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研究活動報告
清沢満之研究会
 清沢満之研究会では、2002年7月から毎月1回開催してきた『宗教哲学骸骨』(以下、『骸骨』と略記)の読解を一応終了し、引き続き2004年5月から「他力門哲学骸骨試稿」(以下、「試稿」と略記)を月1回のペースで読み進めている。また、通常の研究会に加え、2005年1月19日には「清沢満之における『他力門哲学骸骨試稿』の思想的意義」と題して、東京経済大学教授の今村仁司先生をお招きし、講義をいただいた。
 今号では、「試稿」の「〔1〕 宗教」から「〔11〕補訂」までの研究内容について、その一端を紹介し、第1回(通算3回)報告とする(出典は『清沢満之全集』〈岩波書店〉とし、巻数と頁数を記す)。
他力仏教の再構築――「他力門哲学骸骨試稿」読解――

親鸞仏教センター研究員 伊東 恵深
■ 「試稿」の位置
 「試稿」は、清沢が結核による播州垂水(たるみ)(現在の兵庫県神戸市垂水)での転地療養中に、その病床で執筆された論稿である。表題が示すように草稿の形で残されており、清沢の生前には未発表の論考である。内容は全45項目からなるが、そのうちの約半数に日付が記されており、明治28(1895)年の2月初めから3月末にかけて書き綴られたものであることがわかる。
 のちに清沢が、当時の心境について「回想す。明治27、8年の養痾(ようあ)に、人生に関する思想を一変し略ほぼ自力の迷情を翻転し得たり……」(第8巻441頁)と述懐しているように、この頃、清沢の内面に一つの大きな転機があったことが窺(うかが)える。それは、眼前に迫りくる自身の「死」という不可避の事実を通して、他力門の教えに自己の立脚地を尋ね当てようとする営為ではなかったろうか。この点からも「試稿」は、清沢の思想形成や内面の変遷を理解する上で、重要な論考であると言えよう。
 また、すでに先学によって明らかなように、「試稿」は、その特徴的な題名や論の構成などから、『骸骨』と内容的に密接な関係にある。事実、「試稿」の本文には、「『骸骨』を参照せよ」という指示や『骸骨』での考察を引用している箇所が散見される。このように「試稿」は、『骸骨』で構築された哲学体系を基本構想として、さらに他力門仏教の思想を理論的に解明しようと試みているのである。
■「宗教」の目的
 清沢は「〔1〕宗教」で、宗教が必須不可欠の大切な教えであるのは、精神の本源において、「安心立命」、すなわち心の平安(Peace of Mind)を与えることをその目的とするからである、と定義する。そもそも歓楽や苦痛が生じるのは、心の内と外界の状況との適合の成否に関わる事柄であり、われわれの生活が有限な範囲にとどまる限り、「抜苦与楽」という大きな楽は到底あり得ない。したがって、安心立命を願う者は、有限の領域を離れて無限の境遇を求め、これに対して精神を適合させなければならない、と論じている。
 ここで注意すべきは、清沢の宗教観である。『骸骨』では、宗教は信仰を必要とするが、道理に反する信仰を必要とはしない、衝突や闘争を生む信仰は、道理によって矯正されなければならないと、宗教を道理との関わりのなかで位置づけていた(第1巻7頁参照)。
 それに対して「試稿」では、「宗教とは何か」「それが果たすべき役割とは何か」について問い、その目的を「安心立命」「抜苦与楽」であると究明する。つまり、宗教を単に学問の対象として理知的に論じるのではなく、精神的苦悩からの解放という切実な欲求から推究しているのである。
■根本の撞着
 「有限」と「無限」は、清沢が宗教を考察する際の鍵概念であった。『骸骨』では、有限は無限の外に存在し得ないことから、両者の関係を「二項同体」という独自の表現で捉えていた(第1巻9頁参照)。しかし、この捉え方は一つの矛盾をはらんでいる。有限を基準として無限との関係を再考するならば、両者が同一体であることは不可能だからである。 有限ハ其体限別アルモノニシテ限別ノ存セサル無限ト同体タル能ハサルナリ 故ニ無限ナルモノ存ストセンカ 其体ハ有限ノ外ニ在リト為サヽル能ハサルナリ (第2巻47頁)
 このように「試稿」では、有限と無限の関係があらためて問い直され、そこに根本的な矛盾が見いだされてくる。これが「根本の撞着(どうちゃく)」である。しかし清沢は、どちらかの論を棄(す)てたり、優劣をつけたりすべきではないと言う。なぜなら、これらの別によって、宗教に自力門と他力門の差異が生じるからである(この問題については、「〔25〕自力他力」で詳述されているので、あらためて触れることにしたい)。
■知的に耐えて歩む
 清沢は「〔7〕(有限ハ無我ナリ)」以降、先の「根本の撞着」を内に抱えつつも、有限の側から、いかにして無限に進み得るかという問題に、「因縁所生」の道理を手がかりとして応えていこうとする。紙幅の都合で詳しくは紹介できないが、一瞬一瞬変化する無常の世界のなかで、前の状態の現象(有限)が後の状態に伝わることが可能なのは、その本源に立ち返ると、有限の真の相(すがた)は個々別々の有限ではなく、無限と同一体・表裏一体の関係だからであると論証していく。
 親鸞仏教センターの定例研究会では、この清沢の考察の進め方について、「飛躍があるのではないか」と議論になったが、今村先生は「試稿」の魅力的な点として、絶対に飛び越すことのできない溝(根本の撞着)を十分に理解しつつ、その悪循環に飛び込んで学問の言葉で論理的に語る、つまり、情緒的ではなく、知的に耐えて歩み抜こうとする苦労を挙げておられた。
 「試稿」を一項目ずつ丁寧に読み進めていくと、それは問題提起と応答によって織りなされていることに気付かされる。『骸骨』は、小見出しともいうべき小題のもと、簡潔に整理された要論が列挙されている。それに対して「試稿」は、思索を厳密に尽くし深めていくなかから、理論の構築を行っているのである。
 なぜ清沢は、他力門の教えを哲学の体系を用いて語ろうとするのか。仏教の道理を有限無限論で推究していく限り、そこには自ずと齟齬(そご)が生じてくる。しかしその試みは、単なる知的関心からではなく、有限と無限との間に存在する根本撞着を乗り越えて、無限への通路を切り開こうとする実存的要求の表れに他ならない。ここに、求道者としての清沢を見ることができるであろう。
※今村仁司氏の講義は、『現代と親鸞』第9号(2005年12月1日号)に掲載しています。
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