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研究活動報告
清沢満之研究会
 「清沢満之研究『宗教哲学骸骨』読解」と題した研究会を2002年7月から毎月1回開催してきた。また、通常の研究会に加え、2002年12月には「清沢満之における『宗教哲学骸骨』の思想的意義」と題して東京経済大学教授の今村仁司氏を、また、2003年4月には「道理心と宗教的信念−清沢における哲学と宗教−」と題して大谷大学名誉教授の寺川俊昭氏を迎え、講義をいただいた。
 今号では、『宗教哲学骸骨』(以下、『骸骨』と略記)第一章「宗教と学問」の論点について、その一部を紹介し、報告とする(出典は、『清沢満之全集』<岩波書店>とした)。


今村仁司氏を迎えての研究会


寺川俊昭氏を迎えての研究会
清沢と学問

親鸞仏教センター研究員 田村 晃徳
■宗教心の発達
 各宗教間の差異について、清沢が言及していることが注目される。清沢は、「古今東西種々の不同あるは宗教心発達の差等あるによれる」(『骸骨』第1巻6頁)と述べている。つまり、宗教心の発達の点から、宗教の差異を理解しているのである。注意されるのは、清沢は当時の宗教学の理論も知っていたうえで述べていることである。イギリスの人類学者のタイラーが『原始文化』(″Primitive Culture″1871年刊)で、宗教の起源として霊的存在への信仰(アニミズム)をあげ、その発達を記すことで、宗教現象一般の叙述を試みている。この本の原文の出版は、『骸骨』の出版に先立つこと約20年であるが、清沢はタイラーを引用している。

タイロル氏曰く「宗教は霊性的存在の信仰也」と。(「宗教哲学骸骨講義」第1巻56頁)

 上の文章は、タイラーの原文では the belief in Spiritual Beings となっている。もちろん、清沢がどこでこの定義を知ったのかは定かではない。ただ、両者の記述が似ている点は、大変興味深い。タイラーは、宗教の差異が生じる理由をアニミズムの発達(the development of Animism)に求める。それに対し、満之は「宗教心の発達の差」をあげるのだが、これは英訳では the difference in the degrees of this development と記していた。もちろん、第一にはスペンサーなどの説を念頭においているのだろうが、清沢は、タイラーの説も参考にしたのかもしれない。いずれにせよ、清沢は当時の学問的到達点も踏まえつつ、自身の見解を述べていることは間違いない。現代においても、宗教多元主義に見られるように、各宗教間の差異の誕生をいかに説明するかは論議の的である。満之の扱った問題は現代でも解決されていないのである。
■道理心と信仰心
 『骸骨』第一章「道理と信仰」の箇所は、よく知られている。それは、清沢が信仰心に対する道理心の優位性を説くからである。

若し道理と信仰と違背することあらば寧ろ信仰を棄てゝ道理を取るべきなり(『骸骨』同前7頁)

 『骸骨』の評価点として、常に指摘されるのが清沢の近代的側面、たとえば理性を重視する点である。それは、『骸骨』執筆時における清沢の思想の特徴を端的に示している。道理心は、現代語における理性と一応理解できよう。理性の尊重は、近代の主な特徴であることはいうまでもない。では、ここまで清沢が道理心を強く語るのはなぜか。今村氏は、講演において、清沢が当時懐いていた「仏教界への危機意識」をその理由にあげておられた。
 上の点に加え、研究会で議論となったのは、清沢が道理心の不完全性も表明していることである。それは、先の「信仰を棄てゝ道理を取るべき」の一文に続いて次のように述べているからである。

然れども道理は其性質不完全を免れざるものなるが故に人若し単に道理の一方に固着すれば或は終に宗教の地位に達する能はざるやも保し難し(同頁)

 清沢は道理の不完全性を述べ、同時にこれは「真理探究者の常に省察すべき所の一点」(同頁)だとする。これは他の著述でも触れている。

宗教哲学とは、吾人の道理心を以て、諸宗教の原理を研究する学也。(中略)又宗教は信仰に基くものなれば、吾人の不完全なる道理心を以ては、悉く宗教の全体を説明し得るや否やを保し難し。(「宗教哲学骸骨講義」同前51頁)

 宗教哲学の指摘について言えば、現代ではその役割は宗教学が果たしているといえるだろう。宗教学の立場、方法について議論がされている今、清沢が道理心の不完全性から宗教研究の困難さを提起しているのは、先見の明があったといえる。
 もちろん、上で言われるような道理心への指摘は、道理心を否定するものではない。言い換えれば、道理心への疑問ではあっても、不信ではないと言えよう。しかし、人間の理性が信憑(しんぴょう)されていた近代において、理性を冷静に見つめる眼があったことは重要な点であろう。
 実は、このような理性への疑問は、観念の中で誕生したのではない。それは、具体的な相手、つまり、理性の危うさを体現している人々を念頭に置き、現実の状況から誕生したのであった。その人々とは、世の有識者、殊に仏説を否定する学者であった。清沢は、前述した『骸骨』本文「然れども、道理は其の性質不完全を免れざるものなるが故に……保し難し」(『骸骨』同前7頁)の箇所に、次のように書き入れている。

世の学者多く、此理を了知せず。特に我国当時未熟学者、徒に地球説、進化論を提して、以て仏説を非難せんとす、大早計も亦甚しといふ可し。(「宗教哲学骸骨自筆書入」第1巻37頁)

 道理心が一方的にはたらけば、それはかえって真理を見失うことになりかねない。そのような示唆を感じることができる。
 寺川氏は、講演において、人間の思索の持つ「虚妄分別(こもうふんべつ)性」の反省が重要だと述べておられた。人間の持つ虚妄分別性を見抜いていたのは、仏教の大切な眼である。この指摘によるとき、なぜ清沢が、道理心への冷静な眼を失わなかったのかについても、『骸骨』執筆当時、どれほど仏教を念頭においていたのかの再確認が求められるであろう。いずれにせよ、『骸骨』における道理心についての満之の言及は、後の宗教的思索との関連も含め、大切な課題であることは間違いない。

※『骸骨』関連の図書に、『現代語訳 清沢満之語録』今村仁司[編訳]岩波書店、『現代語訳 宗教哲学骸骨』藤田正勝[訳]法藏館などがある。
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