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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2009年10月9日、メトロポリタンプラザ(豊島区)において、立教大学文学部教授の河野哲也氏をお迎えして「現代と親鸞の研究会」を開催した。倫理とは、道徳とは何かという問いは、社会全体が揺れ動いている現代において、今まさに改めて考えるべき問題として私たちの前に横たわっている。今回は、社会における道徳と法、善悪のとらえ方について、河野氏に哲学的心理学の観点から語っていただいた。ここでは、その一部を紹介する。(研究員 春近 敬)
道徳と法について

立教大学文学部教授 河野 哲也
■ 道徳と法
 現代の日本では、道徳と慣習が混同されているという現状があります。まず、申し上げておきたいのは、「大人のルール」イコール「道徳」ではないのだということです。心理学者のコールバーグは、道徳性の発達過程を三段階で表しています。第一の「慣習以前のレベル」、第二の「慣習的レベル」、そして第三の「脱慣習的レベル」です。第一のレベルは、自身の利益や欲求に基づいた利己的行為の段階です。第二のレベルは、自分の所属する集団の慣習や規則を、ほぼ無批判に受け入れる段階です。第三のレベルは、道徳的価値や原理を、自己利益からも所属集団の慣習からも独立して定めようとする段階です。組織の外側から組織の行為の妥当性を考える、というようなことです。現在の組織的不正や不祥事の問題は、この「脱慣習的レベル」の欠落から生まれます。第二段階にとどまり、組織の秩序を維持してルールに忠実であることこそが道徳的に正しいと考えるのです。
 しかし、宗教者や、聖人と呼ばれるような人たちは、しばしば法に背いてきました。キング牧師は黒人集会の禁止という法を破りましたし、ネルソン・マンデラもアパルトヘイトによる法を破りました。この第三段階は、いわば立法者の立場と言えます。この段階に達して、初めて道徳的なレベルが高まるのだと思います。
 カントは法と道徳を強く結びつけ、道徳とはルールを守ることであるとしました。ユダヤ・キリスト教の伝統では、道徳は神の与えた法として考えられていました。日本でもカント主義の強い影響からか、道徳とルールの遵守を関連させる傾向にあります。法とは、主権者の命令です。しかし、実際のところ法には道徳と無関係であったり、反道徳的であったりするものもあります。つい最近まで存在したらい予防法や北海道旧土人保護法などはその例です。死刑というものも、やはり非常に不道徳であると思います。また、道徳と法がイコールの関係になってしまうと、道徳的な人間関係に常に国家が介入することになります。つまり、何か悪いことをした際に、「その人に対して悪いことをした」という論理が「社会秩序に対して悪いことをした」という論理にすり替わってしまうのです。
■ 事例ベースの倫理
 法は、とるべき行動を演えん繹えき的に示すことはできません。むしろ、特定の行動をとる者を排除するために存在します。私たちを善い行動に導くものではなく、標準的な行動の型を示してその型にはめ、イレギュラーな存在を排除するものであると言えます。道徳と法は、切り離して考える必要があります。それでは、道徳とは、すなわち善悪とは一体何であるのでしょうか。私は、意図的になされた他への利益が「善」であって、不利益が「悪」であると考えます。ここで言う利益とは、その人の潜在能力を増大させ、行動の可能性を拡大するものであるということです。死を与えるという行為は、すべての可能性をゼロにしてしまうのですから、もっとも悪い行為であると言えます。そして、善悪とは主観的なものではありません。これは、その行為が利益か不利益かを決めるのは、行為をした当人ではないという意味です。例えば医者が良かれと思ってした行為でも、そのことで患者の状態がかえって悪くなれば、それは善い行為であるとは言い難いわけです。それから、善悪は遡そ及きゆう的に決定されます。その場限りの快や不快というようなものではなく、もっと長いスパンでの結果によって判断されます。善悪は相対主義でもないし、絶対主義でもありません。客観的な個別主義だと言えます。  法は言語的に表現されるものですから、どうしても一般化されます。カントは、あらゆる学問を物理学をモデルに考えていました。したがって、法がどのような状況でも一律に当てはまると考えました。しかし、例えば医療や歴史や経営などは一回限りで反復しない現象であり、状況により千差万別です。そのような個々の事例を、単純な法則性でとらえることは適当ではありません。道徳にも同じことが言えます。同じタイプの行為が、違った状況で、違った人物に、違った人生の局面で、違った効果をもたらすのです。
 以前、電車で座っていたら、目の前に杖をついたお年寄りが来ました。一般的に言えば、ここでお年寄りに席を譲るのが善い行為とされます。しかし、立ち上がったところ、その方は「すみません。一度足を曲げると立ち上がるのが辛いので、このまま立たせていただけませんか」と言われました。もっと言えば、「殺してはならない」「延命処置を施すべき」という法則ですら、状況によって「道徳的に正しい」行為が変わってしまうこともあります。ここまで究極的な命題でも、道徳とは条件次第なのです。そのような細かい事例までいちいち気にしていられない、と言われるかも知れません。しかし、医療とか看護とか教育とか、人と濃厚に接しなければならない場面というものは、まさにこのようにして向かい合わなければ成り立ちません。これらの現場が事例を中心にして物事を考えなければ先に進まないのと同じように、道徳もまた、法則ではなく事例をベースにして考えられるべきなのです。
(文責:親鸞仏教センター)
河野 哲也(こうの てつや)立教大学文学部教育学科教授
1963年、東京都に生まれる。慶應義塾大学文学部(哲学科哲学専攻)卒業。87年、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程(哲学)修了。90から91年、Universite Catholique de Louvain 哲学高等研究所、ベルギー政府給費留学。93年、慶應義塾大学大学院後期博士課程単位取得修了。95年、博士号(哲学)取得。同年、日本学術振興会特別研究員(国立特殊教育総合研究所)。97年、防衛大学校人間文化学科助教授。02年、York University (Toronto, Canada)客員研究員。04年、玉川大学文学部人間学科准教授を経て、現在、立教大学文学部教育学科教授。専門は心の哲学、身体論、理論心理学、応用倫理学(ビジネス倫理、科学技術社会論)、倫理教育。著書に『レポート・論文の書き方入門』(慶応義塾大学出版会)、『メルロ=ポンティの意味論』(創文社)、『エコロジカルな心の哲学:ギブソンの実在論より』、『環境に拡がる心:生態学的哲学の展望』(以上、勁草書房)、『<心>はからだの外にある』(NHK ブックス)、『善悪は実在するか:アフォーダンスの倫理学』(講談社メチエ)、『暴走する脳科学』(光文社新書)など多数。
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