共立女子大学文芸学部教授
山本 聡美
(YAMAMOTO Satomi)
死体が腐乱して、白骨になって朽ち果てていくまでの九段階を細部までを克明に描写した「九相図(くそうず)」。死体を九段階に分けて観想することを特に九相観と呼ぶが、この際イメージの助けとして用いられた図像が九相図である。九相観とは、現実の死体を繰り返し凝視し、現在ある肉体が不浄であることへの理解を深め、己の淫欲を滅するための修行であり、九相図はその手引きとなる。
今回は、六道絵や九相図など、人間の死生観にかかわる絵画を研究されてきた山本聡美氏に、九相図に込められたものをうかがい、その魅力に迫った。
(大澤 絢子)
【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】
――男性が九相図を通して発心や煩悩滅却を想うのに対し、女性はそこに自己を見いだすと先生は述べられていますが、はたして女性は九相図に積極的な意味を見いだすことはできるのでしょうか。
山本 九相図が、女性にとって自己投影であったという私見を支える傍証を一つあげます。後白河上皇の第六皇女であった宣陽門院(1182〜1252)が発願した醍醐寺の焔魔(えんま)堂の外壁に、九相図が描かれていたという記録があります。女院が発願した仏堂の壁画になぜ九相図が描かれたのか、ということを考えたときに、その九相図が彼女自身の信仰の表明という役割も果たしていた可能性が浮かび上がってくるのです。
ここには、自身のあさましい姿を、仏堂の外壁という衆人の目にさらされる場所に描くことで、自分自身の穢れや罪深さを自覚し、さらに他者に知らしめることで万人を導く、という意味合いがあったのではないか。中世において、九相図のそうした理解は一般的でなかったかもしれませんが、宣陽門院などの、何人かのとても豊かな教養を備えた女性たちの周りには、九相図を女人教化の意味で解説する僧侶たちがいたのではないかと思います。
また、13世紀初頭に成立した『閑居友』という説話集には、ある女性が、自分に懸想(けそう)をした僧侶に対して、あえて化粧も身づくろいもしない姿をさらすことによって、僧侶を諭し、以後その僧侶は修行に励んだという話が採録されています。この物語は、最後に「まことに尊くおはしけるこころざしなりけり」、つまり「なんと尊い女性の心もちだろう」と結ばれています。
この説話が、例えば、僧侶は女性の本質を見抜いて修行に励みました、で終わってしまうと、女性のほうは放っておかれたままになってしまう。中世の仏教では、女性を罪障の身として放っておくのではなく、女性の信仰をどう位置づけるかということが重要視されています。そこでこの説話では、最後の最後で、このような行いはきわめて尊いのであると価値づけることによって、女性には、自らを罪障の身としてとらえながらも、だからこそ他者を信仰へ導いていく存在であるという積極的な生の可能性が開かれていきます。
それが中世後半になると、仏教の保護に尽力した光明皇后(701〜760)(注2) や、自らの死骸を晒(さら)したとされる檀林皇后ら、実際に存在した女性をの名をあげて、各時代の最高に高貴な女性の振る舞いをお手本とするような伝説に結びついていくのです。
――九相図は絵の世界だけでは完結せず、そこには女性教化という側面があるという点はとても衝撃的です。
山本 日本の女性たちにとっての九相図とは、他者の発心を促す究極行いとしての自己犠牲、我執の放棄、そういうことを死体という強烈なイメージを使って理解させるものであったと私は考えています。
――九相図というのは長い間描かれ続けてきたものなのでしょうか。
山本 現存作例の数という意味での九相図のボリュームゾーンは、実は江戸時代です。この時期には、絵巻や掛け軸形式の作例、また版本が大量に制作されています。歴史の流れをたどると、九相図は、ブームになる時期と忘れられる時期とが交互に現れるのですが、完全になくなってはしまわずに、連綿と描き続けられてきました。近世には、版本になることによって、上層階級だけではなく鑑賞者のすそ野が広がり、またさまざまな形式が登場し、九相図のパロディのようなものも描かれています。
幕末生まれの明治の画家たちの多くも、九相図を描いているのですが、明治も半ばを過ぎると、死体を描く九相図は日本画の主題として相応しくないものとして描かれないようになっていきました。そうしたなかで、1977年に出版された『日本絵巻大成(7)』(中央公論社)のなかで、「九相図巻」がカラーで初めて掲載されたことは画期的です。これを機に美術史の世界でも研究が進展しました。
こうして通観すると、九相図は、なくなっても、なくなっても、復活してくるモチーフであるようです。西洋における「メメント・モリ(死を想え)」に共通する図像である一方で、説話的要素がふんだんに付加されて発展したのが日本の九相図の特徴です。気持ち悪い、汚いという忌避感を超越して、興味本位や下品に陥らない、ギリギリのところで豊饒な物語を生み出す原動力であり続けました。死体という人間の生命の終着点から出発する思想、死を起点として何か創造できる、ものを考えることができる、それが九相図なのです。
また、数多く描き継がれながらも、九相図の作例に同じ物は一つもなく、写され、反復されながら、微妙に意味が変化していきます。単なるコピーが再生産されていくのではなく、一つの型から少しズレたかたちで別の作品が作られていき、次の連鎖が生まれます。中世初頭に成立した「九相図巻」はとても完成度の高い作品ですが、その伝統は現代までつながっていて、宗教性と、世俗性、その両方にまたがって多様な意味を発信しつづけているように思います。
――現代の私たちが九相図を見ることに、どういう意義があると思われますか。
山本 生命に対する過剰な執着というものが、現代社会の大きなストレスになっている部分もあると思います。九相図は、人間の果てしない欲望について再考するきっかけを与えてくれます。
宗教の枠組みが希薄となった現代では、生と死というとても切実でやっかいな問題に、個々人が向き合わざるを得ない。九相図は、我々が迷い込んでいる思考の迷宮を照らす、一条の光だと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
(前編はコチラ)
(注2) 仏教へ篤(あつ)く帰依し、悲田院などを設置したとされる。
山本 聡美(やまもと さとみ)
共立女子大学文芸学部准教授。1970年、宮崎県生まれ。専門は美術史(日本中世美術史)、特に六道絵や九相図など死生観にかかわる絵画を研究。共著編に『九相図資料集成—死体の美術と文学』(岩田書院)、『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)。