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研究活動報告
聖典の試訳:『唯信鈔文意』研究会
 人間とは、”状況存在”である。どのような環境を与えられるか、どのような教えに出遇うかによって、その生き方も変わってくるのである。
 「大小の聖人」「善悪の凡夫」。そこには、「僧(出家)」「俗(在家)」という生き方の違いを根底に置きつつも、「聖人」と「凡夫」を分け、さらに「大小」「善悪」という言葉を補って、他人(ひと)の生き様を色分けしていく当時の人々の姿が垣間見える。
 しかし、そのようなあり方を、親鸞の「みなともに」という一語が劇的に翻していく。「自力の智慧をもっては……」、それは、自力の智慧を離れることなど決して出来ない、人間存在の悲しみを湛(たた)えた言葉でもある。そこに、「みなともに」の一語が輝きを増してくる。(嘱託研究員 法隆誠幸)
『唯信鈔文意』試訳 3 >> PDF版はこちら
原文
 「十方(じっぽう)世界(せかい)普(ふ)流行(るぎょう)」というは、「普(ふ)」は、あまねく、ひろく、きわなしという。「流行(るぎょう)」は、十方(じっぽう)微塵(みじん)世界(せかい)にあまねくひろまりて、すすめ、行(ぎょう)ぜしめたまうなり。
現代語訳
 「普」は、あまねく、広く、限りないという意味である。「流行」とは、どのような時、どのような所にも余すところなく行きわたって、衆生を教え、励まし、導きすすめて、その御名(みな)を称えさせてくださることである。
 しかれば、大小の聖人(しょうにん)、善悪(ぜんあく)の凡夫(ぼんぷ)、みなともに、自力(じりき)の智慧(ちえ)をもっては、大涅槃(だいねはん)にいたることなければ、無碍光仏(むげこうぶつ)の御(おん)かたちは、智慧(ちえ)のひかりにてましますゆえに、この仏の智願海(ちがんかい)にすすめいれたまうなり。
 そうであるから、すぐれた聖人であれそうでない人であれ、在俗の生活者であれ―善人であっても悪人であっても、人間であるならば皆共に、自己にとらわれているわれわれのあり方では、あらゆる人びとを等しく救い遂げるはたらきはできない。それで、無碍光仏は智慧の光となって私たちのうえにはたらき、広大な智慧である本願の海に導き入れてくださるのである。
 一切諸仏の智慧(ちえ)をあつめたまえる御(おん)かたちなり。光明(こうみょう)は智慧(ちえ)なり(1)としるべしとなり。
 無碍光仏は、一切諸仏の智慧を集めたおすがたである。その光明は智慧であると知るべきである、ということなのである。
 「但有(たんう)称名(しょうみょう)皆得往(かいとくおう)」というは、「但有(たんう)」は、ひとえに御(み)なをとなうる人のみ、みな往生すとのたまえるなり。かるがゆえに「称名(しょうみょう)皆得往(かいとくおう)」というなり。
 「但有称名皆得往」の「但有」とは、ひとえに阿弥陀仏の御名を称える人こそことごとく往生する、というのである。それゆえ、「称名皆得往」という。
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した)
語注
(1) 【光明は智慧なり】親鸞は、世親菩薩の「尽十方無碍光如来(じんじっぽうむげこうにょらい)」という言葉を注釈するなかで「無明(むみょう)のやみをはらい、悪業(あくごう)にさえられず。このゆえに、無碍光(むげこう)ともうすなり。無碍(むげ)は、さわりなしともうす。しかれば、阿弥陀仏(あみだぶつ)は、光明(こうみょう)なり。光明は、智慧(ちえ)のかたちなりとしるべし」(『唯信鈔文意』『聖典』五五四頁)と述べている。
(訳・語註:親鸞仏教センター)
試訳をめぐって
原文
「但有称名皆得往」 というは、「但有」は、ひとえに御なをとなうる人のみ、みな往生すとのたまえるなり。かるがゆえに「称名皆得往」というなり。
現代語訳
 「但有称名皆得往」の「但有」 とは、ひとえに阿弥陀仏の御名を称える人こそことごとく往生する、というのである。それゆえ、「称名皆得往」という。」
 原文にしたがえば、「『但有称名皆得往』の『但有』とは、ひたすら御名を称える人だけが、みな往生するといわれているのである」と訳すのが一般的である。しかし、原文に施された句読点は、後に編集者が読みやすさを考慮して付けたものであり、親鸞によるものではない。句読点を打つ位置によって、文章がもつ意味は大きく変わる。
 「但有称名皆得往」。この文を親鸞は、「但有称名」「皆得往」とせず、「但有」「称名皆得往」と分けている。そこには、「称名皆得往(御名を称える人はみな往生する)」ということが「但有(ただある)」であるという、親鸞の意図がうかがえるのではないだろうか。すなわち、「ひとえに」という語句は単に、称える人、その称える”行為”のみを強調するものではない。むしろ、「称名皆得往」という全体にかかって、その”事実”を強調するものなのである。
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