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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2004年1月26日、東京ガーデンパレス(文京区)において、大阪大学教授の鷲田清一氏を迎え、「現代と親鸞の研究会」を開催した。
 臨床哲学を提唱し、医療、介護、教育、企業などの現場で起こっている問題に関わりながら、対話としての哲学の確立をめざす鷲田氏に、「いま、生きる力を問う」をテーマに語っていただいた。ここにその一部を紹介する。(本多雅人)
いま、生きる力を問う

大阪大学教授 鷲田 清一
■あらゆる人を「一」と数える近代社会
 「生きる力」というとき、おそらく「存在の意味」という問題と切り離しては考えられないだろうと思います。
 近代社会では、どうして自分の存在の意味を必要とするのかと言えば、要するに、個人の生き方という視点から、「スタートラインはいっしょにしよう」ということなのです。性別や家柄、階級や貧富などを全部消去して、この国に所属している人は、すべて同じ「一」としての権利をもち、あらゆる人が同じスタートラインに立てるという理念で、近代社会は再出発しました。現実は、いまだに皆をきちんと一として数えていない問題もありますが、理念としてはそれをめざしてきました。つまり、職業にしろ、結婚にしろ、すべて自分で決めていかなければならず、また、自己決定の結果として責任が問われるという社会になっているのです。
 そうすると、当然「自分とは何だろう」「自分には何が向いているのだろう」などと、嫌でも自分探しをせざるを得なくなります。
 しかしながら、あらゆることが分業化され、専門化されて巨大な都市システムのなかにはめ込まれていった結果、私たちは「存在の意味」を見いだし難くなっていることも事実です。何でも資格というものが問われる専門化社会になってしまいました。つまり、小さいときから「自分が本当に資格を満たしているのか」、言い換えると、「本当にここにいるに値するものであるのかどうか」という問いを、恒常的に自分に向けざるを得ないような精神生活を送らなければならないということです。それで、「自分探し」が始まるのですが、他の人にないものを自分のなかに探すという自分探しは、「タイプ探し」であり「類型探し」なので、本当の意味での自分探しにはつながりません。
 一方で、他者による無条件の肯定を求めるのですが、それがまさに「恋愛」です。恋愛は、無条件の肯定であり、他者の意識の宛先となることです。しかし、無条件の肯定は、理念としてはあまりにも強すぎて、むしろ現実は破綻の原因になりやすいものです。絶えず誰かとつながっていたいという気持ちが強ければ強いほど、すごく依存的な生き方になってしまう傾向もあります。つまり、自分探しも恋愛もどちらにいってもうまくいかないことを、皆が必死にやっているように私には見えます。
■他者の意識の宛先になる
 ここで、他者の意識の宛先になるということを、もっと広いイメージで考えてみましょう。  例えば、看護の現場で言えば、「患者本位」ということで、何かをしてあげることばかり考えて、一方通行の関係のままだと、絶対もたなくなるわけです。大切なのは、「ケアされる人が、ケアする人をケアする」ということではないかと思っています。
 一例ですが、ケアということを考えるときに、私自身が実際に経験した、新人の女性の看護師さんと、ほぼ寝たきり状態の80歳代の患者のおじいさんのことが思い浮かびます。
 それは、私の入院中の出来事ですが、昼食後のひととき、決まってその患者のおじいさんの蒲団に覆いかぶさり、もたれて、「お昼寝」をする看護師さんと、病院側に見つからないように、病室から廊下を見張りするおじいさんの話です。疲れて眠たい看護師さんは、本来は患者さんをケアしてあげる立場なのに、ケアされる患者さんのほうが看護師さんのことを心配して、見張りをしているわけです。  ところが、この出来事をとおして、おじいさんは、この若い看護師さんに二つの生きる力をもらったのです。一つは、これまで人にもたれることはあっても、人からもたれられる経験がここ十数年なかったおじいさんが、もたれられるという新鮮な感覚をもてたこと、それからもう一つ、「私が廊下を監視していないと、この看護師さんは必ずだめになる」と感じたこと、この二つのことから、おじいさんは自分が他人を支えているという感情も、久しぶりにもてたのでしょう。
 自分の存在が、他人にとって意味があると感じられたときに、人は力が湧いてくる。このおじいさんは、自分が彼女にとって不可欠の存在である、と感じられたのでしょう。つまり、「ケアする」と「される」の関係が逆転しています。その行為を通じて、おじいさんは看護師さんから生きる力をもらっているわけです。ケアということを考える場合も、一方的な関係だけではなく、ケアしてあげる人が逆にケアされるというような反転が絶えず起こるのだということです。
 自分が他者の意識の宛先になるということは、言い換えると、自分が相手に関心をもつということです。他人に関心をもち過ぎるとおせっかいになって、今度はうっとうしくなったりしますが、しかし他人への関心を失うと、やはり生きる力を失うだろうと思います。  そういう意味では、「するべきことをどれだけしたか」ということだけで自分たちの仕事を評価するのではなく、「してはいけないことでもやったほうがいい」場合もあるし、「何もしないでいるということが意味をもつ」場合だってあるのでしょう。看護師さんが患者さんに愚痴を言ってケアしてもらう場合もあるし、愚痴を聞く患者さんが、また自分自身をケアするというような、何重もの反転が起こると考えていくと、自分探しの泥沼に入ることもないと思います。  そのあたりまで引き返して考えると、少し気が楽になって、ガチガチではない、支え合いというイメージができるのではないでしょうか、そんなふうに思っています。
(文責:親鸞仏教センター)
鷲田 清一(わしだ きよかず)大阪大学教授
1949年、京都市生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学大学院文学研究科教授。2004年より大阪大学理事・副学長。専攻は哲学、倫理学。著書に『〈弱さ〉のちから―ホスピタブルな光景』(講談社)、『時代のきしみ―〈わたし〉と国家のあいだ』(TBS ブリタニカ)、『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』(阪急コミュニケーションズ)、『死なないでいる理由』(小学館)など多数。また、『現代と親鸞』第7号に「いま、生きる力を問う」、『アンジャリ』第5号に「ケアの専門家?」(共に親鸞仏教センター)を執筆いただいている。
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