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研究活動報告
聖典の試訳:『唯信鈔文意』研究会
 「不退転」とは、現代においてもしばしば用いられる言葉だが、元は仏教用語である。退歩・退失・退堕(たいだ)することがない、これが「不退転」本来の意味である。
 この「不退転」という位を得ることが、求道において非常に大事にされてきた。すなわち、道を求めていって「もうこれでいい…」という、そういう状況に落ち着いてしまうことが求道者最大の難関とされてきたのである。いわゆる“菩薩の死”、“七地沈空(ちんぐう)の難”という問題である。
 「信心をうれば…不退転に住す」と親鸞は言う。それは言い換えるならば、留まることがないということであろう。つまり、求道者は最大の難関である“菩薩の死”を超えて、仏への方向性・志願を失うことなく、歩み続けられるということにほかならない。成仏道を生き抜くというのである。
 そこに、“信心をうれば”という一句が、千鈞の重みを与えている。(嘱託研究員 法隆誠幸)
『唯信鈔文意』試訳 8 >> PDF版はこちら
原文
 『大経(だいきょう)』には、「願生彼国(がんしょうひこく) 即得往生(そくとくおうじょう) 住不退転(じゅふたいてん)」とのたまえり。
現代語訳
 『大無量寿経』には、「願生彼国 即得往生 住不退転」と説かれている。
 「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがえとなり。
 「願生彼国」は、浄土に生まれんと願え、という呼びかけである。
 「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。
 「即得往生」は、その本願からの呼びかけに随順するこころ、すなわち、信心を得るならば即時に本願の用らく世界に生まれるという意味である。
 不退転に住すというは、すなわち正定聚(しょうじょうじゅ)のくらいにさだまるとのたまう御(み)のりなり。
 「本願の用(はた)らく世界に生まれる」ということは、無上涅槃(4)への志願を失わずに歩み続けられる、ということである。
 これを「即得往生」とはもうすなり。
 それは、即時に「必ず仏に成る身」に定まる、という教えである。
 「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日(ひ)をへだてぬをいうなり。
 これを「即得往生」というのである。「即」は、“即時”という意味である。“今この時”ということ、時間をあけず、日をへだてないという意味である。
 おおよそ十方(じっぽう)世界(1)にあまねくひろまることは、法蔵菩薩(ぼさつ)の四十八大願(だいがん)の中なかに、第十七の願に、十方(じっぽう)無量の諸仏にわがなをほめられん、となえられんとちかいたまえる、一乗大智海(だいちかい)の誓願(せいがん)、成就したまえるによりてなり。
 およそ、あらゆる世界に広く行きわたることは、法蔵菩薩が立てられた四十八からなる大願の第十七願に、あらゆる世界の数限りない諸仏に我が名を讃たたえられよう、称(とな)えられよう、そうでなければ仏に成るまいと誓われた。この誓いは、全てのものを等しく救い取る大いなる智慧の海のような誓願である。この誓願を成就されたことによってあらゆる世界に広く行きわたるのである。
 『阿弥陀経(あみだきょう)』の証誠護念(しょうじょうごねん)(2)のありさまにて、あきらかなり。証誠(しょうじょう)護念の御(おん)こころは、『大経(だいきょう)』にもあらわれたり。
 このことは、『阿弥陀経』に説かれている「証誠護念」、すなわち、あらゆる世界の諸仏が阿弥陀仏の功徳を讃嘆し、その誠を証明し、護念すると説かれていることからも明らかである。「証誠護念」のお心は、『大経』にも表れている。
 また称名(しょうみょう)の本願は、選択(せんじゃく)の正因(しょういん)たること、この悲願にあらわれたり。
 また、御名(みな)を称えられようという願いこそ、如来の選ばれた正しい因であるということは、この第十七の悲願において顕らかである。
 この文(もん)のこころは、おもうほどはもうさず。これにておしはからせたまうべし。
 この文の深意は、これ以上申すということはしない。以上のことから、推し量って考えていただきたい。
 この文(もん)は、後善導法照禅師(ごぜんどうほっしょうぜんじ)ともうす聖人(しょうにん)の御釈(ごしゃく)(3)なり。
 この『五会法事讃』の文は、後善導法照禅師という聖人の御解釈である。
 この和尚(かしょう)をば法道和尚(かしょう)と、慈覚大師(じかくだいし)はのたまえり。また『伝(でん)』には、廬山(ろざん)の弥陀(みだ)和尚(かしょう)とももうす。浄業和尚(じょうごうかしょう)とももうす。
 この方を、慈覚大師は法道和尚とお呼びになっている。また諸伝には、廬山の弥陀和尚とも、浄業和尚とも記されている。
 唐朝(とうちょう)の光明寺(こうみょうじ)の善導和尚(かしょう)の化身(けしん)なり。このゆえに後善導(ごぜんどう)ともうすなり。
 唐代の光明寺の善導和尚の化身であるから、後善導と言うのである。
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した)
語注
(1) 【おおよそ十方世界にあまねくひろまることは】「十方世界普流行」を註釈した先の文(『真宗聖典』五四八頁)を指す。『親鸞仏教センター通信』第27号掲載。
(2) 【証誠護念】善導は『往生礼讃』の中で、『阿弥陀経』の六方段を諸仏の証誠護念とみて、註釈を施している。その文を親鸞は、『教行信証(行巻)』(『真宗聖典』一七六頁)に引く。
(3) 【御釈】経(仏や聖者の教説)、論(経文の深い意味を詳述したもの)の解釈。
(4) 【無上涅槃】『親鸞仏教センター通信』第26号「試訳をめぐって」参照。
(訳・語註:親鸞仏教センター)
試訳をめぐって
原文
 「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがえとなり。「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという。
現代語訳
 「願生彼国」は、浄土に生まれんと願え、という呼びかけである。「即得往生」は、その本願からの呼びかけに随順するこころ、すなわち、信心を得るならば即時に本願の用らく世界に生まれるという意味である。
 「願生彼国」とは、本願成就文 (『真宗聖典』四四頁) の言葉である。すなわち、「欲生我国(我が国に生まれんと欲(おも)え)」という本願(第十八願、『真宗聖典』一八頁)からの呼びかけが成就して、 「願生彼国 (彼の国に生まれんと願う)」 という事実が我われのうえに起こる、 というのである。
 親鸞は、この「願生彼国」について、「かのくににうまれんとねがえとなり。」という註釈を施している。それは、「願生」ということの内実が「自分で生まれんと願う」という、自力の願生ではないということを強調して言わんとするものである。つまり、「願生」それ自身が本願からの呼びかけであり、如来回向の心だと親鸞は言うのである。「信心」とは、その呼びかけをそのまま戴くことに他ならない。だからこそ、「願生」と「得生」は矛盾することなく、しかも即時に成り立つのである。この因果関係を明確にしようと、試訳が検討された。(親鸞は、このことを本願の欲生心成就の文(『教行信証』『真宗聖典』二三三頁)として確認している。)
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