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研究活動報告
清沢満之研究会
 親鸞仏教センターでは、清沢満之の思想の現代的意味を究明することを目的に、設立当初より継続して「清沢満之研究会」を開催しています。2013年8月からは『臘扇記(ろうせんき)』を新たなテキストとして月に一回のペースで考究を進めています。今回は、研究会の序盤で確かめた『臘扇記』の公開と波紋の歴史について報告します。
『臘扇記』の公開と波紋

親鸞仏教センター研究員 名和 達宣
■ 「絶対他力の大道」の歴史的意義
 日記とは本来、他の読者を前提としない書物であり、どこまでも「自己が自己と向き合う」すがたが投影された個人的な記録である。その一方で、『臘扇記』が、清沢満之の書いた他の日記と異なるのは、著者が生前にその公開を、断片的ながらも認めたという点である。
 『臘扇記』が一般に公開されたのは、1902(明治35)年6月、浩々洞の発行する雑誌『精神界』(第2巻第6号)へ掲載されたのが最初である。ただし、このときに発表されたのは、一部の断想が抜粋された「絶対他力の大道」という題名の抄録であり、書名と清沢の名は表に出されなかった(ちなみに、本人の執筆した文章のなかに「絶対他力」という表現は見られない)。この抄録は清沢の死後、法要や集会で「聖典」のごとく唱和されるなど、後学の間で最も大切に伝えられ、また「清沢満之の思想」を表す言葉として親しまれてきた文章の代表格である。
 掲載の経緯に関する記録や追憶がほとんど残っていないため、詳しい事情は不明であるが、暁烏敏(あけがらすはや)の証言により、この抄録を編集・抜粋し、誌上に掲載させたのは門弟の多田鼎(ただかなえ)であったと考えられる。実際に多田との間でいかなるやりとりがあったかは測りかねるものの、清沢が3年以上前に書き上げた日記を手元に置いており、さらにはたとえ断片であったとしても、その公開を認可したという事実は見過ごしてはならない。若いころの日記の表紙に「厳禁他見者也」(1890年『随手日記』)と記すなど、清沢は基本的に日記をきわめて個的・内的なものとして扱っていた。それゆえ、『臘扇記』は個人的な記録に留まらない書物としてとらえられていたと考えられる。言葉を換えれば、少なくとも断想部分に関しては、自身以外の読者の存在を認めていたのである。
 ところで、「絶対他力の大道」は、編集の多田鼎が『臘扇記』のなかから7節を抜粋して「成文」したものである。各節に清沢本人の表記と異なる箇所が確認できるため、「文脈を軽視した編集」(山本伸裕)と指摘され、あるいは「信仰の花(他力の讃嘆)」だけを摘み取って「満之の闇の根(喘<あえ>ぐような歩み、妄念の闇の省察)」を切り捨ててしまった(加来雄之)と厳しく批判される。確かに多田の編集によって思想の根幹にかかわるいくつかの表現が削除された点は大きな問題かもしれない。しかし、それだけではない。この抄録は、後学の間で大きな波紋を起こしながら読み継がれ、現代にまで清沢の思想の「骨格」を確かに伝えてきた――「絶対他力の大道」という名のもとに。そのこともまた、紛れもない事実なのである。
■ 清沢没後の公開と波紋
 清沢が死去した翌月(1903年7月)に発行された雑誌『精神界』(第3巻第7号)の巻末には、「本巻本号を清沢満之逝去の紀念となす」という言葉が添えられた。そして、その号から清沢を憶念しつつ新たな連載が始まった。その名を「臘扇日乗」という。
 「日乗」とは「日記」の意味であるが、言うまでもなく、『臘扇記』にちなんでつけられた題名である。「雑纂(ざっさん)」欄に1年半(全18回)にわたって続けられたその連載は、清沢の日記の言葉を年代順不同で引用していくという内容であった。第1回は「如来の奴隷となれ」という標題のついた一文で、1903(明治36)年の『当用日記』からの引用である。連載名の由来となった『臘扇記』の言葉が掲載されるのは翌月からで、以後、最終の第18回(1904年12月)まで、すべてに「清沢満之」の記名が入り、計47節が続けて掲載されていく。そのうちの32節が『臘扇記』からの抜粋であった。
 (『臘扇記』初出の)第2回は「不可思議」と題された一節、すなわちかの高名な「自己トハ何ゾヤ」に始まる問答である。没後ただちに記名入りで発表され、しかも一年半にわたって世に出され続けた清沢の言葉が、『臘扇記』を中心とする日記からの抜粋であったことは、再評価に値するのではないだろうか。
 その後、単行本としては初めての公開となった『懺悔録』(1906年梁江堂、内容は「臘扇日乗」からの転載が中心)を始め、没後の記念年にあわせて四度編纂されてきた全集(十周年…無我山房、三十周年…有光社、五十周年…法藏館、百周年…岩波書店)、さらには岩波文庫などの文庫本においても、『臘扇記』はそのたびに必ず収載され、多くの人々の目に触れる機会を得てきた。特に、没後百周年(2003年)を機縁に岩波書店から全集が刊行された意義は大きく、そのことによって「宗門内(東本願寺)ではウルトラ有名人、宗門外ではほとんど忘れられた思想家」(今村仁司)と称されるような壁を越えて、広く公開される可能性が拡がった。
 そして、2008(平成20)年には、清沢満之記念館(西方寺)より、肉筆を写した『影印本 臘扇記』が出版され、あわせて詳しい補注や解説のついた初めての注釈本(大谷大学真宗総合研究所編『臘扇記 注釈』法蔵館、以下『注釈』と記す)が発刊された。ここにおいて、それまでは研究の領域においても、一部の言葉が抄出されるに留まっていた『臘扇記』の「骨格」に、思想的・歴史的な肉付けを施していく準備が、ようやく整ったのである。

※本報告の詳細は、論文として『現代と親鸞』第28号(2014年6月1日号)に掲載しています。

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