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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2013年6月26日、大手町フクラシア東京ステーション(千代田区)において、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授である立岩真也氏をお迎えして「現代と親鸞の研究会」を開催した。氏は「できる」ことに価値が置かれ、それが正しいとされる現代社会の根底にある価値観に疑問を投げ掛ける。そしていわゆる尊厳死や臓器移植、出生前診断、代理出産などデリケートで難しい問題に対し、是か非かではなく、「何が私のものとされるのか」という「所有」の概念を基に丁寧に思考し、問題の本当の所在を明らかにしようとしている。今回は「人命の特別を言わず/言う」をテーマに語っていただいた。ここに、その一部を紹介する。
(嘱託研究員 大谷一郎)
人命の特別を言わず/言う

立命館大学大学院先端総合学術研究科教授 立岩 真也
■ 近現代社会の根底にある価値観
 近現代の社会が、どのような社会であるかということを考えたときに、いろいろな定義の仕方がありますが、私が見るべきだと考えるところは、基本的に人の能力、業績などによって、その人がどれだけ社会からお金を受け取れるかということに直結している社会、つまり、どれだけできるか、どれだけの能力をもっているかということが人間としての価値に結びついている社会であるということです。そして、単に現実に社会がそうなっているというだけではなくて、そういう社会というものが基本的には正しい在り方であると何百年もの間、信じられてきたということが言えると思います。
 こうした西洋の思想の元をたどっていくと、所有の問題に行き当たります。人が労働をした結果として生産されたものが、その生産者のものであるということを初めて書物に書いたのは、イギリスの市民革命期のジョン・ロックという思想家です。まさにイギリスの古い社会が次の市民社会に転換していく時期に彼自身がそれを先導、イデオローグしていったわけです。ロック、カント、ヘーゲルといった名だたるヨーロッパの思想家、哲学者たちのなかにもそのような発想があります。このことは、その後ますます強く、根拠さえ問われない原理というようなかたちで、この四百年、継承されていると言ってよいでしょう。
 一方、その近代の主流の流れに対する最も大きな批判派であるマルクス主義はどうだったのかと言うと、マルクス主義で一番受け入れられた搾取(さくしゅ)という概念は、ある意味、私が今申し上げた図式に乗っています。つまり、本来であれば労働者が全部労働の成果を取ることができるはずであるのに、資本家がその一部、上前をはねている、それが搾取ということです。その搾取分を取り返すために革命を起こさなければいけない、というロジックになっているのです。これは、近代の思想に対する最も強力なアンチテーゼであった社会主義の思想でさえも、そういう図式を肯定した部分があったということは否めないことだと思います。
 私は、「できる」ことに価値が置かれ、それが「正しい」とされる思想というものに根拠があるのかという問いを立て、そしてその思想の根拠というものが実は根拠づけられない、論理的に穴が開いている、底が抜けているということをずっと言ってきました。

■ 畜生という存在
 あらゆる生物は別の生物、時には同じ生物を殺さなければ生きていくことができません。これは、良し悪しは別として事実であることは認めざるをえないと思います。その存在を畜生と言うのかどう言うのかわかりませんが、畜生とするとしましょう。そして、人間もそういう意味では畜生の一部であると言わざるをえないのだろうと思います。そのことは積極的に人間が他の生物を殺してよいということを支持、肯定することにはなりませんが、むしろ人間も畜生の一部であって、その畜生として行っていることは決して褒められたことではないけれども、やめなければいけない、やめるべきだということでもないと考えるしかないのではないかと思うわけです。
 例えば、仏教にしても殺生というものから、より遠くに逃れた人たちがより清らかな聖なる存在に近いというある種の選民思想というものがあると思います。そういった思想というものを経た後に、そこから離脱した考えに至ったという意味で言えば、親鸞が考え、語ったことというのは興味のあるところです。
 人間は普通の畜生でいることが残念ながらできませんでした。つまり、他の畜生より優れているからというよりは、むしろ普通の畜生と同じだけれども、理由はわからないけれど、理性や知性といった能力を身に備えてしまうことによって、例えば死というものを観念してしまうようになってしまいました。死を意識してしまうようになったということは、本当に不幸なことであると思うのですが、そういった存在であってしまうからこそ、その死への恐れというものは大切にしなければいけないと思います。そして、やはり死というものに僕らは慎重になるべきであり、人の死に対して、いたずらに死期を早めるようなことはしてはならないということです。
また、人間が能動的に何かできるというところではなくて、世界、世俗にあって、そこのなかで世界と交わったり、世界から何かを受け取ったり、そうした未練というものをもっている限り、その人自身が何事もできなくなっていようがいまいが、世界との、俗世との関係というものを断ち切れないでいる限り人は生きていてもよいのです。例えば、人の声を聞いたり、あるいは風が身体に当たったり、あるいは食べ物が喉を通っていったりすることを感じたりすることはできる。そのようである限りは、私は、人はそのときまでは生きていてよいのだろうと思っています。
(文責:親鸞仏教センター)

※ 立岩真也氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第28号(2014年6月1日号)に掲載しています。

立岩 真也(たていわ しんや)立命館大学教授
1960(昭和35)年新潟県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、千葉大学文学部助手、信州大学医療技術短期大学部専任講師・同助教授、立命館大学政策科学部助教授を経て、2004年より立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。
著書に、『私的所有論』(勁草書房)、『弱くある自由へ─自己決定・介護・生死の技術』(青土社)、『自由の平等─簡単で別な姿の世界』(岩波書店)、『ALS不動の身体と息する機械』(医学書院)、『希望について』(青土社)、『良い死』(筑摩書房)、『唯の生』(筑摩書房)、『人間の条件そんなものはない』(理論社)、『私的所有論第2版』(生活書院)など多数。 共著に、『生の技法─家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書店)、『分析・現代社会─制度・身体・物語』(八千代出版)、『否定されるいのちからの問い─脳性マヒ者として生きて』(現代書館)、『遺伝子「不平等」社会─人間の本性とはなにか』(岩波書店)、『所有と国家のゆくえ』(日本放送出版協会)、『母よ!殺すな』(生活書院)、『流儀─アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(生活書院)、『生存権─いまを生きるあなたに』(同成社)、『税を直す』(青土社)、『ベーシックインカム分配する最小国家の可能性』(青土社)、『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか─世界的貧困と人権』(生活書院)、『家族性分業論前哨』(生活書院)、『差異と平等障害とケア/有償と無償』(青土社)、『生死の語り行い〈1〉尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(2012年・生活書院)など多数。
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