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研究活動報告
聖典の試訳:『唯信鈔文意』研究会
 「一闡提(いつせんだい)」とは、梵語イッチャンティカ(icchantika)の音写語である。もとは、「欲求しつつある人」という意味であるが、断善根、信不具足、極欲などと訳され、成仏する因をもたない者をいう。
 その人間像は元来、釈尊の従弟であり、また釈尊成道の後に弟子となった提婆達多(だいばだった)に見いだされてきた。すなわち、釈尊の教えを側で聞きながらも我が身に一切染みることなく、むしろ釈尊の威勢をねたみ、逆害さえも加えようとしたのが提婆達多であった。仏陀釈尊であっても救えない、絶対に助からない存在。「一闡提」とは、言わば、仏に成る可能性が完全に断たれた〈あさましき〉存在である。
 親鸞は、この”一闡提の救い”について、主著『教行信証』(信巻)においてかなりの紙幅を割いて取り上げている。一見、人間のなかでも例外中の例外とも思える「一闡提」である。しかし、この救済こそが親鸞自身の根本関心であったとも言えようか……。(嘱託研究員 法隆誠幸)
『唯信鈔文意』試訳 11 >> PDF版はこちら
原文
 「不簡破戒罪根深(ふけんはかいざいこんじん)」というは、「破戒(はかい)」は、かみにあらわすところの、よろずの道俗の戒品(かいほん)をうけて、やぶりすてたるもの、これらをきらわずとなり。
現代語訳
 「不簡破戒罪根深」の「破戒」は、先に述べてきたような出家者・在家者が守るべきさまざまな戒を、いったんは受けていながらそれらを破り棄ててしまった人のことである。このような人をも分け隔てしないというのである。
 「罪根深(ざいこんじん)」というは、十悪五逆の悪人(あくにん)、謗法闡提(ほうぼうせんだい)の罪人(ざいにん)、おおよそ善根(ぜんごん)すくなきもの、悪業(あくごう)おおきもの、善心(ぜんじん)あさきもの、悪心ふかきもの、かようのあさましき、さまざまのつみふかきひとを、「深」という。ふかしということばなり。
 「罪根深」は、十悪・五逆の罪を犯した人、仏法を謗(そし)る人、仏縁がありながら仏法に全く関心をもたない人のことである。総じて、善い行いをなす能力のほとんどない人、悪い行いを多くなしてしまう人、善い心が浅い人、悪い心が深い人、このような悲しむべき罪深い人びとをさして「深」というのである。「ふかい」という意味の言葉である。
 すべて、よきひと、あしきひと、とうときひと、いやしきひとを、無碍光仏(むげこうぶつ)の御(おん)ちかいには、きらわず、えらばれず、これをみちびきたまうをさきとし、むねとするなり。
 無碍光仏(阿弥陀如来)の誓願においては、善人も悪人も、貴い人も賤しい人もすべて、嫌うことなく、選ぶことなく、平等に導いてくださることが第一であって、主眼なのである。
 真実信心をうれば実報土(じつぽうど)にうまるとおしえたまえるを、浄土真宗の正意(しようい)とすとしるべしとなり。「総迎来(そうこうらい)」は、すべてみな浄土(じようど)へむかえかえらしむといえるなり。
 阿弥陀如来によって恵まれる真実の信心を得れば、本願が用(はた)らいている世界を生きることができると教えてくださっている、そのことが浄土真宗の正意であると知るべきである。「総迎来」とは、すべてのものを皆、浄土へ迎え帰らせるということなのである。
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』五五二頁)
(訳:親鸞仏教センター)
試訳をめぐって
原文
 「罪根深(ざいこんじん)」というは、十悪五逆の悪人(あくにん)、謗法闡提(ほうぼうせんだい)の罪人(ざいにん)、おおよそ善根(ぜんごん)すくなきもの、悪業(あくごう)おおきもの、善心(ぜんじん)あさきもの、悪心ふかきもの、かようのあさましき、さまざまのつみふかきひとを、「深」という。
現代語訳
 「罪根深」は、十悪・五逆の罪を犯した人、仏法を謗る人、仏縁がありながら仏法に全く関心をもたない人のことである。総じて、善い行いをなす能力のほとんどない人、悪い行いを多くなしてしまう人、善い心が浅い人、悪い心が深い人、このような悲しむべき罪深い人びとをさして「深」というのである。
 
 「不簡」は、大悲を表わす言葉である。無碍光仏の誓願においては、「十悪五逆の悪人」「謗法闡提の罪人」であっても嫌うことなく、選ぶことなく、平等に浄土に導くという。
 そもそも、「悪人」「罪人」という言葉には重い響きがある。親鸞の時代にあっては、現在以上に重く響いていたことだろう。しかし、「十悪五逆」については倫理的に理解できるとしても、「謗法闡提」の如何なるところが”罪”と言われているのか。具体的に、どういう人を指して「闡提」と言うのか。
 例えば、「闡提」について「欲に染まりきった」「出世間の欲求がない」と試訳することは一面言い当てられた感があるが、反面、世間のあり方そのものである。そのことが果たして「罪人」とまで言えるのかどうか。言えないとすれば……。その原義・語源と現代的解釈・意義のはざまを往来しつつ、議論が重ねられた。
 また、「悪業おおきもの」には、業という言葉がもつ語感に基づいて「悪い行いを多く”なしてしまう”人」という試訳が施されている。(訳:親鸞仏教センター)
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