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研究活動報告
清沢満之研究会
  2009年9月29日、東京ガーデンパレス(東京都文京区)に、毎田仏教センター(米国カリフォルニア州バークレー市)所長の羽田信生先生をお招きして、「清沢満之研究会」を開催した。羽田先生には「『伝道者』から『求道者』へ〜清沢満之との関係における暁烏敏の転機」という講題でお話しいただいた後、研究員との間で活発な議論・意見の交換が行われた。本稿ではその一部を紹介する。
「伝道者」から「求道者」へ
―清沢満之との関係における暁烏敏の転機―


親鸞仏教センター研究員 山本 伸裕
■ 清沢満之と暁烏敏
 暁烏敏という人は生涯、師・清沢満之の教えをいただき続けた人であるが、伝道者として生きた前半生での師の教えに対する理解と、求道者として生きた40歳以降の後半生の教えの理解の間には、かなりの違いがあったといえる。 清沢晩年の教えが、一般に 「精神主義」 と呼ばれてきたことは周知の通りだが、極めて簡略化していえば、自分の心のありように応じて世界も変わるということである。その場合、深い自覚を経験した人が、その自覚の内容を他の人たちと無意識的に分かち合うということは、十分に考えられる。ただし、そうした個人的な経験をもとに、他人を教え導くことができると考えるのは、一種のエリート意識に基づく伝道者根性であって、清沢自身、弟子たちがそうした態度を示すことを決してよしとはしなかった。にもかかわらず、清沢とともに過ごした前半生の暁烏の生き方は、伝道者そのものだったといっていい。その意味で、前半生の暁烏の理解は、本質的に師の教えに背くものであったといえる。
■ 伝道者から求道者へ
 暁烏は40歳前後に、最愛の妻を亡くすとか、自身の名声が徹底的に打ち砕かれるという経験をしている。それまでの生き方に一大転機が訪れるのは、この頃である。そこで彼は『大無量寿経』に出会い、いわゆる「法蔵魂」に触れることで、伝道者としての自己が決定的に粉砕され、徹底した求道者へと変わっていく。
 この伝道者から求道者への展開というのは、暁烏のアミダ観の変化とも深く関わる問題でもある。阿弥陀仏は「化仏」としても、また「真仏」としても捉えることができるが、「化仏」というのは、救済者としての阿弥陀仏のことであり、そこには、救う者と救われる者といった二元の対立がある。そうした「化仏」の阿弥陀仏を中心に教えをいただいた場合、そこにはどうしても「念仏さえしておけば、罪悪深重の身のままで阿弥陀様が救ってくださる」といった発想が生じてきてしまう。
 前半生の暁烏の伝道者としての態度は、どこから生まれてくるのか。それは、まず罪深い自分を、罪深い身のままに救いとってくださる阿弥陀様の「恩寵」をありがたいと感じることから、さらには、そうした「恩寵」の味を知らない人々に、阿弥陀仏の慈悲のありがたみを説いていくことで、彼らを導いていこうとするところに生まれてくるのである。このとき、暁烏自身が、あたかも仏果を獲得した完全な修行者である阿弥陀仏のごとくに、人々を救済するような存在になっていくことになる。学生がいつのまにか教師になってしまうようなものであろう。
 一方、「真仏」というのは、「無限の光」としての如来、名号としてあらわれた本尊であって、「化仏」のような人格的救済者のイメージをもつ仏ではない。「無量光」というのは、文字通り無限である。だから、その光、その智慧には終わりはなく、求道者の、願を立てて智慧をいただこうという修行の道にも終わりがないということでなければならない。それゆえ、法蔵菩薩の願が成就したということは、因位の求道者が、本当の意味で因位を成就したということ、完全な願いになり切ったということにほかならない。
 『大無量寿経』で説かれる仏は、果位の救済者としての阿弥陀仏ではない。完全な因位に立つ阿弥陀仏である。暁烏がその後半生で伝道者としての自己が打ち砕かれ、求道者へと変わっていくのは、そうした、どこまでも因位に立つ阿弥陀仏に、清沢の姿勢を重ね合わせたからではなかったか。
■ 清沢満之の「否定」の意味
 暁烏らが直接、師の薫陶を受けたのは10年ほどの短い間であったが、その間、暁烏ら弟子たちの何人かは、「清沢先生は真宗の本当のご信心を知られないから、何とか先生に本当のご信心を持たせてあげなければならない」と本気で考えていたようである。そこには、伝統的教学を根拠とする一種のプライドがあったと考えられる。ところが、アミダ仏観でも、念仏観でも、弟子たちが持ち出してくる伝統的な考え方、教えに対する固定見を、清沢は徹底的に批判し、否定した。暁烏のもつセンチメンタルな阿弥陀信仰には、容赦なく理性の冷や水が浴びせられた。
 前半生において、暁烏が清沢の教えの意味を理解しなかったのも当然であろう。暁烏が清沢が教える「精神主義」の本当の意味に気づくには、彼自身、非情な現実に直面させられるという実験を経る以外になかったのである。
 ところで、注目すべきは暁烏が語ったとされる「わしは清沢先生の『精神界』に寄せられる文章を勝手に直したものだ」という言葉である。前半生の思想が、清沢が語ろうとした「精神主義」と本質的に相容れないものであるとするなら、われわれは「精神主義」の思想そのものを、あらためて検討し直す必要に迫られることは言うまでもない。以下の議論については、『現代と親鸞』第20号掲載の研究会報告に譲りたい。
羽田信生(はねだ のぶお) 毎田仏教センター所長
1946年、長野県に生まれる。1969年、東京外国語大学ロシア語学科卒業。大学4年生のとき、毎田周一師の著書を読み、仏教を学ぶようになる。1969年から1971年まで『毎田周一全集』刊行会の一員として、全集出版に携わる。
1971年、渡米。シカゴ仏教会にて、久保瀬暁明師と斉藤暁紅師の下で学ぶ。1973年ウィスコンシン州立大学大学院仏教学科に入学。1979年にウィスコンシン州立大学よりPh.D.を取得。専門は仏教学。
1979年、大谷大学非常勤講師、1981年シカゴ仏教教育センター講師、1984年、バークレー仏教大学院(IBS)学監兼主任教授。1987年、バークレー沼田仏教センター勤務。1997年バークレー毎田仏教センター所長。
著書、翻訳書に『Lectures on Shin Buddhism(広瀬杲作品集)』(東本願寺出版部)、『December Fan(清沢満之作品集)』(東本願寺出版部)、『The Evil Person(毎田周一作品集)』、『Heard by Me(毎田周一作品集)』、『Dharma Breeze(羽田信生エッセイ集)』、『法蔵菩薩化してこそ』(明悠会)、『師より賜りたる尊い我』(大和仏教センター)、『「衆生」が転じて「諸仏」と成る』(具足舎)など多数。
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