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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 鈴木大拙は膨大な著作をのこしているために、思索の全体像を把握するのは困難である。しかし、大拙の研究はここ数年で発展しており、その一翼を担われているのが安藤礼二先生である。5 月21日に開催された「現代と親鸞の研究会」では安藤先生をお呼びして、「鈴木大拙の浄土論」の講題のもと大拙の思想について述べていただいた。講義では大拙の思索の根底にあるものについても討議が行われた。以下に抄録をお届けする。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳)


鈴木大拙の浄土論

多摩美術大学美術学部芸術学科教授 安藤 礼二 氏

◆鈴木大拙と折口信夫
 私は大拙を学ぶ前は折口信夫を研究していました。実は両者は複雑な関係をもっています。神道が世界の宗教の中で、どのような位置を占めているのか。それについて学んでいたのが若き日の折口信夫、つまり後に民俗学者となる折口信夫でした。実は、折口の家は真宗門徒なのです。そして國學院大學に入学したときに、9歳上の僧侶と一緒に暮らし始めました。その僧侶が鈴木大拙の英語で書かれた本を非常に熱心に読み込んでいました。

 近代になって仏教界は自分たちがどういう基盤に立っているのかについての問い直しが図られていました。一方で折口は、当時は国家神道に対抗するような形で、道徳としての神道ではなくて、宗教としての神道を復活させようとしていました。
◆大乗仏教の可能性
 そのときに、ちょうど大拙たちも関わりながら、『精神界』と『新仏教』という二つの雑誌を中心に、近代的な仏教の改革運動というのが盛り上がってきているのです。西田幾多郎は『精神界』、鈴木大拙は『新仏教』に拠りました。そのような状況の中で、いわゆる大乗仏教の現代的な可能性はどこにあるのかを徹底的に考える。そのあたりから恐らく大拙の思考が始まったのではないでしょうか。折口信夫を研究しているときは、まさか自分が鈴木大拙を研究するとは夢にも思いませんでした。神道を立て直して民俗学という新しい学問を築き上げた折口信夫。その彼が恐らく最初に志したのが、明治時代の鈴木大拙たちの営為と同じであったということが衝撃でした。近代とは、そのような形でもう一度読み直さなければならない時代であるということがよくわかりました。
◆大拙と『大乗起信論』
 大拙は1900年に『大乗起信論』を英訳しました。そして1907年に『大乗仏教概論』を上梓しました。これが大拙の英文著作の最初期にして最も代表的な作品と呼ばれております。ここでも『大乗起信論』の構造をそのまま大乗仏教全体の構造として、大拙は敷衍しているのです。

 大拙は非常に多くの著作を出しています。大拙をエッセイストとして見る意見もあります。それも一理あります。しかし私は、最初の英文の代表著作『大乗仏教概論』と日本語の代表著作『日本的霊性』が、非常に密接な関係をもっていると思っています。大拙は、やはり一つの理論として大乗仏教を考えている。そしてその理論が、大拙の全体の書き物の中にかなり明瞭に表れているのではないか。現在はそう考えるようになりました。

 それから、もう一つはいわゆる純粋さの問題です。私は専門ではありませんが、例えば、仏典ですと、大乗仏教というのは、釈尊滅後500年以上たってから形になったものであると言われております。しかも、日本の大乗仏教の経典は、その多くが漢訳に基づいています。つまりサンスクリットの原典は、ほとんど読まれていないわけです。その意味で二重、三重にオリジナルから離れた仏教なのではないか。そのような仏教には実は価値がないのではないか。大拙たちの時代には、こうした大きな非難が浴びせられました。それに対して大拙は、いくつかの国を経て、そのたびに変容を重ねながら、日本列島に落ち着いた大乗仏教とは、例えば、サンスクリットのオリジナルから来たものではないとしても、これだけ長い間、この極東の列島に定着しているので、何らかの思想的な可能性はあるだろうと。そう読み直していくのです。

 大拙とは何者であったのか。そういったことについて、あまり統一的な見解を出す必要はないと思いますけれども、私にとって、大拙は、『大乗起信論』を読み解き続けた人ではないかとも思うのです。
◆『華厳経』への関心
 そのようなことを考えていくと、大拙が『大乗起信論』を自分で英訳することを選んだのは、まずは日本、極東の列島に伝わってきた仏教はどのような構造をもっているのか。その中で、基本的な構造が他の教えにどのように発展していっているのか。そのようなことを考えて『大乗起信論』を翻訳し、『大乗仏教概論』にまとめたのではないでしょうか。さらに加えますと、実は1907年執筆の『大乗仏教概論』の時点で、大拙が最後の自分の主題と考えた『華厳経』をすでに数多く使っているのです。心の中に秘められた如来蔵は、そのまま法身である。このように法身を定義するときに大拙はもう『大乗仏教概論』の段階で『華厳経』を多く使っています。

 ですから大拙の思想で一貫しているもの、それが『大乗仏教概論』に結実してくる『大乗起信論』の英訳であり、そこに結び付いていた華厳的なものが思索のベースとなっていると考えられます。そしてそれは『日本的霊性』の中にも完全に流れ込んでいるのです。
◆浄土の教え
 流れ込んでいるのですが、ただ大拙自身は、先ほども言いましたように、『新仏教』という雑誌に関わっています。これは浄土真宗の西本願寺の文学寮に集った人たちが主なメンバーとして作っていました。そこから『中央公論』などの雑誌が生まれてくるわけですね。大拙は、この『大乗仏教概論』以前から真宗とは非常に深い関係があって、仲間たちがたくさんいました。そして大拙は40歳の頃にアメリカから日本に戻ってきて、大谷大学に就職します。ですから、浄土の教え自体は大拙にとって、非常に身近なものであったと思われます。しかし、大拙が本格的に浄土の教えを研究したのは、恐らく『浄土系思想論』が始まりではないかと考えています。そしてこれが大拙を変える、あるいは深めていくのです。

 『大乗仏教概論』と『日本的霊性』というのは、私が読む限り、非常によく似た構造をもっています。ただ、大きな違いもあり、それが法然および親鸞の発見と、妙好人たちの発見になるのだろうと思います。
◆法身と意志
 もうひとつ議論になる点があります。大拙は『浄土系思想論』をはじめ「法身」について述べています。そして法身は意志をもっている。その法身の意志と私の意志が一つに溶け合う。それが涅槃なのだと述べているのですね。これは当時の生物学などの成果を仏教に読み込んだものです。

 それに続けて、法身の意志が実は本願だとするのです。しかし、本願とはそのような意味ではないはずです。けれども大拙はそのように捉え直す。法身からの意志とは、他力にも通じると思いますが、自らの意志によってその法身と一体化する。それが涅槃だと。『大乗仏教概論』の中では、そのように自分の思想をまとめています。このような考えが、大拙がもっている一つの理論的なマトリックスになったのではないかと思います。
◆禅と浄土
 『大乗仏教概論』の中では大乗仏教を一元論的な汎神論として定義しています。一つの自然から様々なものが産出され、それと一体化する方法は何か。もちろん大拙は後に、この点で禅を選んでいきます。確かにそうなのですが、先ほど言いましたように、『大乗起信論』自体に、自分の心の中に存在する法身を開発して一体化する教えには、実は禅(止観)ともう一つ浄土(念仏)があるのだと、そのようにすでに書かれているのです。そして『浄土系思想論』という著作は、大拙にとって『大乗仏教概論』と『日本的霊性』の間の連続であると同時に、非連続の部分をつなぐ役割を担っているのではないか。私はそのように考えています。
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