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Interview 第16回 池見澄隆氏「中世の世界観と死生観──冥・顕と死後再会──」後編

元佛教大学仏教学部教授

池見 澄隆

(IKEMI Choryu)

Introduction

 中世人の世界像を考えるうえで、「冥(みょう)」と「顕」の世界、すなわち見えない/見える存在の重要性が指摘されている。今日のわれわれは、見える世界にばかりとらわれがちであるが、見えない存在──中世においてはこれを「冥衆(みょうしゅ)」と呼ぶ──の存在感が肥大化していくのが中世の世界観の特徴だと言える。こうした冥/顕の世界観を知ることは、中世の思想を知るうえで基礎的な視座となるが、同時に見えない存在と対話する人間の精神世界を知るうえでも現代に訴えるものがある。

 今回は、特に冥/顕の世界観が中世における死生観、特に死の問題に与えた影響について、『中世の精神世界─死と救済』(人文書院)や編著『冥顕論─日本人の精神史─』(法蔵館)などで中世の精神世界を長年論じてきた池見澄隆氏にお話をうかがった。

(中村 玲太)

 

【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

──話を戻しますと、こうした「死後再会」という死生観と「冥顕論」とはどのように交差しているのでしょうか。

 

池見  格別な情愛関係のあった死者との再会というのは、見えない、見られるという死者との関係が、互いに見える、見られるという関係に再びなるということ。死という線を越えて見る、見られるという関係に再び復活させる。死が介在していますから、単にこの世に生きていたときの見る、見られるというレベルを超えた、より高いレベルでの見る、見られるという関係の復活だと。これがまさに人倫の救済であり、再会とはそういうことだと私には考えられます。「死後再会」ということも、冥/顕の世界観から見ていく必要があるのだろうと思うわけです。冥/顕の世界観を前提とした死生観です。

 

──「死後再会」願望や世界観には必ずしも共通した要素だけではなく、時代によっての変遷もあるとも思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。

 

池見  共通するものと同時に、それを基軸にして変わるものも見ていく必要があります。江戸時代の近松浄瑠璃『心中天の網島』では、死後再会願望が浄土志向から人間志向に変化します。

 

体があの世へ連立つか。所々の死をしてたとへ此の体は鳶烏(とびがらす)につゝかれても、二人の魂つきまつはり。地獄へも極楽へも連立つて下さんせ。

 

などと言われています。極楽でなくともよい。私たちが一緒に入れるならば、地獄であってもよい、という再会願望を表しています。教学的な面からみればけしからんとなるかもしれませんが、死後再会の場が、地獄でもよいということになりました。三世輪廻(りんね)のうちに止まった救済か、脱輪廻のうえでの死後再会かは、教学的には大きな問題だろうけど、当時の彼らにとってはどうでもよかった。教学的に裁断するのではなく、死後再会願望の心性をくみ取る必要があるのではないでしょうか。

 ここで終るのではなく、実はもう一つあります。それは今日の在宅ホスピスケアなのです。そこでは、「お迎え現象」が話題になっている。有縁の死者がこちらへ来た、というお迎え現象。お迎えとは、死者によって行く先がはっきりわかっているところに導かれるということです。お迎え体験のある方の最後のありさまは9割以上が穏やかとも言われます。少し大胆なことを言えば、これは死後再会願望のバリエーションを表すものとも言えるのではないでしょうか。

 ここまでも視野に入れて死後再会願望というものを一貫したものとしてとらえたい。そうすると、ちょうど千年にわたる。時代時代で切ってしまうのではない。こういったことは、教学理念と抵触するからということで、なるべく伏せてしまうということが行われてきました。死後再会の場が問題。場が変遷するのだけど、その変遷をむしろポジティブにとらえる。死後再会の場を浄土に限定して、他を捨てるのではない。浄土以外にもあるというのをポジティブにとらえる必要があります。

 

──最後に、中世の世界観やあるいは死生観を学ぶ意義はどこにあるのでしょうか。

 

 現代に見失ったもののほとんどそのエッセンスが、中世にはあります。いったんそこに立ち返る。近代文化が振り捨てて顧みなくなったものの一つが、死とか死後とかの問題ではないでしょうか。それをいったん、取り戻してみる。中世から現代を見る。冥界から顕界を見る。死の側から生の輝きを見るとき、今日、只今のわれわれの生き方が相対されるのではないでしょうか。

 

死の側より照明(てら)せば、ことにかがやきてひたくれなゐ(真紅)の生ならずやも

(斎藤史『歌集 ひたくれなゐ』短歌新聞社文庫)

 現代が振り捨ててきたもののなかに、現に私たちにとっての宝石があるかもしれない。そこを検証していくことが必要でしょう。

(文責:親鸞仏教センター)

前編はコチラ

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