親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 研究活動報告 > 清沢満之研究会
研究活動報告
清沢満之研究会
 2012年6月4日、東京国際フォーラム(千代田区)にて、舞鶴工業高等専門学校准教授の吉永進一氏をお招きして「清沢満之研究会」を開催した。「明治の仏教青年―新しい仏教運動への道―」という講題でお話をいただいた後、研究員を交えて活発な議論が交わされた。当日の話題は多方面にわたるものであったが、紙幅の都合上、ここではその一部を紹介する。
明治の仏教青年 ―新しい仏教運動への道―

親鸞仏教センター研究員 春近 敬
■ 近代仏教の国際性と同時多発性
 近代仏教とはグローバルな現象である。旅行と通信の高速化による「時間と空間の圧縮」がなされた近代の到来は、一つの国の伝統によってその国の宗教が成り立っていた時代の終焉(しゅうえん)でもあった。日本の仏教者が欧米に渡り、また海外の宗教家が来日するなど、国内外のさまざまな要素が入り込むことによって仏教の変革がなされたのが近代仏教である。そのため、これらの動きは、日本という地域性を超えた視点からも考察する必要がある。
 そして国内においても、清沢満之(1863〜1903)の精神主義、田中智学(1861〜1939)による日蓮主義の国柱会、各宗派の外からの近代化をめざした雑誌『新仏教』など、同じ時代にさまざまな流れが発生した。それらが、それぞれに仏教の近代化を進めていくなかで互いに交流し、あるいは衝突しながら、総体としての「近代仏教」を構築してきたのである。
■ 仏教青年たちの世代
 明治時代の仏教青年たちは、世代ごとにおおむねの傾向を見ることができる。まず、島地黙雷や村上専精に代表される1830〜40年代生まれの「第1世代」がある。次に1850年代生まれの「第1.5世代」と呼ぶべき世代があり、井上円了、平井金三、中西牛郎、釈宗演らがこれにあたる。その次が1860〜70年代生まれの「第2世代」であり、仏教の近代化を担った仏教青年の多くはこの世代に集中している。田中智学、清沢満之、鈴木大拙、近角常観、境野黄洋、古河老川、杉村楚人冠、姉崎正治など多数が挙げられる。
 第1世代は江戸時代の学問を学んだ世代である。これに対して、第1.5世代は初等教育こそ江戸時代のものであるが、その後、洋学校に入って最初に英語を学んだ世代である。この第1.5世代の特有の時代環境が、後の第2世代の仏教運動の思想的源泉となった。井上円了(1858〜1919)はそれまでの仏教をそのまま復興させるという発想をせず、『真理金針』『仏教活論』で近代における新たな仏教のありかたを示した。中西牛郎(1859〜1930)は『仏教革命論』を著して仏教改革を強く主張し、また「新仏教」という言葉を初めて用いた。
■ 海外の「仏教徒」
 明治時代の仏教界は、海外において仏教が隆盛しているというイメージをもっていた。アメリカで仏教が流行しているという情報が『反省会雑誌』(後の『中央公論』)などに掲載され、同誌の読者とアメリカの「仏教者」との間で文通が交わされた。また『海外仏教事情』という雑誌も創刊され、現地からの手紙が紹介された。実際にはこれらの「仏教徒」とは、神智学と呼ばれる宗教運動の運動家たちである。彼らは18世紀の神秘思想家スウェーデンボルク(Emanuel Swedenborg, 1688〜1772)の思想を通じて仏教を理解し、また神智学の創始者ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky, 1831〜1891)やオルコット(Henry Steel Olcott, 1832〜1907)らの本を読んで、自らを「仏教徒」であると考えたのであった。彼らが欧米で展開していた宗教運動の様子を、日本の仏教者は、海外でも時代の変化とともに仏教が盛んになっているのだと理解したのである。現代の感覚ではいささか考えにくいことのようにも思えるが、当時『反省会雑誌』『海外仏教事情』を読んだ相当数の知識人がこれを信じていたことが明らかになっている。そして「欧米でもキリスト教は衰退しており、仏教の時代が到来しつつある」という理解が、その後の仏教青年たちの時代認識に大きな影響を与えたのである。

■ 学理と経験
 井上円了は、仏教とはこれまでのように限られた僧侶の手に握られたものではなく、万人のものであると訴えた。それは、仏教は「道理界中の宗教にして、学者社会の教法」(『真理金針』)であるからだとした。つまり、仏教とは学問的な宗教であり、仏教の真理は自然科学の道理と合致するものだという考えが円了の仏教論の前提であった。この「知識人の宗教」としての仏教という枠組みは第2世代の仏教青年たちにも受け継がれ、彼らの仏教論の基本となった。
 しかしながら、「知識人の宗教」としての仏教を基本としながらも、円了の啓蒙的な仏教論はそのままには受け継がれなかった。本願寺派僧侶の古河老川(1871〜1899)は「仏教は学理的宗教なりと云うを聞き……真理と信じ居たり」(「懐疑時代に入れり」『仏教』1894年1月号)と述べている。円了の言うとおり、仏教の真理と学問は素朴に一致すると信じていた。しかし、実際の世の動きを見る限り、そう簡単には一致しそうにない。むしろ、自分たちの宗教的信仰は合理的批評によって危機に瀕(ひん)している。そこで古河は、宗教的行為によるある種の神秘体験を学理に付け加えることで信仰を得るべきだという方向性を打ち出した。神秘主義に限らずとも、この個人の宗教経験を仏教に持ち込んで語るという考え方は第2世代の仏教青年に特有のことであり、仏教を万人の普遍的真理であると考えていた円了にはなかったことである。これには、先に述べたように神秘思想である神智学が「海外の仏教」として紹介され、多くの仏教者の目に触れた影響もあるとされている。
 この古河の考えを批判したのが杉村楚人冠(1872〜1945)であった。杉村はそのように内面に落ち込まず、仏教を現実の時代社会のなかで再解釈して活かしていくべきであって、仏教者は具体的な社会活動に携わるべきだと主張した。これは雑誌『新仏教』の基本論調となり、同誌による激しい精神主義批判などはこの観点によるものである。しかし、『新仏教』が完全に「外向き」だったかというとそうではなく、むしろ、個人の内面に向かう傾向が『新仏教』を含めた当時の仏教青年たちに共通してあったからこそ、外部へのより厳しい批判となって現れたのだと理解すべきである。いずれにせよ、仏教は個人の内面に向かうべきか外の社会に向かうべきか、という近代仏教の議論の一つの対立軸は、このようなプロセスを経て発生したと見ることができるのである。

※吉永進一氏の講義と質疑は、『現代と親鸞』第26号(2013年6月1日号)に掲載しています。

吉永進一(よしなが しんいち) 舞鶴工業高等専門学校准教授
1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。1995年より舞鶴工業高等専門学校に勤め、講師を経て人文科学部門准教授。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。専門は宗教学、ウィリアム・ジェイムズ、近代霊性思想史。近年は平井金三、『新仏教』など、近代仏教研究に携わる。
編著に『日本人の身・心・霊 近代民間精神療法叢書』(クレス出版)、翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)など。
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 「『教行信証』と善導」研究会会 「三宝としてのサンガ論」研究会」研究会
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会近現代『教行信証』研究検証プロジェクト
親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス