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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2003年7月23日、東京ガーデンパレス(文京区)において、理学療法士の三好春樹氏を迎え、「現代と親鸞の研究会」を開催した。  近代的自我から解放されて、生き物に還っていくのが老いや痴呆であり、そこに深い生き方を見出されながら、介護に関わり続けている三好氏に「老人介護と子育て」をテーマに語っていただいた。その一部を紹介する。(本多雅人)
近代と老人介護

理学療法士 三好 春樹
■異文化としての老い
 ―近代的人間観を超える―

 進歩・発展をよしとする近代的人間観が、いま大変な矛盾をきたしています。介護の現場にいて思うことは、近代的人間観というようなものを超えないと、実際に介護はできないという感じがします。
 往相(おうそう)ばかりで還相(げんそう)がないというのが近代的人間観といっていいでしょう。往相として一方的に往(い)くだけでは、老いというものを意味づけられないと思います。たとえ意味づけるとしても、その流れに流されてしまうわけです。仮に、自己実現の段階までいった人でも、歳を取ると、本能の方向、つまり、より下の低次の階層に還(かえ)らざるを得ないでしょう。必ず下降する還相があるのに、あたかも還相がないかのように、世のなかや国家や会社というのは進歩・発展していくのだという考え方が、実は、老人問題をつくっていると言ってもいいと思うのです。
 現代は、要するに「異文化としての老い」というものが見えない社会になっています。いきっぱなしの方向のなかで、老人をこちら側から見た救済の対象、介護の対象として見るのではなくて、還相を一生懸命に生きている主体であるという捉え方をしなければいけないと思います。脳細胞が萎縮して、わけがわからない状態だから介護してあげなければいけないというように、単なる痴呆性老人という対象として捉えるのではなくて、とても困難だけれども、老いを一生懸命生きようとしているからこそ、あんなに混乱して問題行動が起きているというふうな捉え方が、還相の思想でできるわけです。
 あるいは、痴呆性老人というのは、狭い近代的自我から解放されていく人たちであるという捉え方ができないものだろうかとも思います。というのは、近代的自我をもった者だけが人間であるという狭い人間観から痴呆性老人を見て、介護の対象としていることがあるからです。
 例えば昨年、厚生労働省は、特別養護老人ホーム全室個室化を打ち出して、朝日新聞や毎日新聞などのマスコミも社説で賛成しました。現場に来ればよくわかりますが、痴呆性老人は個室を喜んでいないのです。近代的自我がある人は、個室がいいだろうと思いますが、痴呆のように近代的自我から離れて、いわば生き物へ回帰していくという人にとっては、個室が独房みたいに感じられるのです。
 日本の社会は、老いや痴呆を内在化するのに少し失敗して、結局、自分たちの考えている非常に狭い人間観を老人に押しつけるという誤りを、厚生労働省を先頭に、近代的市民といわれる人たちが犯しているような気がします。
■最後の母としての介護職
 ―子育てとの共通点―

 痴呆性老人の問題行動は、格好いいとは思わないけれど、それが存在証明だと思ったほうがいいと思います。これは子育てとまったく共通していることで、痴呆性老人を肯定的に受け止める「母」がいればいいと思うのです。そういう意味で、介護職は最後の母ですね。その人を変えようとか、暴力行為をなくそうとか、問題行動をなくそうというのではなくて、これを受け止めるということをやればいいということなのです。問題行動などを変えようとか、説教しようというかたちで関わった専門家は、薬を飲ませたりもしましたが、まったく効果が上がりませんでした。ところが、逆にそういう手段を知らないで、肯定的に受け止めるということを行なったのは、実はまったくの素人の集団です。その人たちが痴呆の老人を落ち着かせたのです。
 では、老人がどうしてだめになるかということですが、身体の障害が理由になることはほとんどありません。そういう人が寝たきりになるのは、その麻痺した体で生きていこうという気持ちがなくなったからなのです。主体がまず崩壊し、それから体がだめになっていくのです。私は、このことを「関係障害」という言い方をしています。老いた自分とどう付き合っていいかわからない。障害をもった自分が自分だという気がしない。この自分を生きるということができなくなっているということなのです。  現代医療は、歩けない人を歩くようにするという力をもっています。しかし医療では、歩けるのに歩かないという人をどうするかという方法については、まったく習っていないのです。だから、いまのような例では「本人の意欲がない」というひと言でお終いです。そこからが介護の仕事ということになるわけです。だから麻痺した手足を治す方法ではなくて、この麻痺した手足でどう生きていくのかということが、介護という仕事だと思います。一人ひとりの障害と老化に見合った生活づくりをどうするかという、文字どおりブリコラージュ(手作りの方法)が介護という仕事です。
 育児書を読みながら育児をやっているお母さんたちが、言葉が通じない赤ちゃんに対して、どうしていいかわからない。本に書いてあることが通用しない。これは、育児力がなくなったのではなくて、育児関係がとれなくなったという問題だと思います。それとまったく同じで、介護の問題も、介護力が足りないのではなくて、介護関係がとれないということが問題だという気がします。そこがつながっているように思います。子どもをめぐる問題は、老人をめぐる問題とどこかで通底しているように思います。
(文責:親鸞仏教センター)
※三好春樹氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第5号(6月1日号)に掲載しています。
三好 春樹(みよし はるき)
理学療法士、「生活とリハビリ研究所」所長
1950年、広島県生まれ。特別養護老人ホームに勤務後、九州リハビリテーション大学校を卒業し、再び特別養護老人ホームで理学療法士として勤務される。85年より「生活とリハビリ研究所」を主宰し、情報誌『ブリコラージュ』を発行。また、全国で「生活リハビリ講座」を開催している。著書に『元気がでる介護術』(岩波書店)、『老人介護常識の誤り』(新潮社)、『男と女の老いかた講座』(ビジネス社)、『ブリコラージュとしての介護』(雲母書房)。共著に『〈老い〉の現在進行形』(吉本隆明、春秋社)、『老人介護とエロス』(芹沢俊介、雲母書房)などがある。また、『アンジャリ』(親鸞仏教センター)創刊号に「老人介護と子育て」を執筆いただいている。
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