龍谷大学世界仏教センター客員研究員
吉永 進一
(YOSHINAGA Shin’ichi)
現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。
吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。
(飯島 孝良・長谷川琢哉)
飯島 今、吉永先生や岡田正彦先生(天理大学教授)、あるいは大谷栄一先生がされている近代仏教研究というものと、大正から昭和にかけて京大の宗教学でされている哲学的な仏教研究は、どちらもある種の近代性を帯びながら発展してきたわけですよね。両者は重なるようで違う方が強いようにも感じるんですが、如何でしょうか。
吉永 仏教史の中で京都学派を考えてみるって面白いと思うんです。
例えば、西田幾多郎(1870~1945)と仏教との関係を考えるとき、単純に禅で得た経験を言語化したとか、理論化したというのは単純すぎるとは思います。西田は哲学として確立しようとしてたのですから、まずは切り離して考えるべきだと思うんです。ただ、日本における「哲学」は、井上円了(1858~1919)によって仏教擁護論に用いられるなどしますし、思想的にも井上哲次郎らが提唱していた「現象即実在論」は『大乗起信論』の影響もあるといいますよね。ですから、西田が哲学を考える際の前提には仏教の影響があったのではないかというのが一点、そして大正時代以降、西田哲学は求道的な若者に受容されます。一種の代替宗教的な、今でいえばスピリチュアルな場なのでしょうが、そういう前後の文脈を考えてみたらどうかということです。
そう考えることは、決して西田の思想にある普遍性が損なわれることではないんですが、ただ、西田が言いたかったことを考えるとき、そうした近代仏教の思想史や社会史的なところにもう一回落としてみると、実は見え方が違うんじゃないか――そういうことです。
少し話が飛躍してしまいますが、突き詰めて考えてみると、厳密な意味で、哲学、道徳、宗教、あるいは政治というカテゴリー分けができるのかという疑問があります。ジェイムズは『宗教的経験の諸相』の冒頭で、「宗教」をかなり苦心して定義しているのです。その苦闘を読むと、そもそも定義は無理ではないかと思います。なにしろ、われわれの生(life)は切り分けられない連続だと彼は主張しているのですから。カテゴリーは後知恵にすぎない。さまざまな融合や結合が出てくるのは当たり前であると考えて、西田幾多郞や鈴木大拙を考えてみることもできると思うんですね。
簡単に言えば、「宗教」というカテゴリーを一回疑ってみたうえで、もっと流動的なものとして考えてみようという気持ちはあります。「宗教」ということばにもちろんこだわるんだけれども、ただそれを原理主義的に狭く使うのではなくて、もうちょっと弾力的に用いて、カテゴリー間の往来や思想の往還のようなものを見ていこうという気はするんですね。
飯島 そういう弾力性を前提にして、さまざまな側面から近代の仏教を捉えていくというのは、共通認識になりそうでまだなりきってないようにも感じますね。
吉永 共通認識になるのは難しいと思う。具体的にいえば、近代仏教だとしても、やはり宗門の近代史が中心になりますし、またそこから学ぶことは多いのですが、宗門だけで語っていると、近代史のダイナミックさが見えにくくなるのだとも思います。ただ、近代仏教史研究は、研究者の側も、僕のような外道も含めて、色々なディシプリンの人間が入り込んでいます。単に共通点は近代というだけですから。ですので、さまざまな議論ができるという強みがありますね。
飯島 逆に、近代仏教研究に足りないなとか、もっとやったらいいじゃないかと感じる部分はありますか。
吉永 ひとつは、近代仏教をやる人は、英語、フランス語、ドイツ語、何でもいいですけれども、よその国の近代仏教研究ともう少し対話していってほしいなというのはありますよね。これからは、やはり中国だろうなと思いますね。中国の近代仏教研究は、ようやく吉田久一前夜ぐらいまできていると思います。坂井田夕起子さん(愛知大学国際問題研究所客員研究員)が、このごろ太虚(1890~1947)の研究会が立ち上がったと書いておられて、ああいう東アジアのネットワークがもうちょっと広がったらいいと思います。
