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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの—『大無量寿経』を読む—」の第116回から118回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第114回から一部を紹介する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」47

別離久しく長し

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 「会い見ること期なし」
 「窈窈冥冥(ようようみょうみょう)として別離久しく長し」(『真宗聖典』60頁、東本願寺出版)。「窈」というのは、かすかであると。「冥」は暗いという意味です。光が入らないような状態で、ほとんど眼のはたらきが役に立たないような在り方。こういう字を重ねて、我々が過去のこと、未来のことを見通そうとするときに、ほとんどわからないのだと。そういう在り方の中で、「別離久しく長し」。人と人との間柄は、ちょっと現在だけ親しくしていたり、あるいは過去からずっと一緒に生きてきたというような感覚がある。そういう中で亡くなっていった場合、どこへ行ったのかわからない。「道路同じからずして会(あ)い見ること期(ご)なし」(同上)。一緒に生きているように見えるけれども、ちがう道を歩いている。だから、いつになったら会えるのか。「甚(はなは)だ難(かた)し、甚だ難し。また相値(あ)うことを得んや」(同上)。たとえ会ったとしても、もう一度会うことはほとんどできないと。
■ 本当に生きた人に遇いたい
 私どもはこうして生きているけれど、生きていることの意味、生きることの本当の喜びを求める。本当に自分で自分に納得できるようなものに出遇(あ)うとはどういうことなのかと。こういうときに、やはり我々が求めるのは、本当に生きた人がいたら、その人に遇いたいと。人間は、本当に生きることを教えてくれる生きざまをする人を求めているのだと思うのです。
 そうした不思議な思いを私も青年期にもって、本当にそういう人がいるのだろうかと求めてみたけれども、それが見えない。本当に生きるということを生きている人が見えない。そういう思いがあって、結局、仏陀というような理想像がもしあって、それを本当に求めて生きている人がいるならという思いで京都へ行ったのです。今ごろになって、ああ、そういう要求があって行ったのかと思うのですけれども。
 そうして出遇うことができた。出遇うことができたその人は、実は、本当に仏道を求めて生きた人を求めた人であった。その人がまた先に求めた人をモデルとして生きようとして、それがまた次々に人を呼び寄せて、人を生み出してくる。
 それは結局、人を求めるように見えるけれど、人ではなくて、人を生かしめている真理性、「ダルマ」と言われる法があって、その法を求めて、法を生きようとする。つまり、本当の命を与えてくれるものを求める。そういうことが人間として生きるということには常に与えられているのかなと思うのです。人間を超えたものがあって、それを信ずる。
 けれども、実際は、例えばキリスト教であれば、イエスという人が現れて、教学ができるけれども、そのイエス像を求める。そういうことが生きたキリスト教を常に新しく新しく生かしめている。仏教であれば、お釈迦さまが苦悩して求めた、その姿を求める。お釈迦さま自身が人に依(よ)るな、法を生きよと、こう遺言したと言われている。しかし法、ダルマを求めると言うけれど、ダルマそのものは、そのダルマと称される真理性を信じてそれを生きた人を通してはたらく。本当にこの窈窈冥冥として何も見えない命を生きているにもかかわらず、そういう命を共に生きている中に、真理を求めて歩んだ人が灯火のように現れる。あとから行く者は、そういう者との出遇いを深く求めて歩んで行く。こういうことが説得力をもって教えとなり経典ともなり、そして新しく人を生みだしてくるのではないかと思うのです。
■ 「何ぞ衆事を棄てざらん」
 ですから、「何ぞ衆事(しゅじ)を棄(す)てざらん」(同上)と。人間がこの世を生きているときには、何を生きているかわからないけれど、とにかくその場で興味を引かれるものに夢中になってしまう。そういうことが「衆事」という言葉で言われてくるのでしょう。命が生きているということは、状況と共に生きていますから、その状況に埋没して状況によって動かされて生きてしまう。そういう在り方が「窈窈冥冥」という在り方になっているわけです。結局、何を生きてきたのかわからない。これから先もどうなっていくのかわからない。そういう在り方に対して、なぜそういう在り方を脱出しようと思わないのかと、こういう呼びかけです。
 『無量寿経』のこのいわゆる「三毒段」に入ってからの文章は、この世の在り方、人間が迷い苦しみ、そして苦悩の命を増幅していくことを描いているけれども、その中に何か求めざるを得ないのだということを教えようとしている。こういうことがうかがわれます。
(文責:親鸞仏教センター)
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