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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 「現代と親鸞の研究会」の第3回目は、2002年2月28日、アルカディア市ヶ谷(千代田区)において、作家の高史明氏を迎え、開催した。  センターでは、現代の言葉で親鸞の思想を発信していくためのひとつの試みとして、『歎異抄』研究会を開いている。その学びの方向性を確認していく上で、今回は、高氏に現代における『歎異抄』の学びの視座について語っていただくとともに、センターへの期待とその役割について問題提起をいただいた。ここにその一部を紹介する。(本多雅人)
現代における『歎異抄』の学びの視座

作家 高 史明
■「わかる知恵」の行き着く果て
 2001年の9月11日に起きた、アメリカの世界貿易センタービルの同時多発テロにおけるブッシュ大統領の発言は、まさに人間中心の理性、いわゆる「わかる知恵」の代表的表現だったと思います。「文明と野蛮」という言葉、「善と悪の戦い」という言葉。そういう言葉が、そのまま現代を象徴しているわけです。私は、現代のすべてがわかるとする、そのような合理的理性というものが『歎異抄』と真っ向から衝突していると思います。
 そこで、「わかる知恵」ということを足もとから考えてみますと、あそこで亡くなった人たちがどう受け止められているのかということが、現代の要(かなめ)の問題だと思います。「わかる知恵」のレベルでこの死を見たときには、死はモノになった、無になったという理解の仕方が現代だと思うからです。そこに、現代の大きな盲点が表れているのではないかと思います。
 人類が誕生し、そして進化していく過程の中で、死を意識し弔うことが行われるようになったと言われています。その死者と生者の出あいのところに文明が始まったということですが、私もそれに賛成です。そのようにして人間は生死を考えてきたと思うのですが、現代は、生というものが完全に死を排除したところに成り立つかのような日常生活を作っています。
 そうしますと当然、生というものもわからなくなってきます。そして現代人は、それをどこでどう乗り越えていけるのかわからないでいるのです。生死をかけて、もう一度根っこにおいて生とは何か、死とは何かということを考えないと単なる知識に流れていってしまいます。ここに、現代の私たちの理性を中心にした時代が行き着いた姿があるのではないかと思います。
 現代は、根こそぎ自分たちの依って立っている場所を見直さなければならない時代だと思います。
■念仏は如来の実践
 しかし、近代が抱える問題の打開口こそ仏教に求めなければならないというほど短絡的な問題ではありません。実は、仏教でも学問・知識に陥っていくという問題があります。そういう問題を経て、親鸞聖人のすごい教えが誕生したと思うのです。
 親鸞聖人の主著である『教行信証』「化身土巻(けしんどのまき)」に『大乗起信論(だいじようきしんろん)』が引用されています。これは非常に『歎異抄』の言葉にも相応しています。そこには、仏教の真理をもって人々を迷わすとあります。これは恐るべき言葉だと思います。これを読んでいきますと、新宗教の、例えばオウムの若者たちのように、あれだけ勉強していながら空中遊泳という修行を励んでいく姿を見ているような気がします。つまり、仏教の究極の言葉をとおして、人々を迷いに誘い込んでしまうのです。そういう意味で、「善根力(ぜんごんりき)なければ」と言われていることの大事さを思います。
 親鸞聖人は『教行信証』「信巻(しんのまき)」で、「それ以(おもん)みれば、信楽(しんぎよう)を獲得(ぎやくとく)することは、如来選択(せんじやく)の願心より発起(ほつき)す」と、善根力と同じ内容である「如来選択の願心」ということを踏まえたうえで、「しかるに末代の道俗・近世(ごんせ)の宗師、自性唯心(じしようゆいしん)に沈みて浄土の真証を貶(へん)す、定散(じようさん)の自心に迷いて金剛の真信に昏(くら)し」と言われています。
 自性唯心という華厳の真理も、念仏がなければ学問になってしまうのです。このことから、科学だけの問題ではなくて、仏教のほうにも、人間の歴史を作っていくときに同じ迷いを身にまとっていってしまうと思います。そのことを見抜いて、そうでないというところを開かれたのが浄土真宗のすごさといいますか、念仏なしに世界はおそらく成り立たないだろうと思われる根拠が、ここにあるのです。
 このことに気づかされてみますと、今日、いつの間にか真宗が「ただ念仏のみぞまこと」(『歎異抄』)という一点をどこかで踏み外して、学問になってしまったように思います。さらに言いますと、お念仏を称(とな)えるというのは、称えさせられるわけですから、一人ひとりが自らの体をとおして仏と出遇(あ)っていくという実践だと思うのです。お念仏は解釈しているのではなくて、仏に実践させられているのです。実践なくして仏さまの教えは頂戴できないと思います。そこが、現代に仏教が本当の意味で蘇(よみがえ)ってくる要として考えられなければならないと思います。
 生死の問題にたちもどってみますと、近代は人間中心のように見えながら、実は一番土台のところで見えないものを抱えています。いのちの道とは、他の世界と完全につながっています。『歎異抄』の言葉で言えば、「一切の有情(うじよう)は、みなもって世々生々(せせしようじよう)の父母(ぶも)兄弟なり」です。この言葉は概念ではないのです。そのまえに「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」とあって、一切の有情は、いのちとして皆つながっているということを私たちが納得できるようになるのは、お念仏なしには成り立たないのです。ここが現代の盲点です。念仏がないのです。そこでは死を見失うのです。
 そういう意味で、死を理解しようということではなくて、死に出あったときにその悲しみや悩みをもっと深く突きつめていくということが大事なのではないかと痛感いたします。
(文責:親鸞仏教センター)
※詳細内容は、『現代と親鸞』第2号に掲載しています。
高 史明(コ サミョン) 作家
1932年、山口県生まれ。75年、息子・岡真史君が12歳で自死したことを契機に、深く『歎異抄』と親鸞聖人の教えに帰依する。75年、日本児童文学者協会賞、93年、仏教伝道文化賞を受賞。2001年にはNHK人間講座で「現代によみがえる歎異抄」を担当。著書に『少年の闇 − 歎異抄との出会い』ほか多数。また、『アンジャリ』第2号に「現代と『歎異抄』」を執筆いただいている。
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