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研究活動報告
現代における人間像に学ぶ研究会
 「現代における人間像に学ぶ研究会」は、現代の課題に真摯に取り組んでおられる方々に直接インタビューし、「現代の人間像」を学び、社会から要請されている親鸞仏教の課題を探ろうとするものである。その1回目は、2003年10月3日、千葉大学助教授で「時代と闘うカウンセラー」として活躍しておられる諸富祥彦氏を研究室に訪ね、「心理学と現代社会」についてお話をうかがった。ここに、その一部を紹介する。
心理学からみた現代人の苦悩と生きがい
諸富祥彦氏にインタビュー

聞き手:藤原 正寿(親鸞仏教センター研究員)
■孤独になる勇気
――先生は、「孤独力」をキーワードにされていますが、いまの時代状況で「孤独」という時間が大切だということの意味は、どういうところにあるのでしょうか。

諸富 これまで思想を深めた方とか、自分なりの生き方を見極めた方というのは、どなたも「孤独」を大事にされてきたのではないでしょうか。しかし現代社会は、メールやケータイというようなもので絶えず誰かとつながっていないと気がすまないという状況ですね。特に若い人たちはそうです。絶えず誰かと連絡を取り合って、自分の存在意味と存在位置を確認することで、不安を払拭しようとしている感じがします。だから、逆に自分を深めるということが難しくなってきているのではないでしょうか。
 例えば、19世紀のデンマークの思想家で、そのことをとても大事にしたのがキルケゴールです。神の前の「単独者」ということを非常に強調しています。そして、神の前の自分を突きつめていくと、どうしても自分では何ともし難い罪の重さにぶつかるのだと。そのどうしようもない罪の重さに、自分がどう関わっていけばいいかを悩み抜いたときに、逆説的に真の宗教性に結ばれるのだと言っていますね。キルケゴールの論理と、親鸞の論理は極めて似ているのではないでしょうか。罪や煩悩、闇という自分のなかのネガティブなものを、なぜそこまで深く突きつめるのかということがあります。ですから、自分ときちんと向き合えるというのは、「単独者」性を大事にするということではないでしょうか。
 だから現代は、まず自分と対話する時間が必要です。宗教的な意味においても、深く個として生きる、個として自分と向き合うことがすごく大事なことのように思います。
■ひきこもりと現代人の苦悩
――いわゆる、ひきこもりということについて、先生は一般的な論調とかなり違うかたちで論じておられるように感じるのですが。

諸富 ひきこもりの問題に関しては、まず誰が誰に語るのかという、その当事者性ということが大きな問題になってきます。つまり、社会現象として論じる場合、私のように心理療法家として論じる場合、あるいは家族として論じる場合、それからひきこもりの体験者として論じる場合とではまったく違います。この当事者性ということは非常に大きな問題だと思います。
 「ひきこもりはよくない」「多くの若者がひきこもってしまって、その結果、日本の生産性が下がる。だからよくない」というふうに言われていますよね。「あいつは、怠けているだけだ」と、そういうふうに言うのは非常に楽な立場です。外野だから言えるような無責任な立場です。こういった風潮がまずあると思います。けれども、ひきこもりの本人たちにしてみれば、怠けているという感じはまったくありません。社会に出たいという気持ちを誰よりも強くもっています。しかし、そのことに対する周囲の共感がない。理解がない。気持ちが及ばないところで、ひきこもっている若者たちを批判しても、これはどうしようもありません。
 一方で、ひきこもっている若者たちは、なぜあんなに自分を否定するのかと言えば、世間が自分をどう見ているかを気にして自分を否定するからです。世間の目を内在化してしまうのです。つまり、世間が「ひきこもりはよくない」という眼差(まなざ)しを向けるがゆえに、ひきこもっている若者たちは、さらにその目を内在化して自分を責め、自分を否定する。そのためにさらにひきこもってしまうという悪循環があるのです。もう少し理解し、肯定的な眼差しを向けないと、最後は追い込んでしまうことになります。周囲の人たちは、彼らはすでに十分追い込まれていることをよく知らねばなりません。ですから、治療的な意味で、ひきこもりを責めるのはまずいのです。ひきこもりは責めることによって、逆に病理が重たくなります。

――そこには、現代人の苦悩として「自己肯定感」がもちにくい時代状況があるように思いますが。
諸富 まったくそのとおりです。ただその自己肯定感というときに、非常に浅い意味の自己肯定感と、もう少し深い意味の自己肯定感があって、これは随分違います。浅いほうは、要するに、ポジティブシンキング。自分のよいところを見つめようとか、自分に対して肯定的な眼差しを向けようということですが、それが浅い自己肯定です。ポジティブシンキング的なものと、宗教的な文脈の深い自己肯定とは、やはりきちんと分けたほうがいいと思いますね。
 浅い自己肯定というときは、前向きに考えられる自分はいい自分で、後ろ向きの自分は悪い自分です。つまり、ポジティブシンキングということのなかで、ポジティブに考えられない自分、ネガティブな自分を否定しているわけでしょう。やはり、これは突きつめるとまだ否定的なところの残っている考え方です。「僕なんかダメ、私なんかダメ」というふうに、自分に対して多くの若者たちは、否定的な眼差しをもっている。こういうような状態から抜け出すことが極めて重要です。では、その言葉がけの内容を肯定的なものに変えたら、それで万事 OK かと言えばそうでもないのです。
 例えば、リチャードカールソンの『小さいことにくよくよするな』という本がありました。前向きに生きていこうよ、というわけです。
 あの本が爆発的に売れた後に、関連して少し売れた本がありました。『「くよくよするな」といわれても』(北西憲二著)という本です。これはよくわかりますね。小さいことでくよくよするな、と言われて、前向きに生きていこうとするけれど、「でも、そう言われてもなあ」という自分も残る。本当の自己肯定とは、そんな自分をも、自分自身の一部として深く受け入れていくことだと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
※諸富祥彦氏のインタビューは、『現代と親鸞』第5号(2004年6月1日号)に掲載しています。
諸富 祥彦(もろとみ よしひこ)
千葉大学教育学部助教授 (2004年4月より明治大学文学部助教授)
1963年福岡県生まれ。筑波大学、同大学大学院博士課程修了。教育学博士、臨床心理士、日本トランスパーソナル学会会長。
著書に『〈むなしさ〉の心理学』『トランスパーソナル心理学入門』(以上、講談社現代新書)『生きていくことの意味』(PHP 新書)『孤独であるためのレッスン』(NHKブックス)ほか多数。
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