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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2011年6月7日、東京国際フォーラムにおいて、上智大学グリーフケア研究所所長、上智大学特任教授である高木慶子氏をお迎えして「現代と親鸞の研究会」を開催した。氏は二十数年来、ターミナル(終末期) にあたる人々のスピリチュアルケア、 また愛する人や大切なものを失くし、苦悩する人々を支えるグリーフ(悲嘆)ケアを続け、阪神大震災や JR 宝塚線(福知山線)脱線事故の遺族らにも寄り添われている。
 今回は「激変する社会のなかでいのちを考える−人生の苦難のなかで今を生きる−」、をテーマに掲げた。今年の3月11日に起きた東日本大震災でも多くの方が亡くなられ、さらに財産や仕事など大切なものを失われた人々が大勢いる。そのような状況の今、いのちとは何か、悲嘆に寄り添うとはどういうことなのかを考え、深めていくことは非常に重要なことだと思う。ここではその一部を紹介する。(嘱託研究員 大谷一郎)
激変する社会のなかでいのちを考える
−人生の苦難のなかで今を生きる−


上智大学グリーフケア研究所所長 高木 慶子
■ ルターと親鸞
 私は、カトリックのなかから出られたルターと親鸞が非常に似ているように思えるのです。これはあくまでも私が思うのであって、これからの私の研究テーマだと思っております。私の理解のさわりだけ申しますと、親鸞聖人には、恩師というのでしょうか、先生というのでしょうか、法然上人がいらっしゃった。一方で、ルターが先生と仰いだ方は聖パウロです。コリント人への、ローマ人への、あるいはガラティア人への手紙など、いろいろな信徒への手紙をお書きになった方で、『新約聖書』で欠かすことのできない存在です。その聖パウロをルターはご自分の最も大事な先生となさった。
 その聖パウロと法然上人はよく似ていらっしゃると思うのです。掟をきちんと守り、そしてご自分の信じていることをきちんと弟子に伝え、生活も素晴らしい。文字どおり「聖人」の道をお歩きになった。それに対して親鸞聖人はご自分の人間としての弱さ、罪深さ、欲の深さをよくおわかりになり、それと同じようにルターもご自分の人間としての弱さ、欲の深さというものに気が付き、それでどういうふうにして自分たちは救われるのか、そのことに悩み抜いて行きついたのが、「信じる」ということだったのだと思います。そこがお二人の共通点のように私は思います。
 自分自身をわかればわかるほど、人間の欲深さというものに気づくと思うのです。人間自身を理解しようとすればそれは即、自分自身を知ることです。人間を知りたいと思えば自分自身を知らなければなりません。 こんなに欲の深い存在でも阿弥陀如来さまは、おおいなる方は自分を救ってくださるのか、自分のような人間に仏さまはご慈悲を向けてくださるのか、そういう大きなテーマにぶつかってくると思います。 そういう課題にぶつかった親鸞聖人は、覚りというのでしょうか、 こういう弱さのなかで苦しんでいる私を仏さまは救ってくださるのだと。 私はそこに非常に惹かれるのです。ルターもそうでした。
 私はカトリックですが、親鸞聖人のその姿にも、ルターのその姿にも非常に惹かれますのは、人間の欲深さを知るだけでは足りない。欲深さに苦しむ。苦しんで、自分のこういう弱さ、欲深さをおおいなる方はどうしてくれるのだろう。そこに苦しんだとき、はじめて救いの手が伸びてくる。その苦しみの意味。そこがお二人の共通点ではないかと思います。
■ 「心のケア」「グリーフケア」
 「心のケア」ということを考えてみますと、大震災後に必要な「心のケア」は、災害によって、重複する喪失体験をした後に残る複雑な悲嘆をケアすることだと思います。つまり、その「悲嘆の状態にある人々のケア」をすることを日本では普通「心のケア」と呼んでおりますが、具体的には「悲嘆ケア」すなわち「グリーフケア」なのです。
 これをあえて皆さま方に強調いたしますのは、今、宗教家と言われる、特に仏教の皆さま方にとっては、グリーフケアこそがお仕事の大半を占めているのではないかと思うからです。
 通常の生活のなかでの悲嘆は、家族のひとりを亡くすだけでも深い、強い悲嘆に陥ります。それが、災害後の悲嘆は本人にとって大切と思うものをすべて一瞬にして喪失し、明日を生きる希望さえ失ってしまう恐ろしい喪失体験になります。
 私は、今回、仙台の避難所でお会いした方々を通して、一瞬にして自分にとって大事なものを喪失し、明日を生きる希望をもなくしてしまった恐ろしい体験をした方々に寄り添うケアを提供することが、やはり大切であると思いました。そして、特に宗教家と言われる私たちは限りない思いやりと、相手に対する尊敬と信頼をもって接することが何よりも大切なことだと思いました。そのために必要なのは、言うまでもないことなのですが人生観、死生観、そして自分の宗教観をもっているかということです。それをはっきりともっていないと宗教家としてのケアが非常に難しくなると思います。悲嘆というのは大事な方を亡くしたり、あるいは大事なものを失くした後、例えばリストラや会社の倒産などの後にも起こります。その自分が生きていていいのかと、生きることに苛さいなまれている方々に対して、私たちが声を掛け、相手の話を伺うかがうためには、私たちの人生観、死生観、宗教観がきちんと自分なりに確保されていなかったならば非常に難しい結果になるのではないかと私自身の体験から思っております。
 どの宗教、宗派に限らず、生と死の概念とその意味をわかり、それを信じているものには、悲嘆にある人々のグリーフケアに協力することが可能であり、またそのことはなすべき慈愛の勤めでもあろうと思います。大事なものを失い、生きるすべのない方々になすべき慈愛の勤めがあるとするならば、それは宗教家にとって最も大事なお勤めではないかと思っております。
(文責:親鸞仏教センター)
 
※高木慶子氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第24号(2012年6月1日号)に掲載しています。
高木慶子(たかき よしこ)上智大学グリーフケア研究所所長
熊本県に生まれる。聖心女子大学文学部心理学科卒業。上智大学神学部修士課程修了。博士(宗教文化)。現在、上智大学グリーフケア研究所所長・上智大学特任教授。「生と死を考える会全国協議会」会長、「兵庫・生と死を考える会」会長。二十数年来、ターミナルにあたる人々の「スピリチュアルケア」、並びに愛する人の死に直面した人たちを支える「グリーフケア」を続け、その一方、学校教育現場で使用できる「生と死の教育」カリキュラムとビデオを製作されている。
著書に『大切な人をなくすということ』(PHP 研究所)『喪失体験と悲歎−阪神淡路大震災で子どもと死別した34人の母親の言葉』(医学書院)、『死と向きあう瞬間−ターミナル・ケアの現場から』(学習研究社)、『大震災−生かされたいのち』(春秋社)など多数。
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