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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
  2006年11月29日、アルカディア市ヶ谷(千代田区)において、講師に映画監督の森達也氏を、コーディネーターに社会評論家の芹沢俊介氏をお迎えし、「現代と親鸞の研究会」を開催した。今回の研究会は、先に開催の森氏の問題提起「現代における存在の不安と宗教」(同年5月16日)を受けて、まず、親鸞仏教センター研究員が発題(レポート)を行い、その後、両氏から、ご自身の課題を提起されながら討議を行った。ここに、その一部を紹介する。本紙では、研究員の発題は省略するが、発題を含めた研究会の詳細は、『現代と親鸞』第13号(2007年12月1日号)に掲載予定である。(嘱託研究員 本多雅人)
現代社会に親鸞思想は応え得るか

映画監督 森 達也
社会評論家 芹沢 俊介
■森達也氏からの問題提起
 親鸞仏教センター研究員の発題(レポート)の「善悪の二分に対しての抗(あらが)いというものは、釈尊からずっと続いている大きな課題である」ということを聞いて、なるほどと思いました。オウム事件以降、特にメディアが次々に社会の仕組みを変え、人の意識を変えています。メディアを通して、単純化、簡略化、善悪の二分化が行われ、善悪の「間(あいだ)」というものが、不安や恐怖が昂進(こうしん)する世相のなかに消えていってしまっている状況が進んできているように思います。
 最近、真宗のある方から、「阿弥陀如来の言葉の意味を知っていますか?」と聞かれました。僕は、「如来はわかるけど、阿弥陀はわからない」と言うと、彼は「弥陀」というのは計るとか、わかるというサンスクリット語で、「阿」は反意語だと。つまり、「阿弥陀」というのは「計り知れない、わからない」という意味だから、阿弥陀如来というのは、人間が計り知ることのできない仏さまという意味だと説明されました。一神教であれば、このような考え方はおそらくあり得ないでしょう。でも、仏教ではそれが成り立ちます。つまり、わからない領域があるというか、「わかる」「わからない」を超えてしまっているのです。「わかる」と「わからない」が二分しないのです。もう、「無量」である。仏教は、そこから始まっていると感じました。
 それから、『教行信証』に「真(しん)」「仮(け)」「偽(ぎ)」という言葉がありますが、これを僕流に解釈すれば、「真」と「偽」は相反する要素です。つまり、真実と虚偽です。親鸞は、さらに「仮」をおき、「間」、つまり曖昧を残しました。実は「真」「偽」は概念として明確だが、現実は「仮」だと。これは、まさしくいまのこの世相に対してのアンチテーゼです。多面性への提示で、「間」にあるものへの眼差(まなざ)しだと思います。そういった部分で親鸞を紐(ひも)解(と)くと、僕にはとてもフィットするのです。例えば、僕はドキュメンタリーを生業(なりわい)にしていますが、「ドキュメンタリーとは、ひとくちで言って何ですか?」と聞かれると、最近は「単純化への抗いです」という言い方をしています。そういう意味では、親鸞は、このわかりやすさに抗うのです。
 僕が親鸞に惹(ひ)かれる背景には、きっと簡略化、単純化、善悪の二元化に対しての問題性を感じているからではないかと思います。ですから、その意味では「現代社会に親鸞思想は応え得るか」ということは当然だと思いますし、応えるどころか、大きなアンチテーゼとしての起爆剤になってくれるはずだと思っています。
■芹沢俊介氏からの問題提起
 親鸞仏教センター研究員の発題(レポート)を聞いて共感したのは、「いま、ここにある自分を受け入れて生きていくことが救いだ」という点と、「業縁(ごうえん)存在」ということです。「業縁存在」という言葉自体、すでに善悪を超えています。僕は、これまで「イノセンス」(innocence) という考え方を提出してきました。責任がないという意味で使っています。根源的受動性です。子どもからすれば、生まれたことに自分の意志・選択がいっさい関与していないこと、つまり、生命や身体などを強制的に贈与されています。だから、産まれたことのイノセンスの表出に対して、そのイノセンスの表出がしっかりと受け止められる条件が成立したときに、イノセンスは解体されていく。すなわち「いま、ここにある自分を受け入れて生きていくことが救いだ」という、そういう図式を作ってきました。
 この図式は、親鸞が『教行信証』に『涅槃経(ねはんぎょう)』を引文する「阿闍世(あじゃせ)の物語」と響き合えるのではないかと思っています。阿闍世という「業縁存在」が、どのように自分の生を受け止めていくのかを見ていくときに、まず、親殺しの前に子殺しが先行しているという考え方が提起できるのではないかと思います。ですから、単にイノセンスの表出を受け止めるだけでなく、父親が子ども殺しを画策していたことを知ってしまったという、付加されたイノセンスの表出も受け止めること、これが阿闍世の物語ではないかというのが僕なりの読み方です。
 そして、受け止められた体験には、受け止め手が不可欠です。最初の受け止め手は父親の頻婆娑羅(びんばしゃら)、続いて耆婆(ぎば)です。もう一方では、「父を殺せ」と唆(そそのか)す提婆達多(だいばだった)も非常に大きな役割を果たしていて、イノセンスの表出を促していく力だと位置づけることができます。要するに、唆されるということは、そのイノセンスの表出を促す人として、非常に強いはたらきをしたのだと見ることができます。
 そして、受け止め手の耆婆によって初めて、阿闍世は、釈迦に心を開いていくのです。このプロセスによって、「いま、ここにある自分を受け入れて生きていく」という「自己受け止め」が可能になり、イノセンスが解体していくのではないかと思っています。
(文責:親鸞仏教センター)
森 達也(もり たつや) 映画監督
1956年、広島県に生まれる。立教大学法学部卒業。98年にオウム真理教を追跡したドキュメンタリー映画『A』を、02年に『A2』を発表。著書に『こころをさなき世界のために=cd=ba52親鸞から学ぶ〈地球幼年期〉のメソッド』(洋泉社)、『A マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫)など多数。また『アンジャリ』第10号に「宗教とメディア、そして善悪の彼岸」を執筆いただいている。
芹沢 俊介(せりざわ しゅんすけ) 社会評論家
1942年、東京に生まれる。65年、上智大学経済学部卒業。文学論、家族論、状況論など幅広い分野で評論活動を続ける。著書に『オウム現象の解読』(筑摩書房)、『引きこもるという情熱』(雲母書房)など多数。また『現代と親鸞』創刊号で「現代における教育と家庭の課題」を、『アンジャリ』創刊号で「名づけということ」を執筆いただいている。
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