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研究活動報告
清沢満之研究会
 本紙第7号で報告のとおり、「清沢満之研究『宗教哲学骸骨』読解」と題した研究会を、2002年7月から毎月1回開催してきた。その後、通常の研究会に加え、2003年12月には、東京ガーデンパレス(文京区)において、「日本における西洋哲学の受容―清沢満之と大西祝―」と題して、京都大学大学院教授の藤田正勝氏をお招きした。また、2004年3月には、上野精養軒(台東区)において、鼎談「信仰と理性―清沢満之は現代に何を語り得るか―」と題して、東京経済大学教授の今村仁司氏、東京大学大学院教授の竹内整一氏をお招きし、親鸞仏教センター所長の本多弘之を交え、司会は田村晃徳が担当し、開催した。
 今号では、それらの研究内容を紹介しつつ、第2回報告とする(出典は、『清沢満之全集』〈岩波書店〉とし、以下、巻数と頁数を記す)。
有限と無限

大谷大学講師 田村 晃徳
■「二大項」としての「有限無限」
 『宗教哲学骸骨』第二章は、「有限無限」と題される(第1巻8〜12頁参照)。この章の冒頭で、「有限無限」とは古来からの「思想の二大項」である、と清沢は述べる。つまり、思想史とは有限と無限の関係をいかに解するかについての歴史なのである。この際の有限、無限とはさまざまな言葉に置換できるであろう。それは人間と絶対者でもあり、世俗と永遠とも言い得る。いずれにせよ、この有限、無限とは清沢にとっても重要項であった。なぜならば、両者は清沢の宗教の定義となっているからである。清沢は、宗教を「有限無限の一致」であるとする。よって、この第二章において有限と無限の関係を考察することは、清沢の宗教の定義において、不可欠の思想的作業であったのだ。
 次に、第二章におけるもう一つの項目は、「有機組織論」である。これも、有限と無限の関係を考える上で、必然的な思索である。そこでは、有限同士の関係が述べられつつ、有限と無限のあり様が考察される。その結論として、「無数の有限は相寄りて無限の一体を成す」(同巻9頁)とされるのだが、この点について、「清沢満之研究会」で議論となった。仮に、有限が無数あつまったとしても、それは無限と同義なのか、という問いである。詳細はここでは述べられないが、清沢に関する研究書では、この問題点を補足する記述が「他力門哲学骸骨試稿」にあると言われていることだけを指摘しておきたい(親鸞仏教センター主催の今村仁司氏をお迎えしての研究会でも、この点についての質疑応答があった。『現代と親鸞』第6号〈清沢満之特集号〉を参照いただきたい).。
■自覚の本体としての霊魂
 第三章は、「霊魂論」が展開される(同巻12 〜16頁参照)。清沢は霊魂について、「霊魂有形説」「霊魂無形説」「霊魂自覚説」の三種を提示する。現代の霊魂についての理解は、「霊魂有形説」に近いであろう。それに対し、清沢が中心に据えるのは「霊魂自覚説」である。これは、人間の精神や意識は霊魂により統一されているとするものである。われわれは通常、五感を用いさまざまな知覚を得ている。それらが分散せず一つのまとまりとして、われわれに与えられるのは、それらの諸感覚を何かが統一しているからである。つまり、その統一させているものが霊魂なのだという理解である。
 霊魂は、「宗教心の本体」であるともされ、別の著述では、宗教哲学を論じる者は、霊魂論を忘れてはならないとまで、清沢は強調する。霊魂論は、その後いくつかの変遷を経ながらも、清沢は「臘扇記」などでも言及している。その意味で、清沢において霊魂とは、欠かせない位置を有していたと言うべきであろう。
■大西祝との比較
 2003年12月には、京都大学の藤田正勝氏をお迎えして、「日本における西洋哲学の受容―清沢満之と大西祝―」と題した講義をいただいた。藤田氏は、清沢満之と大西祝を比較しつつ、二人の仕事が領域的にも、果たした役割においても、 共通点が多いことを指摘された上で、相違点を述べられた。それは、東大時代に清沢がフェノロサの影響の下、ヘーゲルやスペンサーに関心を示したのに対し、大西はブッセに学び、その影響からカントに強い関心を抱いた点である。そして何よりも、両者は仏教者とキリスト者という信仰の点で異なるという指摘であった。
 清沢は、大西よりも1歳年長であり、その意味で、二人は全くの同時代人である。確かに大西の名は、現代ではそれほど知られているとは言えない。だが、清沢研究において、あるいは日本の哲学史の研究において、大西は重要な人物なのである。それは、西田幾多郎の言葉からもうかがえる。西田は、日本の思想界において「哲学研究者」ではなく、「哲学者」であると言うに値する人物として清沢と大西をあげたとされている(『現代と親鸞』第6号156頁)。この点からも、両者の思想史的位置が理解できるであろう。
■清沢における知と信の問題
 2004年3月には、上野精養軒で東京経済大学教授の今村仁司氏、東京大学大学院教授の竹内整一氏、本多弘之親鸞仏教センター所長の鼎談が行われた。「信仰と理性―清沢満之は現代に何を語り得るか―」と題したこの鼎談では、主に『宗教哲学骸骨』を論点として、3時間を超す議論がなされた。そのなかでも、特に議論されたのが、清沢における「知」と「信」の問題であった。つまり、『宗教哲学骸骨』に代表される哲学的著作は、後の宗教的な著述にいかに関係しているのかという点である。
 従来、清沢の研究においては、『宗教哲学骸骨』などの哲学的著作はそれほど取り上げられることはなかった。「哲学期」、「宗教期(信念期)」などと称されることもあるが、両者は断絶したもの、つまり前者の反省の結果、後者があるという理解が一般的であった。しかし、本当にそのように理解することが正当なのか。両者の関係は、従来思われているよりも連続性が見いだせるのではないか。そのような点について議論された。また、このほかにも鼎談者と清沢との出遇い、あるいは近代と超越の問題など、興味深い点について数多くの議論がなされた。鼎談の詳細は、『現代と親鸞』第6号〈清沢満之特集号〉に掲載される。是非お読みいただきたい。
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