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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2013年12月11日、ステーションコンファレンス池袋(豊島区)において、哲学者であり、また子どもの学習塾「赤門塾」を開いておられる長谷川宏氏をお迎えして「現代と親鸞の研究会」を開催した。現代日本社会に生きるわれわれにとって、西洋における近代という時代はどのような意味をもっているのか。長く西洋近代の思考に親しみ、同時に現代日本の子どもたちと深くかかわってこられた氏の発題の一部を、以下、簡単に紹介する。
(研究員 内記 洸)
西洋の近代と日本の近代

哲学者 長谷川 宏 氏
■ 古代ギリシャと近代
 ヘーゲルは、近代という時代に生きるただなかで近代というものと非常に深くかかわった哲学者です。例えばフランス革命が起きたとき、彼は17、8歳という青年期をすごしており、近代という時代を代表する出来事を身近なこととして経験しています。また、時代に対する関心が非常に強かった人ですから、近代というものを何とか明らかにしようとした彼の考えのなかには、時代の本質を突いているものがたくさんあります。
 ヘーゲルの頭のなかにはいつも、「古代ギリシャと近代」という大きな問題区分があります。彼にとって古代ポリス社会は共同体と個とが一体化した一つの理想的な社会だったのですが、それ以降、近代にいたるまでの歴史の過程で人類が積み重ねてきたもののなかに、克服すべき問題を克服し、過去の共同体を超えていくような歴史の論理があるのではないかと彼は考えるのです。
 古代ギリシャでは数々の英雄が登場しますが、彼らはその共同体において模範的な生き方をした人々、社会が求める価値を体現した人々です。つまりそこにおいて理想的な個人とは、共同体精神を体現した人物を指していたわけです。それに対して近代は、そういった徳とか社会の価値を体現するだけでは済まないような人間が登場する時代です。古代ギリシャにおいては、例えばソクラテスという人が近代人のいわば祖型であるとヘーゲルはとらえますが、これはつまり、いろいろな共同体的な価値を超えて自分自身の信念をこそ価値あるものとして主張する人間です。ソクラテスの裁判が典型的に示しているように、ポリス社会において共同体と個人というものは簡単には折り合いがつかなくなっていきます。こうした人物の登場によって近代という時代が本格化するとヘーゲルは考えたのです。

■ 近代的個と社会
 近代という時代の出発点はデカルトのコギト、つまり、自分が考える、それによって自分が存在するという考え方です。「我思う、ゆえに我あり」というのは、自分自身のなかに何とか自分が生きていくための根拠をもとうとする考え方です。近代という時代においては、この自分を中心にする考え方が非常に強く主張されるようになります。これは、個人が自分の思考を元にして善悪・正邪をふくめたいろいろな事柄を判断し、自分の生き方を貫いていくといった生き方が価値あるものと認められる時代に入ってきたということです。
 個とはつまり、それによって近代が新しい社会として成り立つことができる、一番の核になるような存在です。ただし、個々の人間が自由に自立して生き、自分で自分を決定するということになったときに、それで社会がうまくいくかというと、そうは簡単にいかない。さまざまな矛盾が噴出してくる。かと言って、そこに登場してきた個人という存在を消せるかといったらそれはもう不可能でしょう。むしろヘーゲルは、個としての人間がどうやって新たな秩序を創りだしていくかということが近代の最大の課題だと考えるのです。
 ちょうど18世紀から19世紀にかけての時代にヘーゲルがぶつかり、思い悩んだこの大問題と同じ問題を、現代でもなお私たちは抱えています。どのようにして、個が自由であると同時にある種の共同体の秩序を保つことができるのかという問題は、簡単に解決できる話ではありません。一方では個としてどう豊かに生きるかという個人の問題があり、もう一方ではどのように共同性を作り上げるかという問題があり、私たちにはこの二つの問題がいつも同時に迫ってきています。社会の仕組みやそこに大きく広がる価値観といったものは、自分のなかに何らかのかたちで繰り込んで考えていかなければなりません。それが近代が構造としてもっている、大きな問題なのです。

■ 日本の近代化と、今に残る思想的課題
 日本という国に関しては、外からやってくるものをどのようにしてうまく自分のものにしていくかということが、民族としての基本的な心の動きであるような気がします。「学ぶ」という言葉の語源は「まねぶ」、つまりまねることだと言われていますが、日本人は昔から外国を必死でまねし、その思想・文化を何とか自分のものにすることで歴史を歩んできました。その点は近代化の過程においても同じです。日本の近代化は、大きく言って物質面と制度面ではそれなりに成功してきましたが、精神面についてはこれがなかなか難しかったのです。
 そもそも、近代精神というものがまねすることをよしとしない精神です。にもかかわらず当時の日本では、西洋の文化を追い付かなければいけないものとして、自分たちよりはるかに上にあるものとして見るような心の持ち方が要求されましたし、しかもなるべく早く効率的に、国全体が一丸となってやっていかなければなりませんでした。滅私奉公や自己犠牲といった言葉に表れているように、場合によっては自分のうちに判断基準をもたないことが強く要求されます。日本の近代化はとても厄介なかたちの、お手本のある近代化として進めていかざるをえなかったのです。
 西洋近代の思想という、いまや世界全体に大きく広がるかのような思想に対して、もっと具体的な問題もかかわってきます。例えば、西洋のいろいろな制度やものの考え方をお手本にしようとするとき、自分たちの足元の暮らしのなかにあるそれなりに輝くもの、優れたものを、西洋中心の近代思想とどのように区別していくかといった問題があります。とはいえ、お互いの人格を尊重して対等に話をしたり、自分の生き方を自分で選んだり、あるいは人間に対して基本的な信頼感をもつといったことは、近代という時代を経て大きく現れてきた生き方です。こういった点で、近代の価値はそう簡単に低められるようなものではなくて、やはり、私たちにとっては大きな意味のあることだったのではないかと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)

※ 長谷川宏氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第29号(2014年12月1日号)に掲載しています。

長谷川 宏(はせがわ ひろし)哲学者
1940年島根県生まれ。1968年東京大学大学院哲学科博士課程修了。学園紛争を経験したことにより、一切大学には就職所属せず、自宅で学習塾を開くかたわら、哲学研究者として、原書でヘーゲルを読む会を主宰。
近著に、『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)、『いまこそ読みたい哲学の名著 自分を変える思索のたのしみ』(光文社文庫)、『格闘する理性─ヘーゲル・ニーチェ・キルケゴール』(洋泉社MC新書)、『ことばをめぐる哲学の冒険』(毎日新聞社)、『生活を哲学する(双書 哲学塾)』(岩波書店)、『ちいさな哲学』(春風社)、『経済学・哲学草稿』(光文社古典新訳文庫)、『初期マルクスを読む』(岩波書店)、『ことばへの道 言語意識の存在論』(講談社学術文庫)など多数。
共著に『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫)、『思索の淵にて─詩と哲学のデュオ』(近代出版)、『魂のみなもとへ─詩と哲学のデュオ』(朝日文庫)、『キリスト教の精神とその運命』(白水クラシックス)など。
また、親鸞仏教センター情報誌『anjali』第16号に「若者の生きづらさについて」を寄稿いただいている。
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