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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2006年2月1日、東京ガーデンパレス(文京区)において、医学界から田畑正久氏(佐藤第二病院医師)を迎え、「現代と親鸞の研究会」を開催した。医療と仏教はともに生・老・病・死を問題にする。しかし、老・病・死は克服できるものなのか、できないものなのか、その視座をはっきりしなければならないと田畑氏は言われる。本来の医療には仏教が不可欠であるとの信念をもつ田畑氏に、これからの医療について語っていただいた。ここにその一部を紹介する。(本多雅人)
医療と仏教

佐藤第二病院医師 田畑 正久
■医療と仏教の関わり
 医療が人間を救うのか、仏教が人間を救うのかということを考えたときに、医療は老・病・死を先送りにするという限界があると思います。そして、仏教が「生しよう死じを超える」と教えていることのすごさをあらためて思いました。
 生死を超えるということを、医学は「不老不死」というかたちで追い求めていますが、結局は壁があり、限界があるわけです。現代医学で、できるだけ先延ばしするということも大事だと思いますが、それだけにとらわれるのではなく、「生死を超える」という世界への気づきということが、より大事であると思います。
 いまは、医療のほうが何か大きな顔をしていますが、仏教のなかの部分的なものが医療ということではないか、包含関係で言うならば、医療は仏教のなかに含まれていると思います。
 人間の苦悩は、私の現実と私の思いに差があるということ、そして、その差が苦悩の原理となっています。この「差を縮める」というのは、一つは、現実を思いのほうに近づけるということと、もう一つは、思いが自分の現実を受容していくということです。  そのような問題に関連して、現代医療のなかに、spiritual(スピリチュアル)という問題が入ってきました。私は、spiritual というのは、「後ご生しようの一大事」と言われることと、かなりオーバーラップしていると思います。人間に生まれた意味、生きることの意味、死んだらどうなっていくのか、これらの解決が自分なりに本当に頷うなずけているのかということです。spiritual ということで言われていることは、真宗ではずっと問題にしてきました。そういうことへの頷きをもっていることが、人間としての健全さではないかと思います。
 EBM(Evidence Based Medicine 客観的な根拠に基づいた医療)と NBM(Narrative Based Medicine 物語に基づいた医療)との二つによって、初めて本当の全人的医療が成り立つのではないでしょうか。EBM に関しても、もう一度じっくりと事実はどうなのかということを見て、患者さんがどういう人生を生きたいのか、その人の病気観や価値観などの人生観と、客観的な事実を合わせて全体を見ていくことが大事なのです。
 まさに仏教は、人間に生まれた意味、生きる意味、死んだらどうなっていくのか、という普遍性のある物語を提供していると思います。そういう意味では、この物語に基づいた医療に対して、仏教は、ぜひとも発言していかなければならないと思っています。
 私たち医療者は、人間の苦悩を救ううえでどこで関わっていけるのか。自分にできることとできないことがあり、もしできないとするならば、チームを組み、各人の役割を果たしていきながら、一人ひとりの苦しみを救うという取り組みが必要です。医療と仏教が協力をするという課題のなかで、いろいろな方向性が見えてくるのではないかと思うのです。
■生死を超えて生きる
 お念仏に出遇(であ)うということなしに、「生死を超える」という問題の解決はないと思います。いまの一瞬に、質的に「無量寿」と通じていることを感得することが大切ではないでしょうか。それは、南無阿弥陀仏という世界に摂取不捨(せっしゅふしゃ)されて生きることである、と真宗では教えているのではないかと思うのです。私たちは、単にいのちの量的な長さを延ばすことだけを願っているのではなく、本当は、いのちの長短にとらわれない世界を求めていることを、本願をとおして教えていただくのだと思います。
 では、「生死を超えて生きる」とはどういうことなのか。細川巌(いわお)先生は、「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁として生きる。これを浄土真宗という」「私たちは、人間として生まれて、いま、ここで生かされているという世界が見えてくると、人生におけるいろいろな出来事はすべてが私を人間として成長させ、成熟させる縁であったといただけます。ヒトとして生まれたものが人間に成っていき、ついに人間に成り切って完成した人間と成っていくのです。すなわち、仏に成っていく歩みが、私たちのこの人生なのです」という言葉を残してくださいました。
 いままでは、世俗的価値判断で結論づけて、「成功だ」「失敗だ」「勝ち組か」「負け組か」と振り回されていたけれども、それらが全部、自分に必要なこととして配置されていたことなのです。そのことを受け取ることをとおして、人間に生まれながらも人間に成れておらず、餓が鬼き、畜ちく生しようを生きている私たちが、この世でいろいろなことを経験しながら成長して、ついに人間に成っていくのです。そういう歩みが、生きるということの意味だと思います。
 私は、医療と仏教の両方に関わりながら、医療と仏教は、生・老・病・死という同じ課題を担っているのであるから、協力関係が必要だと思っています。そうすると、やはり、医学部や看護学教育のなかで、仏教的な素養を教える機会がどうしても必要ではないかと思います。
 生・老・病・死に関わる医療や福祉の分野に、仏教的な素養をもつ人物を育てていく取り組みが欠かせないことを感じています。また、一般の方々にもそういう問題が大事だということを共有できる文化が育っていかないと、僧侶や医師ががんばっても何もできません。spiritual という問題の大事さ、物語の大事さを共有できるような文化を育てていかなければならないと強く感じています。
(文責:親鸞仏教センター)
田畑 正久(たばた まさひさ)佐藤第二病院医師
1949年、大分県に生まれる。九州大学医学部卒業。同大学病院、国立中津病院を経て東国東広域国保総合病院院長を10年間勤める。飯田女子短期大学客員教授。医学博士。1990年「国東ビハーラの会」を組織し、医療と仏教の協力関係構築に取り組む。現在、大分県下、数カ所で「『歎異抄』に聞く会」を主宰。著書に『生と死を見つめて―医療と仏教が共にできること』(東本願寺出版部)、『老・病・死の現場から』(法蔵館)など多数。また、『アンジャリ』第9号(親鸞仏教センター)に「医療は地域文化―医療と仏教―」を執筆いただいている。
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