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[神戸大学人文学研究科講師] 齋藤 公太
亀裂のなかで生きること

 新型コロナウイルスの存在が国際ニュースの一角を占めるようになったのは、2019年の末頃だったろうか。それは当初遠い場所の出来事のように聞こえていたが、日本でも感染が広がり、人々の生活が一変するまで、さして長い時間はかからなかった。今や外出時にマスクをつけ、念入りに手指を消毒する生活にはすっかり慣れた。しかし、何か世界の位相がズレてしまったような居心地の悪さは、底流のように続いている。

 新型コロナウイルスとは一体何なのか。私たちはなぜこのウイルスに遭遇し、そしてどこへ向かっているのか。そこには何も意味がないのか。すべてが不明瞭なまま、とにかく日々を乗り越えるしかない。そんな感覚を抱いている人は、決して少なくないだろう。そしてこのような感覚は、10年前の東日本大震災の時にもあったことを思い出す。
 今回のパンデミックに限らず、自然災害や大きな事故は、普段私たちが世界を認識するために依拠している物語や象徴体系に亀裂を生じさせる。そして、 それらがいかに脆弱な根拠の上に成り立っていたかをあらわにする。そのため災害や事故が起こったあとには、医療や経済的支援などの現実的対処とは別に、出来事を再び物語や象徴体系のなかに組み込み、位置づけることが課題となる。

 だが今回のパンデミックの場合、このような受容過程が困難に直面しているように思われる。その理由の一つは、感染の拡大が長期にわたり、いまだ過去の出来事としえない点にあろう。また、感染防止と経済活動のいずれを優先するかという議論が常に繰り返されているように、パンデミックへの対応においても相矛盾する判断基準が対立し、明確な方針が見出せないことも、一つの理由だろう。
 歴史的な視点からいえば、前近代の日本において、このような出来事を解釈し、象徴的に意味づける上で、大きな役割を果たしたのは宗教だった。このほど刊行された朴炳道『近世日本の災害と宗教――呪術・終末・慰霊・象徴』(吉川弘文館、2021)は、徳川時代の日本人がいかに多様な宗教的象徴を用いて災害という出来事を受け止めようとしたかを教えてくれる。安政江戸地震の後に、地震の原因を地底の鯰(なまず)として描いた「鯰絵」はその代表例といえる。対照的に現代社会では、このような宗教的象徴による解釈は、個人や個別の集団においては可能であるかもしれないが、社会全体への広まりはもちえないだろう。なぜなら社会のなかで広く共有されうる宗教的象徴が、もはや存在しないからだ。

 振り返れば東日本大震災の時にも、同様の問題が存在していたといえるかもしれない。ただ当時は、今こそ「近代文明の転換点」、あるいは「日本の転換点」なのだ、という言説が語られることもあった(藤原聖子「大震災は〈神義論〉を引き起こしたか」『現代宗教2012』、2012) 。そこではしばしば「文明」の傲慢さが批判され、「自然」に聴従して生きることが説かれた。ひるがえって今回のパンデミックも、森林伐採の拡大による野生動物との接触の増加が原因といわれており、自然破壊の一つの結果ととらえることができる。しかし10年前のように「自然」と「文明」の単純な二項対立に落とし込む言説は少ない。「文明」のもたらす高度な医療技術や情報技術が、今もし存在しなかったことを想像すれば、それも当然だろうか。
 実際には東日本大震災の時でさえも、その出来事は被災した当事者の人々にとって、到底「文明」と「自然」のような二分法で片づけられるものではなかっただろう。今回のパンデミックでは世界中のほぼすべての人々が何らかの形で影響を受けたために、傍観者とはなりえず、出来事の複雑さに直面せざるをえなかった。その点にも、このパンデミックをとらえがたいものにしている理由があるのかもしれない。

 しかし、もし現代においてもなお象徴的な意味付けの基盤となりうるものがあるとすれば、それはネーション(国民)という次元なのではないだろうか。ネーションは「想像の政治共同体」であるというベネディクト・アンダーソンの定義は有名だが、ネーションは単に想像的であるだけではなく、現代の人間が世界全体を想像するときの自明の枠組みとなっている。そしてその枠組みは、国民国家という現実の制度に裏付けられているがゆえに強固なのである。
 よくいわれるように、武漢で発生した新型コロナウイルスが世界中へとまたたくまに広がった背景には、国民国家を越境するグローバル化の進展がある。だがパンデミックへの対応がそれぞれの国家を中心としてなされているために、国民国家の枠組みの再強化が一部で進みつつあるように見える。水際対策のための入国制限は象徴的な例だ。たとえ人々が政府の施策を批判していたとしても、「国民」のためにより良い対策を求めること自体、ネーションと国民国家の枠組みを前提としているのだ 。

 他方、新型コロナウイルスが世界中へ広まって以来、それは時に「中国ウイルス」や「武漢ウイルス」と呼ばれ、中国人やアジア系の人々に対する深刻な差別と暴力も跡を絶たない。日本では感染が広まりはじめた当初、政府は「日本モデル」の成功を誇ったが、そうした目算の誤りがその後の対策の遅れをもたらした面は否めない。これらの例に共通しているのは、元来国籍をもたないウイルスの問題を、ナショナルな、あるいは人種的な象徴でイメージし、意味付けようとしていることだ。このような問題を解決する手がかりを見出すためには、象徴的秩序に対する人々の渇望や、それと結びついた国民国家の枠組みへと、まなざしを向ける必要があるだろう。

 いずれにせよ、このパンデミックもいつの日か収束する。そのときには国民による団結と克服の物語が語られるのかもしれない。だがパンデミックにより人生を大きく変えられた人々の痛みや呻きは、単一のわかりやすい物語や象徴へと昇華しうるものではない。そしてこのパンデミックは既存の社会を支える物語や象徴体系に亀裂を生じさせるとともに、それらによって覆い隠されていた人々のあいだの不平等や、社会システムの不合理、政治の機能不全をもあらわにしつつある。だとすれば、今必要なのはこの違和感のなかに留まり、ざわめきや不協和音へと耳を澄ませることなのかもしれない――現在とは異なる社会のありようを想像するために。


 

(さいとう こうた・神戸大学人文学研究科講師)
著書に『「神国」の正統論――『神皇正統記』受容の近世・近代』(ぺりかん社)。他論文多数。

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