もうひとつは、新宗教と近代仏教の垣根をどうやって突破するか。真如苑や創価学会が、研究分野では宗教社会学になるわけですけれども、近代仏教史の方から見たらどうかと思うんですよね。
長谷川 なるほど。確かにそこにはちょっと線があるんですかね。
吉永 仏教思想の近代における展開といった視点で、伝統との連続性に留意しながら新宗教史を見直してみたらどうかという気もするんです。
飯島 宗派という観点でいうと、近代仏教史研究会の研究発表などで多いのは、やはり浄土真宗です。浄土宗や日蓮宗も多いですね。僕にとっては意外なんですけれども、禅は近代仏教研究で携わる方がいらっしゃらないんですよね。
吉永 日蓮宗については、日蓮主義の研究は盛んなのですが、近代日蓮宗はどうだったのか、となるとどうでしょうね。教学の近代化はどうなっていたのかとか、あるいは修法師のように祈祷の近代化はどうなっていたのかとか。ただ、禅宗となると、ほんとよく分からない。例えば、曹洞宗の近代化とは何だったのか、明らかになってほしい。忽滑谷快天(1867~1934)と原田祖岳(1871~1961)の「正信論争」のようなものは、すごく大きな運動だったはずなのに、すべて教団の中の話だということで結論づけられてしまっている。清沢満之(1863~1903)の場合ならば、宗門改革の運動が最終的にはかなりの広がりをもつ思想運動にまで展開するわけですね。そうした思想運動にまで広がらなかったのはどうしてなのかというのは、確かにありますね。
さらに言えば、臨済宗全体の展開に関しても、色々なところが判然としない。特に臨済宗は釈宗演(1860~1919)のようなスターが出て、そのスターの話だけで終わっちゃうんですよね。ただ、禅宗の近代は、曹洞、臨済を問わず、老師とその帰依者による宗門内の半ば独立的な組織が、宗門全体の生命力を支えていたとは言えるので、そうしたスター研究の裾野を広げるという必要もあると思います。
飯島 臨済宗の場合は、例えば、今北洪川(1816~1892)や釈宗演が居士林という形で、居士にどんどん開いていく動きが特徴的ですよね。それに関連しては、レベッカ・メンデルソンさん(デューク大学大学院)が研究されているような興禅護国会の流れが、現在の白山道場へつながっていく。そういう居士にどんどん開いていくというムーブメントが、円覚寺派という一宗派に限定したものだったのか、あるいは臨済宗全体が教団としてどう考えていたのか、そこを明らかにしていかねばならないですよね。
吉永 曹洞宗の方でもうひとつ気がついたことは、学林の伝統が強いのかなという印象です。もともと学問の自立性というのは、曹洞宗は高かったのかもしれない。逆にいうと、それが宗門の教学にどこまでフィードバックできたのかという問題もありますよね。だから、曹洞宗は宗教学や仏教学に非常に大きな足跡を残しているけれども、それが在家教化にとってどうだったのか。大内青巒(1845~1918)の編集した修証義は見事なものだと思うのですが、それ以外に何があったのかよく分からない。あれだけの組織が現代まで維持されてきたわけなので、今後研究されていくべきだろうと思います(このインタビュー後、武井謙吾くんという若手の研究者から近代曹洞宗における授戒会の研究発表を聞きましたが、やはり儀礼を含めて身体から見る近代仏教史の研究は進められるべきかなと思いました)。
飯島 先ほど吉永先生がご指摘くださった海外進出や海外交流という点で言えば、禅では、鈴木大拙などをキックボードにして、まったく個の体験に還元していく。それが多くの混交を重ねて、欧米圏でまったく独特のものになるわけですよね。その中で面白いのは、弟子丸泰仙(1914~1982)がどんどんヨーロッパへ進出して、澤木興道(1880~1965)から弟子丸泰仙という法系がヨーロッパを席巻して道場も多くできていく。今、そうしたヨーロッパで独特に展開した道場を曹洞宗の本流に紐づけていく動きも出てきて、曹洞宗はフランスに設けたヨーロッパ国際布教総監部が盛んに活動しているようです。
しかし、龍沢寺(静岡県三島市)の中川球童(死活庵/1927~2007)が米国やイスラエルで布教したことは、臨済宗ではむしろ例外的なような印象さえあります。だから、欧米の方々がイメージするZENは、長らく「D・T・スズキの教えに近いことを実践すること」というものだった印象が強い。ビートニク世代が受容したような仕方が、そのままどんどん拡散していって、宗派でもないような独特なZENが発展しているというのは、面白い現象だと思うんですよね。
