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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2010年11月1日、東京国際フォーラム(千代田区)において、北海道医療大学教授である向谷地生良氏をお迎えし、「現代と親鸞の研究会」を開催した。向谷地氏は精神病を抱えた当事者たちによる共同体「べてるの家」に設立当初から関わり、専門家による一方的な治療を離れ、あくまでも当事者を中心とした立場から、先進的な活動を行われてきた。研究会では、約三十年に及ぶ当事者との関わりの中から見えてきた、「病の意味」について語っていただいた。ここにその一部を紹介したい。(研究員 花園一実)
病むこと、生きること
−べてるの家の歩みかた−


北海道医療大学教授・浦河べてるの家理事 向谷地 生良
■ 日本の精神医療の現実
 日本の精神保健は、国がどんどんお金を注ぎ込み、病院やベッドを増やし続け、今では世界中の精神科のベッドの二割を日本が抱えているというのが現状です。患者さんたちが飲まされている薬も、医師の裁量ですべて決まりますから、その結果、日本の精神科の患者さんが飲んでいる薬の量は、世界の先進国の平均の五倍から十倍の投与量という、まさに薬漬けの状況になっています。その国のわきまえというものは、その国の精神科の患者さんがどう扱われているかを見ればわかるといいますが、日本という国は、高度経済成長の中で、病に倒れた人はどんどん病院に送り込んで、そして新しい労働力を抱え込んでいくということの繰り返しの構造がありました。世界中の先進国がベッドを減らしてきた中で、日本だけがひたすら精神科のベッドを増やし続けている。日本の精神医療の予算は年間約一兆九千億円ほどですが、その予算のうち九割は医療費に当てられ、福祉に向けられる予算は一割に満たないのです。この歪みが、ますますこの現状を増長させています。残念ながら、これが今の日本社会のあり方です。これは精神医療の分野だけではなく、あらゆる面にこの傾向があり、私たちの大事な何かをむしばんでいるような気がします。
■ 病むことの意味
 精神障害をもつことの意味を考えたとき、もちろん脳の中で何が起きているのかということは、研究してみてもまったく無意味なことではないと思いますが、しかし私は「そうしないと生きていけない」という、「生きにくさ」の象徴として人は病んでいると思うのです。なぜなら、薬の力によって幻聴が取り去られた人たちは共通してこういうことを言うのです。「心が空っぽだよ。向谷地さん、幻聴さんのいた非現実的世界から抜け出て、現実世界で心が空っぽだよ」と。症状が改善して、気持ちが落ち着いて、イライラもなくなった。喜ぶべきことにもかかわらず、その症状が改善した人たちは、未来が見えない、わからないと言うのです。医学的・人間的に症状が改善したという状況に立ったとき、そこに見えてくるのは、もともと病気の症状の陰に隠れて見えづらかった生きにくさ、その現実が病気の症状の裏側から頭をもたげるわけです。ですから症状の回復した後というのは自殺率が高まる。これは統合失調症や鬱などの回復期には共通して見られる心の危機ですが、この問題に対しては精神医学というものはまったくなす術をもたないのが現実です。これは統合失調症の女性のメンバーの言葉です。「幻聴が和らいだ時期がある。幻聴が和らぎ雲の切れ間から日が差すような感じになった時の空虚さに私は耐えられなかった。私は代償としてアルコールに浸り、買い物に夢中になっていった。つまり、幻聴と被害妄想は空虚さという私の心の隙間を埋め尽くし、生きていることの虚しさという現実から私を避難させるという役割を果たしていたとさえ言える。被害妄想だと気づくことそのものが私にとっては怖いことだったのかもしれない」。長い間、統合失調症をもった人たちが、まさかこんなことを考えているはずがないと思われていました。統合失調症は単なる脳の器質的なトラブルで、特効薬が開発されれば、すべて解決する問題だと言われていた。しかし、薬物療法が一般に普及する前の精神科医たちは実はみなさんこういうことに気づいていたのです。ところが薬物療法が主流になり、精神疾患は単なる脳のアクシデントだという考え方が主流になってきたときに、私たちは「病む」ということの意味を見失ってしまった。これが一番の問題なわけです。

■ 弱さを絆に

  木村敏という精神病理学者は、まだ日本に精神科薬が登場する前から精神科の医者をやっていたという貴重な経験をもっておられるのですが、彼は、精神病の根源は個人ではなく、個人と個人の関係性、「あいだ」にあると言います。二百年前に近代化が始まって、その近代化と共に統合失調症が始まった。それは何に起因しているかというと、人間が科学というものを手に入れることによって、あらゆるものを数字に置き換えて考える思考を身につけたということです。それは生きること死ぬことの、生命観を失うことです。わかりやすいこと、説明しやすいこと、合理的なもの、そういうもののみを扱う世界に生きるうちに、私たちは目に見えないもの、言葉では表現しにくい、ある種の何か不思議な生命観、木村敏の言う「大きな命」を感じる心を失ってしまったのですね。もし統合失調症や精神疾患が、その「大きな命」に関わるものならば、私たちは何によってそれを取り戻せるのだろうと思った時、私はそれを「弱さ」だと思っているのです。ご自身、重い障害をもちながら口で絵筆をとり、草花の絵を描いておられる星野富弘さんがこんな詩を書いています。「よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が しあわせに近いような気がする 強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が 真実に近いような気がする しあわせが集まったよりも ふしあわせが集まった方が 愛に近いような気がする」。アメリカから入ってきている支援プログラムの基本は「強さ」です。病んでいることではなく、健康に焦点を当てて、そこを強化する、そういう合理的なモデルがアメリカから入ってきて急速に広がっています。しかし、そういう流れの中で「べてる」だけはまったく違う路線を歩んできたのです。弱さを絆に、むしろ人間のもっている弱く儚(はかな)い部分こそが人間であることの大切な部分であって、それをつなぎ合わせたときに本当の人の強みというものが生まれる。そういうものを私たちは大事にしてきた。それは実際に病気を抱えた人たちと生き合う中で、そのことの方が本当にみんな生きやすくなるという事実から得たものなのです。
(文責:親鸞仏教センター)

※向谷地生良氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第23号(2011年12月1日号)に掲載しています。
向谷地生良(むかいやち いくよし)北海道医療大学教授・浦河べてるの家理事
1955年生まれ。北星学園大学社会福祉学科卒業。78年浦河赤十字病院医療社会事業部ソーシャルワーカー、01年北星学園大学非常勤講師を経て、03年北海道医療大学に就任。06年より同教授、現職。専門は精神障害リハビリテーション メンタルヘルス・ソーシャルワーク。84年に精神障害を経験した当事者とともに「浦河べてるの家」を設立。理事。
著書に、『安心して絶望できる人生』(日本放送出版協会)、『技法以前−べてるの家のつくりかた (シリーズケアをひらく)』(医学書院)、『統合失調症を持つ人への援助論−人とのつながりを取り戻すために』(金剛出版)、『ゆるゆるスローなべてるの家−ぬけます、おります、なまけます (ゆっくりノートブック) 』(大月書店)など多数。
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