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研究活動報告
清沢満之研究会
 親鸞仏教センターでは、清沢満之の思想の現代的意味を究明することを目的に、設立当初より継続して「清沢満之研究会」を開催している。現在は「清沢満之を一貫する思想」という課題のもと、1898(明治31)年から翌年にかけて書かれた『臘扇記(ろうせんき)』をテキストとして、月に一回のペースで考究を進めている。今回の報告では「霊」という語を切り口に清沢の思想をひもといていく。
「霊物」なる自己

 親鸞仏教センター研究員 名和 達宣
■ 清沢満之と「霊」
 『臘扇記』1898年10月18日の欄に以下のような記述が見られる。

 吾人ハ一箇ノ霊物ナリ。只夫(そ)レ霊ナリ。故ニ自在ナリ(意念ノ自在アリ)。只夫レ物ナリ。故ニ不自在ナリ(外物ヲ自由ニスル能ハサルナリ)。而(しか)モ彼ノ自在ト、此ノ不自在ト、共ニ皆絶対無限(他力)ノ所為ナリ。共ニ是レ天与ナリ。吾人ハ彼ノ他力ニ信順シテ、以テ賦与ノ分ニ安ンズベキナリ。
(岩波『清沢満之全集』第8巻 359‐360頁、句読点等は適宜筆者が補足)
 これは『エピクテタス語録』で培われた思索が、清沢のなかで他力の信念として血肉化されていく過程で書きとめられた断想である。まず冒頭で「吾人ハ一箇ノ霊物ナリ」と言われるが、特に注目したいのは「霊」という語である。一見、唐突に登場したような印象も受けるが、清沢は早い段階からこの語を積極的に活用していた。古くは大学時代のノート(1883〜1887年)に「霊魂の不滅」「精神は最も霊妙不思議の者也」といった使用例が見られ、その後に著された『宗教哲学骸骨』(1892年)でも第三章に「霊魂論」が設けられると共に、第四章「転化論」では「霊魂は迷悟を貫通し因果を貫通せる一体たるなり」と論じられ、さらには三年後に著された『他力門哲学骸骨試稿』(1895年)では、この有限と無限をめぐる転化の問題が「心霊の開発」として展開される。また、1899年の東上後の「精神主義」と呼ばれる時代には、自らの立脚する立場(消極主義)について以下のように語ったと、門弟の安藤州一が『信仰坐談』のなかで伝えている。

 先生曰く、京都の真宗大学を以て、東京巣鴨に移転せしに就き、欣喜(きんき)押ゆる能わざるの一事あり。積極主義の沸騰点に達せる東京市中に在て、消極主義を唱導すること是なり〔中略〕余問て曰く、積極主義何が故に非にして、消極主義何が故に是なるや。先生曰く、東京市中に行われ居る積極主義は、金銭の為に進むものなり、名誉のために奮闘するものなり、衣食のために妄動するものなり。是を名けて積極主義という〔中略〕余が所謂(いわゆ)る消極は、凡夫の我情的活動を離れて、如来の霊的活動に合一するの過程なり。
(岩波『清沢満之全集』第9巻 389‐390頁、下線は適宜筆者が補足)
 以上のように、「霊妙」「霊魂」「心霊」「霊的活動」、そして「霊物」と、呼び方や扱われ方に変遷は見られるものの、清沢が自らの思想を開陳する際、生涯一貫して「霊」という語が用いられていたことがわかる。それゆえ「清沢の思索を全体的に把握することを試みるとき、「霊」を一つの鍵とすることもできる」と指摘され、あるいは「霊の思索者」とも呼ばれるのである(田村晃「霊存としての自己―吾人の価値は如何―」、『現代と親鸞』第6号 28頁)。
■ 活きた言葉としての「霊」
 『臘扇記』では、「吾人ハ」と切り出されるところから、この語がきわめて自覚的な意味合いで用いられていることがわかる。さらに注目すべきは、「霊物」と言われている点である。「霊/物」はそれぞれ「自在/不自在」の境涯を表すと読みとれるが、そのように言われる背景には、『エピクテタス語録』の読書を通して開かれた、判然たる分限の自覚があると考えられる。
 これに先立つ10月12日、清沢はそれまで英文で書写を続けていたエピクテタスの言葉を、初めて日本語(母語)で書き表している。そこでは「如意/不如意」の語が用いられ、如意なるもの(意見・動作・欣厭)に対して吾人は「自由」であり、不如意なるもの(身体・財産・名誉・官爵)に対しては「微弱」で「奴隷」――すなわち「不自由」であると述べられていた。さらには、吾人はその「如意/不如意」の「区分」を守らなければならず、それを「誤想」したときには「妨害に遭い、悲歎号泣に陥り、神人を怨謗するに至る」とされる。それがこの日の断想では、「霊」について「自在」と言われ、さらには「意念ノ自在アリ」と言われる。「意念」とは、エピクテタスが自由の場所として見いだしたwill瓩謀てられた独自の訳である。それに対して「物」のほうが「不自在」と言われるが、重要なのは「彼ノ自在ト、此ノ不自在ト、共ニ皆絶対無限(他力)ノ所為ナリ」というように、「自在/不自在」が共に「絶対無限(他力)の所為」とされる点である。
 絶対無限(他力)を見いだしたところで、有限なる自己の境遇は変わらない。言葉を換えれば、他力の信念によって、吾人の「不自在」なるあり方から脱するわけではない。むしろ「彼ノ他力」に信順することにより、いよいよ現前の境遇を「賦与ノ分」として安んずることのできるような境涯が開かれる。それゆえ、吾人は単なる「霊」でなければ「物」でもない、「一箇ノ霊物」である。この「霊物」としての自己の自覚が、やがては「此境遇ニ落在/絶対無限ノ妙用ニ乗托」した自己として表白され、あるいは「我人ハ寧ロ、只管絶対無限ノ吾人ニ賦与セルモノヲ楽マンカナ」(10月24日)と宣言されることとなる。『臘扇記』では、それ以降も「不可思議の霊的勢用」(11月8日)や「吾人は生死以外に霊存するものなり」(11月19日)など、繰り返し「霊」という言葉を活かしながら他力の信念によって開かれる境涯が確かめられていく。
 なお、清沢は最晩年に東京へ上った後、自らが学監を務める真宗大学の学生や、私塾・浩々洞へ集った煩悶青年たちに対して――つまり公私にわたる教育の場において――「霊」という言葉を駆使しながら「自信教人信の誠」を尽くしていく。それゆえ、清沢は「霊の思索者」であっただけではなく、「霊の教育者」とも呼ぶべき人物であった。すなわち、かつては「霊」という語を活きた言葉として用いるような言語空間が確かに存在した。しかしながら、そこで語られた「霊妙」「霊魂」「心霊」「霊的活動」といった表現は、現代の真宗教学や教育の現場にはほとんど伝わっておらず、もはや「死語」となり果ててしまっているのである。「霊」という表現自体に固執する必要はないが、その痕跡を掘り起こすことが必要ではないかと考える。
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