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研究活動報告
聖典の試訳:『唯信鈔文意』研究会
 「来迎」とは浄土教の大事な概念であるが、それを換骨奪胎したのが親鸞である。すなわち、臨終を象徴してきた「来迎」という言葉を、現生に正定聚を成り立たせる=cd=b858来迎=cd=ba29として捉え直したのである。
 「この利益におもむくを、「来」という。(乃至)「迎」というは、むかえたまうという、まつというこころなり。」
 自らの“信心”を重ね合わせながら、親鸞は、その言葉が持つ内面的意味を見つめていく。それは「迎」の一字であっても、単に「ただ迎える」という意味ではないということ、つまり、信心を獲うるということはしっかりこちらの問題であるとしたうえで「待っている」という、そのような“こころ”を「迎」の一字に見いだしたということである。
 ところで、「おもむく(面向く)」とは、もともと「そむく(背向く)」と対をなしていた言葉であるという。穿(うが)った見方をすれば、こういう言葉一つにも親鸞の自覚が表現されていると言えるだろうか…。(嘱託研究員 法隆誠幸)
『唯信鈔文意』試訳 7 >> PDF版はこちら
原文
 法性(ほっしょう)のみやこというは、法身(ほっしん)ともうす如来(にょらい)の、さとりを自然(じねん)にひらくときを、みやこへかえるというなり。
現代語訳
 「法性(諸存在の普遍の本質)のみやこ」というのは、真理そのものである如来のさとりがおのずとひらけるということを、みやこへかえると表現するのである。
 これを、真如(しんにょ)実相(じっそう)を証すとももうす。
 これを、「真如実相を証す」(存在のありのままを本当のあり方としてみる)という。
 無為(むい)法身(ほっしん)ともいう。
 この真如実相は「無為法身」(絶対に変わらないものとしての真理そのもの)とも言える。
 滅度(めつど)にいたるともいう。法性(ほっしょう)の常楽(じょうらく)を証すとももうすなり。
 また「滅度にいたる」(涅槃にいたる)とも、「法性の常楽を証す」(法性そのものの自由闊達(かったつ)な境地を実現する) ともいうのである。
 このさとりをうれば、すなわち大慈(だいじ)大悲きわまりて、生死海(しょうじかい)にかえりいりて、普賢(ふげん)の徳(とく)に帰(き)せしむともうす。
 このさとりを得るとき、即座に大いなる慈しみのこころ、大いなる憐れみのこころが満ち溢あふれて、罪や悪を犯さざるを得ないわれわれの苦悩の現実を引き受けながら、人々と共に歩み、人々に本願を伝えていきたいという普賢菩薩の徳を自ずと行じていくことができるのである。
 この利益(りやく)におもむくを、「来」という。
 このような本願がもたらす利益(りやく)を信じ、その中に自らの身を置くことを「来」という。
 これを法性(ほっしょう)のみやこへかえるともうすなり。
 これを「法性のみやこへかえる」というのである。
 「迎(こう)」というは、むかえたまうという、まつというこころなり。
 「迎(こう)」というのは、迎えていてくださるということであり、その意こころは、待っていてくださるということである。
 選択(せんじゃく)不思議の本願、無上智慧(ちえ)の尊号をききて、一念もうたがうこころなきを、真実信心というなり。
 如来によって選び取られた分別を超えた願い、如来のこの上ない智慧の名号を聞いて、いつ如何なる場合であっても疑うことのないこころを真実の信心というのである。
 金剛心(こんごうしん)ともなづく。
 金剛心ともいう。
 この信楽(しんぎょう)をうるとき、かならず摂取(せっしゅ)してすてたまわざれば、すなわち正定聚(しょうじょうじゅ)(1)のくらいにさだまるなり。
 この信心を得るとき、決して見捨てることのない慈悲の用(はたら)きに包まれるのだから、即座に大涅槃に至るべき身、すなわち必ず仏に成るという位に就くのである。
 このゆえに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと、金剛(こんごう)のごとくなるがゆえに、金剛(こんごう)の信心とはもうすなり。
 ゆえに、この信心は破れず、傾かず、乱れないから、金剛のごときである。
 これを「迎(こう)」というなり。
 これを「迎」というのである。
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した)
語注
(1) 【正定聚】親鸞は『一念多念文意』の中で次のように述べている。
「往生すとのたまえるは、正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり。このくらいにさだまりぬれば、かならず無上大涅槃にいたるべき身となるがゆえに、等正覚をなるともとき、阿あ毘び抜ばつ致ちにいたるとも、阿あ惟ゆい越おつ致ちにいたるとも、ときたまう。」(『真宗聖典』五三六頁)
  すなわち、正定聚とは大涅槃に至るべき身となる、ということである。
(訳・語註:親鸞仏教センター)
試訳をめぐって
原文
 この利益(りやく)におもむくを、「来」という。
現代語訳
 このような本願がもたらす利益(りやく)を信じ、その中に自らの身を置くことを「来」という。
 「おもむく」とは、「おも(面)向く」を原義とする、「向かって行く」という意味の言葉である。それはひとつの方向性をもった、さらには自らというような自発性・能動性をもった言葉である。「おもむく」は「来」であるといわれるのだが、全く逆の方向性をもつ、この二つの言葉が同義語として扱われていることに対し、研究会では活発な意見が交換された。
 そもそも、「この利益」とは何を指すのか…。本文を遡(さかのぼ)れば、それは浄土に来させて、大涅槃を得させて、普賢の徳に帰せしむる、このような本願の用(はたら)きということになるのだろう。その利益に「おもむく」こと、すなわち、そちらの方向に顔を向けるということは、換言すれば、そのような本願の用きを信じ、それに向かうということでもある。また、「利益」という言葉を空間化して考えるなら、それは利益の中に入ってそこに座らせてもらうという、キリスト教的に表現すれば「召される」ということである。
 議論を重ねた結果、本研究会では上記の試訳を施すこととなった。
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