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研究活動報告
清沢満之研究会
  2011年2月18日、東京ガーデンパレス(文京区)において、大谷大学教授の加来雄之氏をお招きして「清沢満之研究会」を開催した。「清沢満之と宗教言説−修養と自足性−」という講題でお話をいただいた後、研究員を交えて活発な議論が交わされた。ここでは、その一部を紹介する。
清沢満之と宗教言説
―修養と自足性―


親鸞仏教センター研究員 春近 敬
■ 清沢満之における宗教言説
 近代日本の宗教言説の世俗化、すなわち宗教言説が世俗関心に侵食されていくなかで、清沢満之は教義や学説を超えた宗教言説を主体的に問い直し、実験し、提唱しました。そのような問い直しを、清沢は社会的に限定された理論的関心ではなく、宗教を自らの生の依り処としていくにあたっての普遍的な課題として営んでいました。
 清沢は、宗教を一貫して有限と無限の関係のなかで考察しました。無限とは有限の外にある何かではなく、無数の有限の総体です。その有限の総体である無限を「万物一体の真理」と呼び、その真理に基づく正念の本体を「阿弥陀仏」と呼ぶのです。つまり、阿弥陀は私たちの他者ではなく、私たちの心霊にとっての無限の境遇なのです。その無限の境遇に達する自覚こそ宗教の真髄であり、道徳の源泉だといわれます。この考え方を言説という問題に当てはめれば、次のようになります。まず、生のあり方を有限に関わらせる言説を世俗言説といいます。例えば倫理は有限と有限の関係を表すので世俗言説です。対して、生のあり方を無限に関わらせる言説が宗教言説です。無限を生きようとする人間の生を方向付けるような言説です。そして、有限から無限に志向する宗教言説が聖道門であり、無限から有限に向かってくる、つまり無限が有限のかたちをとって関わってくるような宗教言説が他力門だということです。
■ 宗教言説の自足性
 「自足性」とは、安田理深の言葉です。「名号はある意味で表現性という意味をもつ。本願を表現している。ことばの有用性は道具の意味といえるが、表現という意味をあらわすために、有用性に対して『自足性』という言葉をつくった。何かのためにあるものではない、自身のためにあるもの、この意味で自足性という。」(安田『言の教学』第六講、取意)ということです。仏教が表す「如」、今ここにこうしてある、これ以外に我が身が還る場所はないという厳然たる事実に立って、そこに還らせる言葉が自足性を実現できるのだと思います。これを清沢にたずねれば、『御進講覚書』の「人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。宗教を求むべし、宗教は求むる所なし」という言葉にみることができます。存在論的要求を呼び起こし、それに応えるものが宗教言説なのです。
 そして、清沢の宗教言説はどこまでもみずからの心霊上の経験を厳密に語るという態度に貫かれていました。清沢は、自分の心に観ぜられた部分を根本とし、「心霊上の事実」として宗教を語ります。それ以外のものとして宗教を語るのではないということを強調しています。この「心霊上の事実」を語るというところに清沢の宗教言説における根本態度があるのではないでしょうか。

■ 宗教言説と修養
 清沢において修養とは「心霊の修養」、つまり心霊を修養するのであって、いわゆる修身道徳的なものではありません。『当用日記』(明治36年)の巻末に次のようにあります。「我等の大迷は如来を知らざるにあり。如来を知れば始めて我等の分限あることを知る。乃ち我等の如意なるものと、如意ならざるものとあるはこの分限内のものと分限外のものとあるが為也。(中略)我等が賦与せられたる種々の能力を適当に運用し進めば如来は我等の分限を増大ならしめ玉ふ也。是れ我等が我等の能力を精練修養せざる可からざる所以也」。我々が修養するのは、如来から与えられた分限を増大するためだという視点です。
 この修養は「求施原則」、求められたら持っていたら与えなさい、足りないものは持っている人からもらいなさいという原則によって為なされます。これには補足条件があります。一つは、求めて得られないときはその時が来ていないと受け止めること。もう一つは、あらゆる持ち物は如来の持ち物であって自分の所有ではないと受け止めることです。この原則のもと修養していくときに、大きな力となるのが宗教言説です。清沢の修養とは「日常止観」です。私たちが日々、如来の絶対的な眼差しを忘れずに生きていくことです。
 それでは、どうすれば忘れずに生きていけるのか。清沢は、私たちよりも先に歩み、課題を担い、それを超えていったさまざまな先人の言葉を非常に大切にしました。自らが帰依する宗教的伝統のみでなく、さまざまな伝統の方々の言葉に出遇っています。自らの迷悶を単に個人的なものとは見ずに、むしろ人類の深く長い迷いの歴史のなかで受け止めようとしたと言えるのではないでしょうか。どの時代の方の言葉であっても、どの宗教の言葉であっても、私たちに訴えかけ呼び覚ましてくるような、そういう宗教的要求に応えてくるような宗教言説に学ぶという姿勢が、清沢の修養の大きな傾向であったのではないかと思います。
 ですから、精神主義とは決して仏教の特定の思想運動ではなく、むしろ宗教をどのように受け止めていくのかという、宗教言説に対する態度についての主義です。そして、言葉を受け止める際にそれがどのような意味をもつのかということを明確にしないと、宗義と宗学の区別がつかなくなったり、あるいは自分の宗派の優越性の主張に終始したりします。実は、そのことこそが現在の宗教言説が置かれている危機的状況なのではないかと思います。

※加来雄之氏の講義と質疑は、『現代と親鸞』第23号(2011年12月)に掲載しています。

加来雄之(かく たけし) 大谷大学文学部教授
1978年大谷大学文学部仏教学科卒業、1984年同大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。2009年より大谷大学文学部教授。
著書に、『ブッダと親鸞』(共著・東本願寺出版部)、論文に「「文類」といういとなみ−親鸞における宗教言説の伝承」(『親鸞教学』92号)、「已に僧に非ず俗に非ず」(同90号)、「清沢満之と多田鼎の宗教言説観」(同85号)、「清沢満之における宗教言説の問い直し」(同82・83号)、「無量寿経の伝統における「願生」の探求−「浄土真宗における祈り」を考察するための基礎的作業」(『日本仏教学会年報』70号)、「『歎異抄』における「オホセ」−第十章を手がかりとして」(『大谷学報』82巻1号)など多数。
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