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研究活動報告
現代の諸課題と対話する研究会
 現代の社会において親鸞思想を捉とらえ直していくためには、今の時代が抱えている課題に対して宗教が何を発信できるのかを絶えず問い直し、考え続けていくことが必要である。親鸞仏教センターでは、現代の課題と第一線で対決している方々との対話を通じて親鸞思想の立場からのメッセージを発信していくことを願い、「現代の諸課題と対話する研究会」を開催している。
 今回は、2009年4月4日(講師・森孝一氏)および2009年10月16日(講師・本田哲郎氏)に開催された研究会の概要を報告する。
宗教から見るアメリカ―「見えざる国教」と多文化主義 (森孝一)
宗教者として社会の現実と向き合うとはどういうことか―釜ヶ崎・野宿者支援を通じて見えてきたもの (本田哲郎)


親鸞仏教センター研究員 常塚 聴
■ 森孝一氏との対話
 第3回の研究会は、同志社大学一神教学際研究センター(京都市上京区)に同センター長の森孝一氏を訪問し、「宗教から見るアメリカ」をテーマとして開催された。
 2008年に行われたアメリカ大統領選挙は、日本でも大きな注目を集めた。結果、民主党のバラク・オバマ氏が当選し、アフリカ系アメリカ人として初の大統領となった。その就任式は『聖書』に手を置いて宣誓をするという宗教的儀式のような形式で行われ、その後の演説でも「神」という言葉がたびたび用いられた。国際社会において非常に大きい存在感をもつアメリカという国家において、宗教はどのような存在なのであろうか。森氏との対話は、「アメリカにおける政教分離」「キリスト教原理主義の影響力」「宗教の社会的役割」などをめぐって行われた。
 森氏が指摘したのは、アメリカが移民によって成り立っている国家であるため、社会を統合するために「共通の未来」の姿を必要としているという点である。独立宣言に「全ての人間は創造主によって平等に創られている」とあるように、その「共通の未来」は宗教的な言葉で表現されている。しかし、その「宗教」は特定の集団に属するものではなく、自由と民主主義の理想を「神」の名によって象徴するものであり、国家が特定の宗教団体に特別の地位を与えることはない。森氏は、そのような「共通の未来」の象徴としての宗教を「見えざる国教」と呼んでいる。
 「見えざる国教」が自由、平等、人権といった言葉で示される理想を表現しているとすれば、それは排除ではなく共感と他者の尊重の原理として社会の中ではたらくことができる。森氏は、現在の宗教的原理主義や排外主義は、アメリカという国家が宗教的であるからというよりはむしろ、「共通の未来」を追い求めることを「待てない人々」によって生み出されたものであると指摘する。
 原理主義やナショナリズムは、「待てない人々」の目の前に、すぐに手に入る解決策と「敵」の姿を示してみせる。しかしそれは実のところ、真の問題から眼をそらせるものでしかない。宗教は「待つ」ことを励ます営みである。それはまた、人間の真の問題に立ち向かう力をもたらすはたらきでもあるといえよう。
森 孝一(もり こういち) 同志社大学神学部教授
1946年、広島県に生まれる。同志社大学大学院神学研究科修士課程、米国・バークレー神学大学院連合(Graduate Theological Union)博士課程終了。Th.D.(神学博士)。現在、同志社大学神学部教授、同大学一神教学際研究センター長。専門はアメリカ宗教史。著書に『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社選書メチエ)、『「ジョージ・ブッシュ」のアタマの中身=cd=ba52アメリカ「超保守派」の世界観』(講談社文庫)、『アメリカと宗教』(編)など多数。
■ 本田哲郎氏との対話
 第4回は、2009年10月16日、社会福祉法人「ふるさとの家」(大阪市西成区)にフランシスコ会神父の本田哲郎氏を訪問し、「宗教者として社会の現実と向き合うとはどういうことか」というテーマのもとで行われた。
 本田氏はカトリックの司祭であり、また『聖書』の個人訳を出版するなど聖書学者としても優れた業績を挙げている。またその一方で、大阪市・釜ヶ崎(西成区あいりん地区)の野宿生活者、失業者の自立支援活動にも取り組まれている。本田氏との対話は、「宗教と社会」「宗教者の社会的行動のあり方」「祈りと救い」などをめぐって行われた。
 本田氏は、抑圧され苦しむ人々の現実の中で『聖書』を読み直すことで、現代のキリスト教が『聖書』の言葉に背いていることに気がついたという。本田氏によれば、『聖書』の基本となるメッセージは「神の力は、最も弱く小さくされたものを通してはたらく」ということである。その姿勢は、単純な「共生」という考え方とは異なる。一人ひとりの人間がそれぞれに違った存在であり、さまざまな立場や考え方があるのは当然のことであり、「違いを認める」というのは目標ではなく出発点に過ぎない。しかし、「共生」というとき、それによって現実にある差別や抑圧が隠されてしまうことがある。ただ「共生」ということで満足してしまうのではなく、抑圧され、弱い立場を強いられたものが現実にどのようにして解放されてゆくかを考える必要がある。
 そうであれば、宗教が社会の現実に対して働きかけるのは当然のことであろう。本田氏は、「祈りは行動を伴う」と言う。祈りとは、自分にはたらく神の力に信頼して行動を起こすことであり、単なる願望ではない。宗教の立場から社会に関わるということは、現実の中で抑圧されたものから神のはたらきを学び、信頼して歩みを起こすことであると本田氏は言う。
 私たちは、自分の側が正しく、それ以外は間違っているという考え方をしばしばしてしまう。宗教者としては、真理は自分たちが占有しており、その真理を人々に与えていくのが宗教の役割であると考えやすい。しかし本田氏は、「神は一番弱いものとともにある」と言う。宗教の役割とは、自分たちのグループに人を引き入れることではなく、その人を抑圧から解放することである。「上から下へ」教えを伝えるという関わりではなく、抑圧されたものを通じて神のはたらきを学ぶという姿勢が必要とされる。ここに、親鸞が「御同朋・御同行」(『御文』一帖目第一通)と語ったことと共通するものを読むこともできるのではないだろうか。
 親鸞が「とも同行」(『歎異抄』)と言い、「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」(『唯信鈔文意』)であると言うのは、仏の光に照らされたときその「小さく、弱くされた」、「いし・かわら・つぶて」がそのままに黄金に転じられるという意味でもあろう。小さく、弱いものこそが最も尊い存在であり、そこにこそ真実があるという視点は、宗教のちがいを超え、現実の差別と闘うための重要な方法論となるのではないだろうか。
本田哲郎(ほんだ てつろう) フランシスコ会司祭
1942年、台湾台中市に生まれる。上智大学文学部哲学科卒、同神学部修士課程修了。ローマ教皇庁立聖書研究所を経て、フランシスコ会日本区管区長。1989年より大阪市西成区あいりん地区(釜ヶ崎)の社会福祉法人「ふるさとの家」にて日雇い労働者、野宿生活者の支援活動に従事するかたわら、「小さくされた者」の立場からの聖書の読み直しを続けている。現在、特定非営利活動法人「釜ヶ崎支援機構」理事、「釜ヶ崎反失業連絡会」共同代表。著書に『釜ヶ崎と福音』(岩波書店)『小さくされた者の側に立つ神』(新世社)など多数。
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