宮崎県生まれ。専門は美術史(日本中世美術史)、特に六道絵や九相図など死生観にかかわる絵画を研究。共著編に『九相図資料集成—死体の美術と文学』(岩田書院)、『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)。