吉永 そうですね、やはり臨済宗は釈宗演の系譜に接する人びとがみな面白いですよね。特に佐々木指月(1882~1945)が面白い。誰か本気で研究してほしい。あれはすごいです。
長谷川 2018年3月に開催した清沢満之研究交流会では、思想を歴史的にもう一回問い直すことが趣旨だったのですが、あまりかみ合わなかったんですよね。私がその企画をしたのは、「吉田久一に代表される戦後の近代仏教研究というものをもう一度相対化して、思想史的な研究をしたい」と言いました。それを吉永先生の表現をお借りして言えば、「大きな物語」や「イデオロギー」といったすごく明確な価値基準がかつてはあったわけですよね。例えば、国家と宗教とはそれぞれ個別の問題として分けるべきで、そのうえで「清沢の精神主義は○○という部分があったからいい」「▽▽以外は駄目だ」というような形で位置づけていた。けれども、その価値観だけではもう見られなくなってきている。井上円了も、それだともうまったく見られなくなりますよね。
その上でどうするのかを考えると、吉永先生がおっしゃるように、「もう一回史料に戻ってさまざまな関係性を見たりしていくことをやらざるを得ない」ということまでは言いました。その後に、星野靖二さん(國學院大學准教授)が「その上で改めて、歴史をもう一回描くとすると、どういうように書けるのか。例えば、近代仏教史というものを書くときにどう書けるのか」というご指摘をされたんですよね。こうした点を、吉永先生はどのようにお考えになりますか。
吉永 ひとつは、僕は学問に対する信頼があるので、はじめはすべてが少し混沌としていても、次の時代にはまた何かしら「物語」が必ず出てくるはずなので、気にはしてないんです。では自分が何を考えているのか。大きな物語を提案することはできないのですが、自分にとっての近代を見ていく上での、現在のこだわりというと、やはり、「身体からみる宗教史」というものですね。先ほど「術」のことを言いましたが、もう少し個別に言えば、その「術」というのは霊術や精神療法、あるいは修養ですよ。
近現代だと「身体」と「頭」というのは、完璧に分離されたものと捉えられていて、「身体」はブラックボックスだと言われてきた。そうではなくて、身体を使う作法とか、作法から出てくる何かしらの知恵とか、そういう視点から見ることはできないのかという気はしています。そのときの「身体」というのは、もちろん「心」も含んで考えているし、その前提となる仏教のイデオロギーやアイデアも踏まえているものです。そういう「身体」というものは、「頭」と常に相補的にあったと思いますね。そういうものの歴史を描くことで、例えば国家と宗教的なイデオロギーの混交というような、今まででは整理がつかなかったさまざまなことの整理がつくように思ってはいるんですけれどもね。
長谷川 ミシェル・フーコー(Michel Foucault/1926~1984)ではないですけれども、「身体」から国民道徳のようなものに展開していったのではないかというイメージは、これまでも結構見られますよね。
吉永 そうですね。だから、ある意味では「身体」というものだけに寄りかかってしまうと、非常に抑圧的な歴史の読み方になってしまう可能性もある。それは正しくないだろうと思います。だからといって、いつまでもイデオロギーだけではいかんだろうとも思います。例えば、「通俗道徳」というものも、最終的には「身体」をどう支配するかということに読み替えることもできると思うんですね。
長谷川 例えば井上円了だったら、後半生に哲学和讃や哲学堂公園を残していますね。それが思想の内容というよりも「身体」というものとして捉えられるのか、わかりませんけれども。
(文責:親鸞仏教センター)
(④へ続く)
吉永 進一(よしなが しんいち)
1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。
専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。
編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。