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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2007年11月6日、アルカディア市ヶ谷(千代田区)において、社会言語学者の井出祥子氏をお迎えして「現代と親鸞の研究会」を開催した。いままでの西洋中心の学問の枠組みでは捉えきれない日本語の語用論を、「わきまえ」という観点から、「場」の中にある人間存在を考えようと試みておられる井出氏に、英語との比較から見えてくる日本語の特徴をおさえながら、特に「日本のことば遣いを支える仏教思想」について語っていただいた。ここに、その一部を紹介する。(嘱託研究員 本多雅人)
日本のことば遣いに見られる仏教思想の影響
―英語との比較で見えてくるもの―


社会言語学者 井出 祥子
■ 「場の言語」と「場の文化」
 言語学というのは、言語の論理や構造を見る学問です。それに対して、人間が社会の中で言語を使っている、その方面に目を向けた学問を「語用論」と言います。言語は使ってこそことばであるという視点から、国際語用論学会でも、言語研究をいろいろな学問分野から持ち寄ってその成果を伝えていくことにより、どうしたら人間が幸せに共存していくことができるか、どうすれば紛争を少なくすることができるか、そういったことを目指そうとしています。
 いままで学問の風は西欧から吹いていたものが、これからは世界中から、つまり、アジアからもアフリカからもイスラム社会からも吹くように方向づけ、また、宗教との関係も言語研究のなかに取り入れていくことを考えています。
 さて、日本語の語用論ですが、いままでの「一元的」な西洋の論理では限界があり、十分に捉えることはできません。では、どのように捉え直したらいいのかについては、清水博先生(「場の研究所」所長)のご見識から多くのことを学びました。欧米の〈役者の言語〉に対して日本語は〈場の言語〉という特徴をもっている、と清水先生はおっしゃっておられます。
 鍵と鍵穴の関係で譬たとえれば、西欧の理論というのは鍵なのです。人間が鍵で、自分で地球の上を暴れ回って何でもストラテジー(strategy 戦略)で行動できると思っているのです。それに対して、鍵穴というのは待っている方、場面を作っている方ですね。日本の伝統文化は〈場の文化〉であり、それは仏教思想から来ているということも教えていただきました。そこから「わきまえ」ということが表現されているのだと思います。
■ 「わきまえ」の語用論
 人間関係を指し示す言葉については、西欧の言葉に比べて、日本だけではなくアジアの言語では豊富です。英語が I と You で済むのに対して、日本語では、親族名称や自分を指すことば、相手を指す言葉がいっぱいあります。これは何を意味するかといえば、縁起の考え方が根底に流れているからでしょう。人間関係を大切にしているのです。それから、一人の人が「私」と言ったり、男の方ですと「僕」とか「俺」と言ったり、いろいろな言い方をするのは、場面によって相手によって変えていくわけです。
 話し手、聞き手、話題の人との関係を「わきまえ」て、それを指し示すシステムがいろいろあります。指示詞というのは、「これ」とか「あれ」、英語では、“this”と“that”です。日本語には相手に近いことを示す「それ」というのがあります。日本人は近いか遠いかだけでなく、相手に近いか否かを示すものもあるのです。つまり、相手のことを思いやっていることばだということです。ここも仏教思想と少し関係があると言ってもいいでしょう。
 もうひとつは、「ね」と「よ」の使い分けです。例えば、「会議は2時からですよ」と言ったときと、「会議は2時からですね」と言ったときの違いです。会議は2時からだということをわかっていない人に対しては、「2時からですよ」と言います。でも、その人がわかっているときは、「2時からですね」と確認しますね。「よ」というのは、相手が知らないから教えてあげるときに使います。情報が自分のほうにあるか、相手のところにあるかを使い分けているのです。
 それから、心理文といわれていますが、英語では“Taro is sad”「太郎は寂しい」と言えますけれども、それは日本語であれば、「太郎は寂しがっている」とか「寂しそうだ」と言いますね。やはり、相手の心の中にずけずけと入り込んで言うものではないと、「わきまえて」いるわけです。日本語というのは、このような気遣いをしなくては正しく話せない言語なのです。
 どのように「わきまえ」るのかというと、自分と話し手の相対的な位置、さらには、どういう場面で話しているのか、そのときの気持もわきまえの配慮となっています。少し例を挙げただけですが、日本語はグローバリゼーションのことばである英語とは違うということがわかると思います。
■ 仏教的人間観の表現
 あるご高名な国文学者のウィキペディアに「スキューバダイビングの事故で、娘を亡くしている」と書かれていました。「娘が亡くなっている」ではなく、「娘を亡くしている」という表現は、スキューバダイビングの事故で若いお嬢さんを亡くされている。その娘の人生を引き受けて二重生命的に生きている、ということが書かれていると思うのです。それから、「結婚することになりました」という表現も、「皆さんのお陰で、いろいろな人が関わり合ってそういうことになりました」ということでありますし、「中国語を覚えさせていただきました」という表現も、「私が覚えた」のではなく「覚えさせていただいた」と言うのです。これは、周りの人のお陰でいまの私がある、旅行中に出会った中国人のお陰で中国語を覚えることができたのであるということを言っているわけです。
 仏教的人間観の表現として、二重生命観といいますか、縁起という関係性で人は生きている、それから無む我が、自分をあまり押し出さないことが可能になるような、日本人のことば遣いが多くみられます。
 日本語の、ごく当たり前のことば遣いを大事にしていく。それは周り、あるいは人間のかかわり合いを大切にすることば遣いをしていることを、認識することです。これは、日本人が国際的にアピールしていきたい日本発の大切な文化だと思います。
(文責:親鸞仏教センター)
井出 祥子(いで さちこ)社会言語学者
1939年、台湾台北市に生まれる。日本女子大学文学部英文学科卒業、国際基督教大学大学院修士課程修了。ハワイ大学客員助教授を経て、元日本女子大学文学部英文学科教授。専門は、言語学、社会言語学、英語学、対照語用論、異文化コミュニケーション。現在、東北大学客員教授、日本女子大学名誉教授、国際語用論学会会長。著書に『わきまえの語用論』(大修館書店)、共著に『日本人とアメリカ人の敬語行動』(南雲堂)、共編著に『講座社会言語科学 第一巻 異文化とコミュニケーション』『文化・インターアクション・言語』(以上、ひつじ書房)など多数。
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