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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2014年9月8日、東京の神保町東京堂ホールにおいて、批評家の若松英輔氏をお迎えして「現代と親鸞の研究会」を開催した。氏は、死者は抽象的な概念ではなく実在であると言う。それを証明するものは自分に湧(わ)き起こる悲しみの感覚である。東日本大震災を経て「生ける死者」と正面から対峙(じ)しようとしている氏の死者論とは、生者が如何に死者と共に生きるか、あるいは生きているかを問うことなのだと。
 今回は第一部「悲愛の詩学」、第二部「悲しみと愛(かな)しみ」(質疑応答)、第三部「悲しみの彼方」をテーマに語っていただいた。ここに、第一部からその一部を紹介する。
(親鸞仏教センター嘱託研究員 大谷一郎)
悲愛の詩学

批評家 若松 英輔

■ 「自分の考え」というものはあるのか
 皆さんもお感じになることがあると思いますが、自分の発している言葉が、自分が考えていることとは限りません。人は、自分の意識では考えているとは思わないことを口走ったりすることもあります。そのように出てきた言葉が、自らを救うということも多々あると思います。まず、今日皆さんと考えてみたいのは、はたして自分の考えというものがあるのか、ということです。近代という時代は自分の考え、自分の言葉というものを大切にしてきましたが、そこからいかにして本当のところにたどりつくのか、ということはとても大きな問題だと思います。
 浄土教の伝統は、教えの前に個が消えていくという伝統だと思いますが、キリスト教でもそれは同じだと思います。しかし近代は、個というものを大切にしてきました。個が立つということは、完成への道行きなのか、不完全性の表れなのかということは常に考えなければならないことだと思うのです。

■ 死者の問題
 私が死者という問題をなぜ考え始めたかということを少し話させていただきます。私にとって大きなきっかけは2010年に妻を亡くしたということです。10年間くらい闘病し、亡くなりました。このことは私にとって、とても大きな個人的な経験でした。そして、およそ2万人にのぼる人が亡くなった東日本大震災です。私はこの震災が起こったときに、死者という問題を誰かが正面切って論じてくるに違いないと思っていました。私は、東日本大震災において最も根源的な問題は死者の問題なのではではないかということを、震災が起こって間もなく感じていました。しかし、半年くらい経ってもほとんど誰も何も言わない。これはよくないと思ったわけです。東日本大震災の問題というのは死者の問題を論じることなくして終わらないのではなくて、死者の問題を論じることなくしては始まらないというのが実感でした。
 私が死者という問題を書いたもう一つの大きなきっかけは、宗教が沈黙したことです。宗教が、一つの存在として死者を公に語ることをしなかったことが、私にとって極めて強い憤りだったのです。私が属しているカトリックもそうです。死者の問題を真剣に語りうる存在はそうたくさんはいません。私には宗教者はそれをやらなくてはならない存在に思えたのです。しかし、それを語ることはなかった。宗教の根源は言葉ですから、宗教家が言葉を運ぶのをやめたら、もう何もしていないことになってしまうわけです。
 私が考えている死者は、「生きている死者」という言い方をしていますが、遺体とは違うのです。もちろん死者は見えません。しかし、見えないということと存在しないということは全然違います。ふれえないということと存在しないということも当たり前ですが違います。実在と概念とは根源的に違いますから、それに向き合う態度も根源的に違わなければならないと思います。親鸞を読むということは、親鸞に出遇うということでなければだめです。親鸞について知るということは、それほど大事なことではない。親鸞の言葉を読んでいたら、親鸞がまざまざと立ち現れてくるということがないとだめです。そのときの親鸞は死者親鸞ではなく、生ける死者親鸞なのではないでしょうか。

■ 悲しみと愛しみ

 「悲」とは含みの多い言葉である。二相のこの世は悲しみに満ちる。そこを逃れることが出来ないのが命数である。だが悲しみを悲しむ心とは何なのであろうか。悲しさは共に悲しむものがある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかった。
(柳宗悦『南無阿弥陀仏』)
 これはご存じのとおり、柳宗悦(やなぎ むねよし)(1889〜1961)です。今日、やはり皆さんと考えてみたいのは、「悲しみ」ということです。悲しみということは、現代の社会ではいつの間にか、とても悲惨なことととらえられるようになりました。悲しんでいると「早く元気になってね」と言われます。しかし、柳さんが書いたように、悲しみを温めるのが悲しみだとしたらどうでしょう。私が悲しんでいることが、誰かの悲しみを温めているのだとしたら、それは無意味なことでしょうか。人間にもし、悲しみを通じてしかわからないものがあるとしたら、われわれがやらなければならないのは、それを見極めることではないでしょうか。いつから現代は、悲しみに悲惨な色しか見なくなったのでしょうか。人間は悲しむとき、最も深く人生を生きている可能性があるのではないでしょうか。私は何かそのような感じがしています。ですから私は、目の前に悲しんでいる人がいると、この人は悲しみ抜けますように、と願います。悲しみを経験した人間は悲しみがあるから生きていけるという地平があるのを知っているのではないでしょうか。なぜなら、悲しむときほど、その失ったものを強く感じることはないからです。
(文責:親鸞仏教センター)

若松   英輔(わかまつ   えいすけ) 批評家・『三田文学』編集長
 1968年、新潟県糸魚川市生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。螢轡淵検璽ンパニージャパン代表取締役。2007年『越知保夫とその時代―求道の文学』で、第14回三田文学新人賞受賞。2013年より、『三田文学』編集長を務める。批評家。読売新聞読書委員。
 著書に、『井筒俊彦―叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)、『神秘の夜の旅』(トランスビュー)、『魂にふれる―大震災と、生きている死者』(同)、『内村鑑三をよむ』(岩波書店)、『死者との対話』(トランスビュー)、『岡倉天心「茶の本」を読む』(岩波書店)、『涙のしずくに洗われて咲きいづるもの』(河出書房新社)、『君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた』(同)、『吉満義彦―詩と天使の形而上学』(岩波書店)、『生きる哲学』(文藝春秋社)ほか。
 共著に、『現代の超克―本当の「読む」を取り戻す』(ミシマ社)。
 編著に、『小林秀雄―越知保夫全作品』(慶応義塾大学出版会)、『読むと書く―井筒俊彦エッセイ集』(同)ほか。
 また、親鸞仏教センター情報誌『アンジャリ』第27号に「私は、私の信じているものを知らない」をご執筆いただいている。
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